貫く“攻め”の経営姿勢。変革をくり返し、地域の新たなものづくりの道を切りひらく
株式会社アベキン
今回取材に訪れた、株式会社アベキン(以下、アベキン)も同じ悩みを抱えてきた会社のひとつ。今でこそオフィス家具や店舗什器、ガソリン携行缶などを製造しながら、世界的な家具メーカーと取引するまで大きく成長した。
しかし、現社長の阿部隆樹さんが家業に戻ってきたころは多額の負債を抱え、存続が危ぶまれる状態まで追い込まれていた。そこから15年かけて20億円規模のグループへと成長。新潟県の営業利益ランキングでは4年連続でランクインするなど、県内トップ企業の仲間入りを果たした。さらに、現在はアベキンに入社するために関東圏から移住する職人がいるほど、若手の層も厚くなっている。
ここまで大きく成長できた理由は何だったのか。社長の経営哲学に迫る。
技術を軸に作るものを変えてきた燕三条のものづくり
阿部さんは燕三条の歴史を振り返ってそう話す。事実、この地域には時代の変化と共に作るものを変化させてきた企業が多い。アベキンも昭和22年に洋食器の磨き業を始めたものの、海外に仕事が流れるとスノーダンプなどの農機具製造へと移行。その後は需要の多かった物流機器も作るようになった。燕三条の他の会社と同じようにアベキンもまた従来の技術を使って異なる業界へと転換してきたのだ。
しかし、売上の8割を占めていたカゴ台車の製造が海外に流れ、多額の赤字を背負う事態に。加えて多額の金融債務をかかえ、金額も納期も厳しい仕事でなんとか回そうとあがくものの、どんどん負のスパイラルに陥っていった。
「工場を整理整頓するとよりよいものが作れるようになり、客先、仕入れ先、得意先が変わる。そうすると、取引している銀行の条件も変わっていくんです。銀行の条件が変わると利益が増えて社員に還元できるようになり、目先の経営から未来を見据えた投資ができるようになる。負のスパイラルから正のスパイラルに変わった瞬間でした」
燕市の町工場が世界的な家具メーカーと取引できるように
「周りの人みんながアベキンのせがれと知っているような小さな町だったので、継ぐことは当たり前だと思っていました。でも、プラモデルやラジコンを一度も完成させたことがないくらい、ものづくりはあまり得意じゃなくて(笑)自分が継ぐなら経営に携ろうと思って、大学は経営学部へ進んだんです」
大学で経営学を学んだ後は、オフィス家具業界へ。製造や品質管理、資材管理からはじまり、一通りものづくりの流れを叩き込んだ。31歳で家業に戻り、経営の立て直しを終えると、2012年に事務所を新設。前職の経験を活かし、世界的に有名な家具メーカーとの取引へと舵を切ったのだった。
当時のアベキンは昔ながらの町工場で、整理整頓も清掃も隅々までは行き届いていない状態。悔しさを覚えた阿部さんは2016年には製造事務所も新設。再度のアタックで認められ、ようやく世界的な家具メーカーとの取引が始まったのだ。
「後継者の気持ちで引き継いだ」。会社と技術を残すための事業承継
挑戦を繰り返してきたものの、阿部さんの挑戦はまだ終わらない。
2017年には「後継者がいない」と相談を受けた燕市のプレス工場「阿部製作所」をM&A。きっかけは金融機関からの相談だったが、決断したのは工場を見て高い技術力に惚れ込んだからだった。
M&Aとは、Mergers(合併) and Acquisitions(買収)の頭文字。しかし、阿部さんは後継者の気持ちで引き継いできた。有給や昇給制などの就業規則こそ整えたが、人材も労働条件も変えずに会社と技術を残すようにしたのだ。
燕三条の社長たちのおかげで見つけた、新たな目標
しかし、当初は何を目指せばいいか分からなかった。会社の立て直しを終え、家具メーカーとの取引が始まり、次の目標を見失っていた。そんなときに気づきを与えてくれたのが、親交のある燕三条の社長たちだった。
「別々の場でしたが、その社長たちが100億規模の会社を目指すと話をしていて、私は会社を立て直すことに必死で夢がないことに気づいたんです。何を目標にしようか迷ったのですが、やっぱり最初は数字目標が分かりやすいかなと。それで、まずは10億を目指すようになりました」
目標を声にしていくとM&Aの話が舞い込み、気づけば計4社の代表取締役に。2021年には20億規模のグループへと成長した。
燕三条とは異なる文化が育つ、ものづくりの町東大阪
燕三条が東日本で最大規模のものづくりの町なら、西日本は東大阪。しかも千代田は、ものづくりの中心に立つ企業だからこそほぼ全ての工場と連携できる。同じものづくりの町でも燕三条と文化が異なる町。気づけば阿部さんは故郷とは異なるものづくりの現場に魅了されていた。
しかも、20人規模の会社でもCAD設計士が4名もいる。「普通50人規模で1人いるかいないか。そんな会社は聞いたことがない」と阿部さんは驚いたそうだ。自分たちで企画設計ができる分、商品開発のハードルが低い。企画設計してから、3日もあれば形にできるのが千代田の強みだった。
こうして千代田を引き入れ、グループはさらに強固なものになっていった。
会社と雇用を守るため、ものづくり・価値づくり・ファンづくりに心血を注ぐ
そのために必要なのが、仕組みづくりと環境づくり。一度会社が潰れるかもしれないと瀬戸際に立ったからこそ、存続することを第一に考えている。
「会社を守るには雇用を守る必要がありますよね。そのためには仕事を増やす必要があり、ファンを作る必要がある。ファンを作るためには価値が必要で、その価値は技術がないと生み出せない。だから、アベキンの経営理念は、ものづくり・価値づくり・ファンづくりとしているんです」
アベキンの事業内容であるものづくり。そのモノを作るのは社員だ。だからこそ、5年後、10年後も安心して働けるように職場環境の改善、社員の教育にも力を入れる。掃除や挨拶、工場の整理整頓などの当たり前のことを当たり前にする環境づくりから、自分たちが作った家具を実際に見に行くなど、モチベーションの維持にも気を配る。
「埼玉県のものづくり企業で働いていた塗装職人が移住してアベキンに入った例もあります。これから全国的にものづくり会社が少なくなる中で、燕三条の価値はさらにあがっていくはず。空き家を整備したりして、全国からものづくりをしたい人が集まる仕組みを整えていく必要があると思っています」
「会社を守ろうとして挑戦に踏み込まない企業が多いと感じています。変わっていないことは衰退と同じ、変化を求めていかないと会社を続けることはできません。変化を恐れず、挑戦し続ける。これが私たちが今すべきことではないでしょうか」
ものづくりの町として全国に名を馳せるようになった燕三条。しかし、その事実とは裏腹に守りに徹する企業も多いと阿部さんはいう。会社を残すため、伝統産業を守るため、その理由は数多くあるだろう。しかし、変化を起こさなければ存続の道はない。それはアベキン自身が身をもって経験してきた事実だ。
変化こそがチャンスを生み出す。
会社を残すために貫く攻めの姿勢は、今も阿部さんの心の奥底にしっかりと流れている。
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