同業も一目置く鍛冶職人。切り出しの文化を絶やさないために。増田切出工場
この地に根差し、片刃で万能型の刃物の切り出し*を作る鍛冶職人の増田健さん(以下、健さん)。増田切出工場の二代目として、一つひとつを昔ながらの鍛接**を中心に作ってきた、切り出し一筋53年余りの熟練職人です。平成28年には伝統工芸士にも認定され、切れ味抜群のその技術を習得しようと、県外からも弟子入りにくる人がいるほど。
最近では息子の吉秀さんが後継ぎとして入り、新しい取り組みも注目されています。
時代の流れに決して迎合することもなく、ひとつのものを突き詰めて作り続けてきた増田切出工場のこれまでとこれからに迫ります。
「俺にはこれしかない」
妥協せずに先代の思いを受け継いだ2代目
今となっては、それほど切り出しは私たちの日常生活から遠のいてしまいました。
切り出しの姿かたちには多くの種類が存在します。基本的には木を削る用途で作られたものですが、その汎用性の高さから曲面を切るもの、平面を切るもの、用途に合わせて変化して市場に出回り、生活者や仕事人たちをあらゆるシーンを支えてきたのです。
戦後の日本では学校教材として扱われるようになり、生徒の筆箱には当たり前の様に切り出しが入っていました。このころ、三条市内で切り出しを専門に作る業者は30軒近くあったといいます。
しかし、時代は大量消費の大量生産。
学校教材からも切り出しは姿を消し、30あった業者は「儲からないから」と工場を閉め、現在では切り出しの工場は増田切出工場を含めて2軒を残すのみです。
───健さんは二代目と伺いましたが、増田切出工場は健さんのお父様が創業されたのでしょうか。
健さん:元々は父方の叔父が梅心子という、同じ三条で切り出し刃物を作っている会社に弟子入りしたのがきっかけです。叔父が切り出しの職人として独立したとき、一緒に住んでいた父親も手伝いをしていたんです。そこから分かれ父親が創業したのが「増田切出工場」です。
───はじめは健さんの叔父さんが切り出しをされていたんですね。
健さん:はい。増田切出工場の主力商品のひとつ「坂光」は母方の叔父が作っていたもので、私が後を継いで作るようになりました。
効率化と手作業の間で
健さん:そうですね…。「切り出しの工場として自分たちだけでも残ろう」という先代の思いがあったからですね。それに、材料屋から利器材を仕入れたことによって、手作業の頃よりも数を多く作れるようにもなりました。
───利器材というのは…?
健さん:利器材とは、すでに鉄と鋼がついている複合材のことです。切り出しをはじめとした刃物を作るときには、まず鉄と鋼の鍛接が必要になります。利器材はその工程がすでに済んでいるので、従来よりも早く安定した生産をすることができます。うちの工房でも、この利器材と鍛接を使い分けることで生産しています。
───ある程度の工程を機械化したり工夫して、必要な工程を手作業で。質の高いものづくりを量産するのは他のものづくりと同じですね。
健さん:そうですね。でも実は、鍛接じゃないとできない切り出しもあるんです。切り出しの金属部分の厚みにあたる部分を「肉」と呼ぶのですが、この肉に角度をつけて切れ味を良くすることは利器材ではできないんです。
───ゼロから作るからこそ、細部の調整が可能になるんですね。
健さん:そうです。それに、用途に合わせて切り出しの形を自在に変えることができたのもそれのおかげですね。
───この工房を見るだけでも色んな種類の切り出しがありますね。
健さん:基本的にうちの発注は問屋さんを通してくるので特殊な形状でも、実際にこれらがどの様に使われているのかは、作る僕たちは分かっていないんです。
感覚の世界で生きる、鍛冶職人の姿
健さん:高校生のときは三条にいたくないと思い、卒業したら大阪へ行くつもりでした。けれど、高校2年生のとき母親が病気になり、中退して家業を手伝うことになりました。
───家業に移ってからは、ずっと切り出しを作り続けてこられたんですか?
健さん:切り出し一筋で、もう53年経ちます。
───すごい…。切り出し以外にも種類を他に増やしたり、別のものに主軸を移したりしようとは思わなかったんですか?
健さん:全く思わなかったです。営業は問屋さんに任せていましたし、俺にはこれしかないから。
───健さんは今では伝統工芸士に認定されるほどの腕前ですが、若いころはどうやって切り出しを作る技術を磨かれてきたのでしょう。
健さん:先代からは特に教わらず、とにかく見て覚えました。冶金学(やきんがく)の第一人者で三条鍛冶道場の師範・岩崎重義さんの話を聞いて勉強したり、他の師範が教える内容を見聞きしたりして自分の仕事に活かします。
───目で見て、実際にやって…。そうして技術を磨いてこられたのですね。
健さん:教えたものって身につかないんですよ。自分で見つけていかないと。
───自分で感覚をつかむまで、大変そう…。
吉秀さん:最初は切り出しを1,000本作って全て失敗してもいいという感じです。そこから学ぶことがたくさんありますし、その過程が大切なんだと思います。
───やっていく中で研究されたりは?
健さん:私ほど鍛冶屋で研究をしていない人はいないんじゃないでしょうか(笑)顕微鏡覗いてもわからないですし、もうずっとこのやり方なので。強いて言えば、腕のいい人を見て盗むことが、私の研究ですよ(笑)。
次世代の職人、吉秀さんの外に出てから知る自分の手で作るものづくりの面白さ
吉秀さん:金型*の会社に勤めていました。その工場でも徐々に機械化が進み、パソコンでデータを作り、NC加工機を使って機械でものが作られる工程に面白みを感じなくなってしまいました。5年くらい前でしょうか。そのときから、自分の腕さえあればなんでも作れる実家の鍛冶屋の魅力に、だんだんと惹かれたんですよね。
吉秀さん:まだ家業に入って一年経っていませんが、頭に描いた形を、実際に叩いて思い通りに仕上げられたときはたまらないです。そこが難しいところでもあるんですけどね。
───思い通りの形にはまだいたっていない…?
吉秀さん:そうですね。だからとにかくまずはやってみて、失敗したら前の工程のあれがだめだったのかもしれないと、振り返って考えます。スポーツの反復練習のように、繰り返しやって、思い描いた通りに体を動かせるように、理想とのギャップを埋めていくんです。
───出来上がった切り出しを見て「ここがだめだ」と分かるものなんですか?
健さん:焼きの入りが甘いと、ぼやっとして鋼に艶がなかったりするんですよ。
吉秀さん:感覚の世界なんです。刃物の仕組みや工程の流れを理解した上で、機械に慣れることと、自分の思い通りにできるようにならないと鍛接はできないんです。
───感覚を身体に覚えこませないといけないんですね…。今はオールハンドでものづくりをする中で、今までの仕事との違いを感じられることはありますか?
吉秀さん:金型も切り出しも、鉄を扱う仕事なので基本は似ている面もあります。昔の金型屋もオールハンドでやっていたので原点に戻ったという感覚です。と言いながら、今までの仕事も忘れられず、機械を買っちゃったんですけどね(笑)
吉秀さん:切り出しに模様やネームを入れたり、木材を削ったりするときに使います。昔は模様を入れるのは彫金師*の仕事でしたが、機械があるなら使ってしまおうと。深さや形状を簡単に変えることができます。
───基本は手でやりつつ、こうした最新の機械を使った新しい要素も取り入れていくんですね。
吉秀さん:切り出しは今となっては木工や大工道具で使う方しかいなくなっていますが、それだけにこだわらず色んな用途で使えるようにしていきたいと思っています。家業に入るまでは分かりませんでしたが、使ってその万能さに気づきました。切り出しの良さを知ってもらいたくてプラスチック金型のバリ*取り専用の切り出しを作って、新潟県内のデザインコンペティションに応募しました。バリ取り作業のときに食い込みすぎないように刃の形状も変えました。
───なるほど!それは金型屋にいたからこそのアイディアかもしれませんね。
吉秀さん:自分が金型屋にいたときは思いつきませんでした。金型屋から切り出しの注文をもらった際に用途を聞いて、なるほどと思いました。
吉秀さん:今はこのバリ取り専用の切り出しは売れる段階ではありません。どんな形や軽さ、刃がいいのか、周りの工場に聞きながら改良しているところです。
健さん:これ、親子合作なんです。二人で朝が来るたび「こんな感じで、どうら!」って…。開発中はわくわくして寝られませんでしたよ(笑)
まるで機械のような正確さ。実際にってみて初めて分かった、父親の偉大さ
健さん:難しさ、ね…。一番難しいのは裏どりかな。上手にハンマーを使って、ねじまがらないように刃の裏側を作るんです。
───裏をつくる、というのは…。
健さん:実際見た方が早いね。ちょっと待っててください。
───ありがとうございます!
ここからは作業場へ移動し、切り出しを実際に作っていただきました。
1.地金を温める
2.鋼付け
3.にくどり
4.焼きなまし
5.裏どり
にくが斜めになっているので、裏がいびつに曲がらないよう、ハンマーを扱うのが一番難しいポイント。うまくいかないと鉄と鋼のつなぎ目に穴が開いてしまうこともある。
6.成形
7.焼き入れ
8.研ぎ
───見ていると簡単そうに見えますが、簡単には出来ないですよね。
吉秀さん:私も家業に入りたてのときは、親父がやったあと自分でやると「こんなに違うのか」と驚きました。
健さん:一通り教えたら、あとは感覚をつかむまでやり続けるのは本人ですから。
健さん:はい。ハンマーの当たる面を少しだけ変えています。真っすぐに鋼が延びる面と、にくどりをする面とで分けて叩いています。
吉秀さん:見ていても分からないですよね。機械に慣れることと、自分の思い通りに体を動かせるようにならないと、この工程はできません。刃物の仕組みも理解できるようにならないと難しいですね。
───健さんの技術の中で、特にどこが凄いのでしょうか。
吉秀さん:左手の感覚です。鋼付けや裏どりを行うとき、右手で金槌を左手でハシを持つのですが、普段は左手は使わないので、ハシを持つ感覚が難しいんです。右手の金槌の扱いひとつみても父親は機械なんじゃないかってくらい正確です。親子って大変で、尊敬していても、親父からのアドバイスは素直に聞けず反発しちゃいます(笑)それでも、親父のことは師匠だと思っています。本人には絶対言いませんが(笑)
伝統を革新させる、増田切出工場の次なる試み
健さん:自分たちは問屋さんと仲が良くて、全ての商品を経由しています。
───取引先は100%問屋さんですね。
健さん:昔も今も、問屋さんを介して学校やホームセンターに卸しています。商品と同じくらい、人間性も買ってもらっているし、営業も問屋さんが代わりにやってくれたりしています。量産に移ったときも、材料屋さんに利器材*を紹介してもらいました。
───ひとりの「人」として、付き合いがあれば良い関係でいられますよね。
吉秀さん:家業に入ったとき、親父にとにかく外へ出ろと言われ、問屋さんをはじめ色んな方に会う機会がすごく増えました。そこから注文いただくことも増えてきたので、とてもありがたいです。人間関係も親父を見ながら学んでいるところです。
吉秀さん:そこはまだ考えているところです。実はオンラインショップに挑戦してみたいのですが、今まで問屋さんに任せっきりでマーケティングがわからないんです。金型屋の知り合いづてに広げていったり、三条ものづくり学校のイベントなどに出店して直接販売していったりすることも考えてはいるのですが…。
───最近では燕三条が刃物の産地として注目を集めていますが、何か変化を感じていますか?
───それは面白そう。アニメでしか見たことがないです。
吉秀さん:たたらは昔ながらの製鉄法なんです。たたら製鉄に関してはまだまだ私もわからないことが多いので、やってみたいと思いますね。
───刃物の原点も、新しい取り組みも大切にされているんですね。
産地で働くことのメリットとこれからの日本の刃物業界
───二瓶さんはなぜ増田切出工場に修行に来ようと思われたんですか?
───作り方を学べば知識が深まりますもんね。。
二瓶さん:時代の流れもあり、全国的に鍛冶屋さんがものすごく減っています。それに対して、日本の刃物はどんどん海外へ進出しているので、私たち小売業者も入手しにくくなってきています。地方で刃物の販売店をやっていくには、自分で作れなければ数年で店を畳まないといけなくなるという危機感もありました。
健さん:彼は3年ほど修行していますが、腕がいいですよ。鋼*もちゃんとつきましたし。
二瓶さん:研ぎだけじゃなく、実際に鍛冶をできる工房も併設できるようにしたいと思っています。職としての鍛冶文化を残していきたいんです。
───身近に工場や技術者がいるのは産地の強みですね。
吉秀さん:一つの工場だけが製品を作るのではなく、燕三条の色んな工場が協働して一つの製品を作ることはこの地域の特徴ですからね。
二瓶さん:日本の刃物は今どんどん世界に進出していますし、世界中から注目されている今が何か始めるチャンスだと思っています。日本の鍛冶文化を残せるように今、波に乗らないと。
主役じゃないけど、これがないと始まらない。ものづくりの名脇役、切り出しのこれから
健さん:せがれが話したように、木工だけじゃなくて色んな用途で使ってほしいです。
吉秀さん:そのためにもお客様第一で、使いたいと思っていただけるものを作っていきたいです。自分たちが作りたいものを作って「かっこいいだろう」と言っても、刃物は使ってもらわないと意味がありませんからね。
───若い世代は切り出しのことも知らない人が多いと思います。そういった方にもアプローチしていきたいのでしょうか。
健さん:もちろん、子どもにも使ってほしいですね。
吉秀さん:うちの子供に切り出しで鉛筆削らせたら、まあ下手で。こうした使い方も教えていきたいです。うちの切り出し使ってくれているのは大工さん以外にも楽器作りの職人さんや、植木屋さんなんかもいます。ものづくりする人はこれを使って製品を作っています。主役じゃないけど、「これがないとものづくりができない」っていう役割が切り出しにはあるんです。それを伝えていきたいです。
当たり前をやり続けることは簡単なようで難しいことです。その土地の文化を残していくということは、「切り出しは儲からない」という目先の利益を追わず、健さんのように当たり前を繋いでいくことなのかもしれません。
そうして繋がった文化は吉秀さんや二瓶さんにも受け継がれ、新しい日本の鍛冶文化として未来へと紡がれていくのでしょう。
「鍛冶屋にゴールなんてない。ゴール作ったらそこで終わりだよ」
そう話す健さんの言葉に、時代を越えたものづくりの価値を見ることができた気がします。
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