希少技術のチタン加工で生まれるアクセサリー。直販の力を信じた小ロットで多品種のものづくりの道
加工が極めて難しいとされるチタンを鋳造し、さらにそれを美しく磨き上げることでアクセサリーの製造/販売を行うレジエ株式会社(以下、レジエ)だ。
代表取締役を務める浅野良二郎さん(以下、浅野さん)は、いわゆる“高給取り”のサラリーマンを辞めて、製造業の道へ。それも、当時はまったくの未知の金属「チタン」を扱うメーカーを生み出した。
化学の授業でしか耳にしないチタンという名の金属。一般的に、加工は難しく、それを磨き上げることは極めて珍しい。それゆえに商品としての流通量は少ない。そんな金属のチタンを小さなアクセサリーへと昇華し、販売まで落とし込むためには、代表浅野さんの知られざる苦労や強い意思が隠されている。
異業種への転向、独立、チタンでのアクセサリー作り。
これまでに経験した苦労は数知れないはず。
いったいなぜ、未知の金属チタンを用いたアクセサリー作りへと踏み切ったのだろうか。
高給取りサラリーマンが、金属業に携わるようになるまで
時代の変遷のなかでは、金属業にもやはり流行り廃りがあるという。浅野さんがステンレスに関わることになったのは、金属加工業全体が、古くからのスタイルを見直すタイミングを迎えていたときだった。
そうしてステンレスの加工業者に入社することになった浅野さん。いわゆるサラリーマンとしてごくごく普通の生活を送っていた。
歳を重ねるにつれて、役職は付くし、給料は上がる。
順風満帆、高給取りサラリーマンにはなったものの、浅野さんのなかに芽生えたのは「このままでいいのか?」という疑問だった。
「専務、常務のように、役職が付けばその分給料は上がります。けれど、役職が付いても、退職してしまえばその役職はなんの意味も持たなくなる。サラリーマンには、そのあとに残るものがなにも無いように感じてしまったんですよね」
このままサラリーマンでいたら自分には何も残らない。それなら、大きな事業でなくてもいいから、人が出来ないことで、何か残るものをやりたい。
そう考えて会社をすっぱりと辞め、独立を決意したのは50歳を過ぎたときだった。
走り出す時が一番の負荷。溶解炉を製造し、チタンの加工をゼロからはじめた
「最初のうちは、何を強みとして事業を行うか迷っていました。そこで、日本各地に足を運び、さまざまな加工業を見て回ったんです。そんななかで、種子島宇宙センターを訪れたときに見つけたのが“チタン”でした」
「これからチタンはきっと注目されるに違いない」そう感じ、チタンで事業を興そうと考えた浅野さん。
学びがあると思って足を運んだ鯖江市。しかし、当時の鯖江市は地域の産業をオールチタン化するために、企業や市が一体となってチタン産業の活性化に取り組んでいた。新潟からやってきた浅野さんが、技術を教えてもらえるような余地はなかった。
それでも本格的にチタンの道へ───。仕事をなんとか受注する体制を作り、事業を進める方向に舵を切った浅野さん。まずはチタンを加工するための溶解炉を作る必要があった。
チタンの融点は鉄よりも高く、1600℃〜1700℃。さらに空気に触れると激しく酸化する性質があるため、真空状態での溶解が必要だった。
「大阪では上場企業が歯科用チタン溶解炉を持っていたけれど、もうやめるという話がありました。チタンは当時それほど事業化が難しい金属でした。当然、私も設備はゼロからでしたので、うちで使用する溶解炉は知り合いだった技術者にお金を先に渡し、なんとか強引に口説き落として作ってもらうことになったんです」
こうして三条に世界で最小のチタンの溶解炉が生まれた。
「それが、まったく活かせませんでした。金属が違えば、特性はまるで違うんです。だから、金属加工だからといっても活かせることはありません」
決して楽ではない道だとわかっていながらもチタンへと舵を切ることができた理由とはいったいなんだったのだろうか。浅野さんはこう語る。
浅野さんの表情から溢れる、自信。
その自信がどこからくるものなのかはわからない。しかし、当時の浅野さんには、自分たちとチタンが向き合う未来が鮮明に見えていたようだ。
なんとかチタンの知識を得ようと、時間ができるたびに三条市から鯖江市に足を運んでいた浅野さんは、徐々に地域の方々との信頼関係を育んでいった。そんなとき、チタンを使ったアクセサリー事業の話を耳にした。
それが、現在のレジエの事業へとつながる大きなきっかけとなった。
特殊金属、チタンの製造現場を覗いてみよう。
同じものは、二つとない。レジエが突出するチタンという金属の扱いと、そのやりがい
製作工程を見せてもらうために工房へと足を踏み入れてから、ほどなく聞いた言葉。一瞬、聞き間違いかと思うような、不良率の高さ。それほどこのチタンという金属は歩留まりが悪い。
レジエの工房で一つの製品ができるまでは、大きく分けて8つの工程を経る。
一瞬の気の緩みも許せない作業の一つがこのチタンの鋳造だ。
そもそも、アクセサリーの素材として日本でよく使われる金属には、金・銀・プラチナなどがある。チタンはこれらの素材に比べると平成になっても未だ驚きと発見ばかりの金属なのだ。
「ものづくりの街として知られるここ(燕三条)ですら、チタン鋳造品を美しく研磨できる工場は、他には無いかもしれません。そのくらい、他の金属よりも扱う上での難しさがあるし、研磨の技術はレジエの特徴でもあります」
浅野さんが積み上げてきたステンレスの知識も活きなければ、アクセサリーに使用される他の金属の知識すらも何一つ活きない。
今レジエが持つ技術は、チタンという素材と丁寧に向き合い続けた人の想いの証でもあり、培ってきた経験の結晶でもある。
最大限までビジネスモデルを効率化するために、レジエが生み出した生産方式
・OEMは行わないこと
・受注生産は受けないこと
・製品の質を怠らないこと
目先の売り上げを追いかけることなく、まずは足場を固めること。
レジエを成長させるために浅野さんがなによりも重視したことは、チタンのことを何一つ知らない人に対して、チタンの魅力を届けることだった。
製品の質は、ものづくりをする上でなによりも忘れてはならない。
そんな浅野さんの気概が今のレジエの事業体制にも現れている。
「どれでもいい」ではなく「これがいい」。
消費者がそうして自ら選ぶモノには、愛着が湧くし、良さを誰よりも実感できるのだろう。
変わらないことは、直販の力を信じ続けること
「チタンのアクセサリーって、パッと見ただけでは良さや凄さが伝わりにくいんです。見た目も触り心地も、特別というほどではありませんから。けれど、直販なら製品のポイントや、チタンの金属の特徴なんかを一つずつしっかりと伝えることができますよね」
「言葉で伝えてこその、チタンの価値。だから、催事をはじめとしたダイレクトに販売できる場をなによりも大切にしています」
レジエで販売しているアクセサリーのデザインは、100種類を超える。そのすべてはこの場所で、ジュエリーデザイン経験者や芸術大の出身者などに依頼し、自社でデザインされている。
デザインも、生産も、販売もどれを取っても手間がかかる。それでも、大量生産に踏み切ったことも、品質を落としたことも今まで一度すらない。
だからこそ、レジエの製品には、丁寧な職人の技と気持ちが合わさったがゆえの希少価値があるのだ。
もし、会社の売り上げを増やしたいと思うのであれば、大量生産に踏み切った方が良いかもしれない。もっと効率よく生産したいと思ったのなら、チタンではない金属に切り替えた方が良いかもしれない。
けれど、浅野さんはそのどちらにも踏み切らなかった。
「チタンの魅力を、丁寧に、じっくりと届けること」にこそ価値があると考えてのことだろう。
アクセサリーを通じて、日本中の人と繋がる
売り上げは伸び、事業としては順調と言えるのかもしれない。
けれど、レジエの「ものづくり」の在り方はそれでいいのだろうか。
答えは“否”だ。
「これまで、僕らは直販のお客様を大切に、いつか還元できるようにと、販売を続けてきました。その例として、電話でお客様一人ひとりのお問い合わせにこたえてきました。アクセサリーの修理を必要としている方には、無料で修理することも。そうした地道なことをずっと続けていると、『電話の対応が良かったから』『無料で直してもらったから』とお礼の品やハガキを送ってくださる方もいます。これは、ダイレクトにお客様と接してきたからこそ生まれた関係性だと思うんです」
チタンアクセサリーの存在をたくさんの人に届ける方法なら、“ダイレクト”は正攻法ではないような気もする。これだけインターネットの力が莫大なのであれば、電波の力に頼りながら届けていくほうが事業拡大のスピード感は増すかもしれない。
そう考えて下した結論が、原点でもある“ダイレクト販売”だったのだろう。
「まずは足場を固めることからだね」と柔らかな声で語る浅野さんの姿から、堅実さと確固たるものづくりの強さを感じた。
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