卸売業とコミュニティづくり、
二足のわらじを履く三条の仕掛け人
新潟県の三条市。地域のつながりをテーマに新しい取り組みをしているのが、今回の主人公である長野源世さん。
長野さんは、古くから三条の地で卸売業*を営んできた長野工業の専務として仕事をする傍ら、新しいコミュニティの場『ステージえんがわ』の運営にも携わっています。
インターネットの台頭により、価値の見直しを必要とする卸売業界の中で、新しい「あり方」を創造する長野さんの取り組み。
そして、長野さんが関わることになった地域のコミュニティ施設『ステージえんがわ』での取り組み。
三条を舞台に、地域を活かした「つながり」が生まれる、新しい卸売業の未来に迫ります!
卸売業の傍ら、場所と地域を繋ぐ仕事
『ステージえんがわ』は、地域コミュニティの場として誕生。地域の方のしたいことを実現できるみんなのステージです。ときには一人で、ときには誰かと、思い思いの時間を過ごせる憩いの場として、アイディア次第で様々な活用ができる空間です。
「こんにちは。遠くからご苦労様です。」
長野さんは新潟県の三条の地で80年以上続く金物系の卸売業者の次期4代目。
燕三条に住む多くの職人さんたちの力を借りながら、過去の卸売業のあり方を見直し、新しいものづくりに取り組んでいる方です。
「卸売業者である長野工業の4代目が、なぜ、地域のコミュニティスペースの立ち上げ人に…?」
まずはなぜ今のお仕事の形になったのか、お話を聞いていきたいと思います。
等身大のアイデアと燕三条の技術力を掛け合わせる
長野さんはい。長野工業は、元々は曲尺(かねじゃく)と呼ばれる、大工さんが使う直角に曲がった定規を作るメーカーとして始まりました。曲尺のメモリをつける作業は明治以前からあり、昔は職人がメモリを手作業で刻んでいたんです。厳密な設計に影響するので、出荷前に国の検査を受ける必要があり、合格すると、その印として刻印を押されるんです。先代は「この刻印でメモリが狂う」と、完成したはずの曲尺にまた手を加え直すほど細かいこだわりがあったんです。その後「メモリを刻む作業」を自動化する機械を地元の人と一緒に考案し、開発に成功しました。その時代に何が必要なのかを考え、もっと地域の商品を全国に行きわたるよう変化をしていく中で、次第に長野工業はメーカーから卸商社*の形になっていきました。
長野さん高校卒業後に、広告代理店に就職し、数年間広告系の仕事をしていました。卸売業はこの先厳しいだろうけれども、何とかしたいと思い、戻ることを決意しました。地元の特色を生かしたオリジナルティ溢れる商品を作り、自社ブランドとして動き出そうと思ったんです。その頃に、生活雑貨の『空想生活』をプロデュースする会社の代表の西山浩平氏と知り合いました。当時はアイデアを実際に商品にできる人間が『空想生活』の中にも誰もいなくて。僕は広告代理店にいた時から、ノベルティなどをメーカーさんと交渉して作っていましたし、地元に帰ってきてからは家業の卸売業を通して製品作りをしていました。そこで、一旦長野工業からは身を引き、『空想生活』でものづくりをすることにしたんです。経験を積んで、再び長野工業として、新しい挑戦をしようと決心しました。
───その『空想生活』でのお仕事を経て、長野工業の新しい挑戦として初めに着手されたことは何だったんですか?
長野さん以前から長野工業で取り扱っていたメジャーを、もっと実用的に改良してみました。メジャーは建築関連で使われることが多いので、設計士さんがすぐにマーキング出来るように工夫をしたり…。僕はデザインを勉強していたわけではないので「こうなったらいいよね」と、等身大の意見から何でも始まるんです。
───自分が気づいた小さなアイデアで工夫するところから、現在のものづくりのスタイルへと発展していったんですね。
長野さんものづくりのこれからを考えると、長野工業も今までの卸の形からは脱却しなくてはいけないと思っています。もっと地域で昔からものづくりをしている職人さんたちと手を取り合い、新しいものづくりをしていきたいんです。
メーカーと小売。これからどちら側に近づいていくのか?
長野さん僕が小さい頃、家の中にはいつもたくさんの職人さんたちが出入りしていました。職人さんに頭を叩かれ、可愛がってもらいながら育ったんです。しかし、三条に戻った際にはその光景は無くなっていました。知らない人が作ったものを、よく知らないのに「これいいですよね」と売らなきゃいけない状況です。僕はこの状態に違和感を感じたんです。このままの卸売業じゃだめなんだなと思いました。どうしてもあの時と同じ様な環境で、職人さんと家族の距離感で付き合いながら、もう一度仕事をしたかったんですよね。
───卸売業の長野工業だからこそできる燕三条の職人さんたちを守る方法はあるのでしょうか?
長野さんメインで扱う商品の工場には、社員が直接足を運ぶようにしています。とにかく現場を見させてもらい、自分で商品を納得するまで何回も訪問することが長野工業の鉄則です。うちの商品ならではの「これだからいいんです」と言えるポイントを何点も加えながら製品作りをしています。無理にコスト削減をせず、価格設定も比較的高めになっています。職人さんや工場との連携を深めて、その人たちが得意とするものを拾い上げ、強みを活かしたものづくりをしていくことが、職人さんたちの技術を残すことに繋がるはずなんです。
長野さん長野工業はこれまでの卸売業の仕事から、今後はまたメーカーに寄って、商品開発の段階から職人さんとものづくりをしていく体制を強化していこうと思っています。ただ、作っても売れないと意味が無いので、販売店さんへのアピールも同時に行わなければなりません。具体的な方向性は、今はまだ模索段階です。
───確かに、ものづくりの知識がある長野さんは、メーカーの立場に寄り添って、共通言語をもって話せることが強みだと思います。とはいえ、卸売業は本来、職人さんなどのメーカーと、販売店などの小売業の間にある存在ですよね。メーカーではなく小売寄りにする選択肢もある中で、長野工業としては、よりものづくりの「現場」へ近づこうとしているのですね。
長野さん職人さんがいるメーカーの技術を使い、どう料理するのかが、僕の重要な役割だと思っています。それを全うするためにも、地域での繋がりが一番大事なんですよ。
ものづくりと『ステージえんがわ』の意外な結びつき
長野さん以前から、今世の中に流通している製品の素材に違和感がありました。日本には昔からある優れた素材も多いです。なのに最近の薄型テレビには必ず樹脂が使われています。それが僕はどうも好きになれなくて。そこで加茂の桐たんす職人さん*にお願いして、テレビにあしらえる和調の棚を作ったりしていました。他にも、畳素材を使ったバッグを作ってみたり…。それらが『ステージえんがわ』の立ち上げ関係者に興味を持って頂いた様です。話をする中で「実はこんなコンセプトでコミュニティ施設の建設を考えているんだけど、長野さんどう?」と提案を受けたのが、『ステージえんがわ』のプロジェクトに参加するきっかけでした。
長野さん実は結構迷いました。場所と人を繋ぐ…普段長野工業で行っているものづくりでも、人が繋がらないと確かに商品はできないのですが、それと似た感覚でいいんですか?なんて聞いたりしました。東京から三条に帰ってきて、色々なプロジェクトに携わっていましたが、今までとは全く違う「コミュニティ施設づくり」のカテゴリの中で、僕が発案してやっていったことが受け入れられるのか本当に不安でした。
───では、実際に『ステージえんがわ』はどのようにして出来上がっていったのかをお聞きしても良いでしょうか。
長野さんコンセプト自体がほぼ出来上がっている段階からの参加でした。それに『ステージえんがわ』はオープンして間もないので、現在も創りあげている途中です。今はいかに地域の特性を活かしたコミュニティを作るかを考えているところです。三条のものづくり的な分野もどんどん取り入れていって欲しいとも言われているんですよ。
───コミュニティ作りをするにあたり、工夫されていることは何なのでしょう?
長野さん「こんにちは、何やってるんですか?」の挨拶から始まり、そこに集まった人たちがどんどん繋がっていけるような場を作りたいと思っています。三条の中の人は外の世界の人と、外から来た人には、三条の職人さんを中心とした街の人と繋がることを目指します。日本全国を横断的に双方向で繋いでいければ良いですね。あとは、お年寄りの方でも安心して入ってこられる環境づくりも大切にしたいです。
───ものづくりも、場作りも、何かを作る作業とはいえ毛色が違いますよね。共通する部分はありますか?
長野さん卸売業者として、せっかく職人さんたちをつなげる縁を持っているから、繋がりをもっと活かす方向に変化しなきゃいけないとは前々から考えていました。『ステージえんがわ』はその想いに非常に結びつきやすかったんです。色んな職人さんと製品作りをしている中で、この場所で人とコミュニティと地域の特性を活かしたイベントをやっていけるので、僕の中でこの「繋がる」視点がぐるっと一つにまとまった感じですね。
長野さん目線の、三条ものづくりのこれからと伝統工芸のこれから
長野さん好奇心がものすごい旺盛なところですかね。若い人からお年寄りの方まで、自分たちでやってみる、触ってみる人が多いです。
───その土地の魅力を聞いた時に、人の特徴を話すのって、長野さんが「人」視点で動いている証ですよね。近年注目を浴びている三条の地域ですが、その中で課題に感じていることってありますか?
長野さんあんまり気張らない方がいいとは思っています。注目されるがゆえに、逆に気張らない、飾らない、かっこつけない、自分たちの本来のスタンスで、べそかき恥かき一生懸命やってる姿をそのままを見てもらえるようにするべきじゃないかなって感じています。
───地域のありのままを…ですね。個人でも長野工業でも、今後の野望や目指したいものはなんでしょう?
長野さん卸売業の本来の姿って、色んな職人さんを抱えて独自の商品を売っていたから付加価値があったんだと思うんです。その後の新しい形は私自身まだ探求中ですが、今考えていることはあります。
───どんなことでしょう?
長野さん伝統工芸の職人さんの跡継ぎがいない現状があります。自分が体3つあれば何とかしたいんですが…。自分は卸売業者だからその世界に飛び込むことができないからこそ、他の人達が興味を持つきっかけになるような、今の時代に合った商品を作っていきたいと思っています。だから、今時の「進化」した品物に三条のものづくりの技術で「真価」を加えた商品を世界に出したい野望があるんです。例えばノートパソコンのカバーを畳職人さんに作ってもらい、たたむと畳になる、みたいな。私の言う進化ってそんな程度なのかもしれませんが(笑)今はそんなものを考えています。
───面白いですね!長野さんが今の時代に合った商品を、職人さんとともに生み出す中で、そのものづくりに興味を持ち始める若者も出てくるかもしれませんね。
卸売業者が吹き込む新しいものづくりの風
よく耳にするようになったファクトリーブランド。これは工場自体が販売も担うため卸売業者を介しません。こうした中間業者を取り払う新しい形は少しずつ出てきていますが、長野さんのような職人さんとの「共通言語」を持った付加価値のある中間業者の存在は希少だと言えます。長野さんは、職人さんの目線だけではなく、使い手の目線でも、ものづくりを見ることができるのです。
長野さんのように、卸売業者の中で自分たちの強みを自覚し、武器にして勝負していく人が増えれば、職人さんたちもより視野が広がった新しいものづくりができるようになるのではないでしょうか。