2019.5.15 UP

「なくなりゆく道具」との向き合い方 
大工の三種の神器、墨つぼの終焉を見つめる

時代はゆるやかに前進すると同時に、獰猛に昔ながらの文化を呑み込んでいきます。
もちろん、ものづくりの世界も例外ではありません。

近代建築技術が確立される以前、日本の大工たちは「三種の神器」と呼ばれる大工道具を担ぎ、数々の現場に出向いたものでした。

「三種の神器」とは、手斧(ちょうな)、指金(さしがね)、墨つぼのことを言います。
かつては、大工仕事に欠かせない基本道具として重宝された品々ですが、今では技術向上の影に隠れ、第一線から姿を消しつつあります。

今回取材させていただいた「壺静 たまき工房」は、昔ながらの伝統技法に則って、墨つぼをつくり続ける工房のひとつ。

今では全国で3か所しか無いと言う伝統的な墨壺の工房は、そのすべてが新潟県三条市内にあります。

 
 

奈良時代の遺構に残る、墨つぼの足跡

墨つぼの用途はご存知でしょうか。

 

 

平たく浅くくぼんだ椀と手車、それらを繋ぐ装飾具。一見しただけでは、その使い道は想像に容易くありません。

現代で用いられる巻き尺や定規に代わり、木材を切断する真っ直ぐな目安線を引く測量器具だったとは、説明をされるまでなかなか理解し難いものです。

線を引くために必要なものは、墨つぼとピンをつけた糸、そして墨汁。

下準備として、手車に糸をぐるぐると巻き付け、墨汁を椀に注ぎ込みます。

線を引く視点となる地点にピンを指し、終点まで糸を伸ばしてから指で弾くと、墨が跳ね、跳ねた後に長い直線が残ります。

8世紀中頃に建立された東大寺南大門(奈良)の天井からは、当時使われたとされる墨つぼが発見されています。現代にまで生き残る墨つぼは、その姿を大きく変えること無く、12世紀の年月をかけて使われてきた、大工の知恵のひとつです。

 
 

墨つぼ職人が唯一生き残った土地 三条

 

 

墨つぼは地域特有の道具ではなく、全国規模で普及した道具です。
元々は専門技師に依頼するものではなく、自分が使う道具は自分で作るという心意気から、大工自ら手を動かし、自作し、その出来栄えや腕前を自慢していたと言います。

であればなぜ、現代において個人の技術が三条にだけ受け継がれたのでしょう。
理由を紐解くと、時代を問わず、ものをつくる技術や質の向上を追求する、この地の近代化に関係することが見えてきました。

 

壺静たまき工房 田巻勇一さん
「三条の墨つぼ作りが今に残ったのは、効率的な生産を追求したからこそ。他の地域に比べて、機械をいち早く導入した三条は注文を大量に捌くことができたので、全国各地から注文が殺到しました。大工は大工仕事に専念できるとなったら、それはうれしいですよね。」

しかし、これは木製の墨つぼが主流だった時代まで、と田巻さんは続けます。プラスチック製の墨つぼが登場した20世紀初頭を境に、木製の、昔ながらの墨つぼを使う人は徐々に減っていきました。

 

田巻さんの工房にある切削用の機械。一度に成型できる数が大幅に増え、大量生産が可能に。

 
 

父の背中を見てこの道へ。
中学時代から歩み始めた職人人生。

 

 

田巻さんが墨つぼ職人の道に足を踏み入れたのは、中学生の頃。

「昔は、みんな何の疑いもなく家業を継ぐものだと思って、早50年。もう70歳になります。父と叔父の手伝いから始めて、あっという間ですね。当時は、足を広げて座っていることさえ辛かったのをよく覚えていますよ。」

 

 

昔ながらの墨つぼ作りは、全身の力まんべんなく使う体力仕事。
両足裏を合わせるようにして座り、左右から木材を支える基本姿勢で慎重に、ゆっくりとノミを滑らせ、大枠の形を整えていきます。

道具を握りしめ、作業に取りかかると、田巻さんの雰囲気は一変。瞬時に精悍な職人の顔になりました。

タンタンタン、タンタンタン

木の塊をノミでつく、高い音が工房に響きわたります。

 

 

思わず黙り込み、じっと田巻さんを見つめる取材陣。
またたく間に、手に取る道具がどんどん入れ変わっていきます。

 

 

「叩きっぱなしだと荒くなりますので。細かいところまで綺麗にしてあげないと。」

荒削りの部分まで丁寧に。
小刀で伸びやかに、全体をならしていきます。

墨つぼの完成までに使用するノミの数は、約50本。
抉りとる深さや、彫り進める溝の細さに応じて、適材適所に使い分けます。

 

近隣の墨つぼ工房から、主である職人が亡くなった際に譲り受けたものも多い。
彫りこみの少ない、シンプルな墨つぼだとしても、出来上がりまでには、半月ほどの時間を要します。

「手の混んだ彫りをご注文いただくと、何年経っても納品できなくて。時々、注文が忘れられていないかと心配されたりします(笑)」

 

他社ブランドも委託製造する。機械で成型した後、手彫りで仕上げていく。
当然のことですが、細かい装飾が多いほど、作業時間も長く、集中力が求められます。

だからこそ、効率的に、正確に作業時間を縮小してくれる機械は、強い味方。昔ながらの手彫りにこだわることも大事ですが、できることは機械にしてもらうことは、任せてしまう。

人間が必要な作業に集中できるための環境づくりも、技術が生き残るヒントです。

 

壺静たまき工房は、田巻さんと奥さんのお二人で切り盛りしてきた
実際に、どんな機械があるのか、工場を見学させていただきました。
まず最初に、拝見したのは木材置き場。

ここには、大きな一枚板が何枚も天井高く積み上げられて保管されています。

 

 

そのほとんどが、ケヤキの板。
主要木材であるケヤキは木目の美しさはもちろん、力強く、強靭なしなやかさと、狂いの少ない耐久性が実用的です。

丸太の状態で仕入れた板は、屋外で丸5年の時間をかけてゆっくりと自然に乾燥させていきます。熱や温風を加え、人工的に乾燥させることもできますが、木本来の反りやたわみが出ないよう、木材そのものに無理の無いやり方で寝かすのがここでのやり方。

 

 

実に、丸5年以上の時間をかけて乾燥させた木材は、具合を確認してから、加工工程に進みます。

加工の第一ステップとなる切り分け。

アタリをつけ、補助線を引かずに、まっすぐに厚い板に丸ノコを入れていきます。定規を当てず、目測で板を切り落とす作業でも、田巻さんに迷いはありません。

 

 

一枚板から直線切り出しされた墨つぼの原型。
ギターのような切り出しからは、まだ完成形が想像できません。

 

 

次の作業場で行われるのは、削り出しです。
先ほど切り出した木材と対になるようにして、見本品をセット。見本品の形状を機械が読み取り、先ほど切り出した角材は、見本品をコピーして、同じ形状に切り出されていきます。

 

まるで、墨つぼ特化型3Dプリンター?

 

 

大枠が見えてきたら、最後に墨汁が溜まるくぼみをドリルで開けていきます。

 

 
 

 

20分程度で、あっという間に成形されてしまいました。
機械を交えると効率がぐんと上がる、ということを頭でわかっていても、圧倒的に早い職人技にすっかり脱帽です。

そして、墨つぼ職人の力量が試されるのはここから。
最後の仕上げは、しっかりと人間の手で。
文字通り腰を据えて、五感を頼りに整えていきます。

 

 

 
 

彫りは本物のように。息を呑むくらいの圧で、ちょうどいい。

墨つぼ職人の腕の良さが問われるのは、なんと言っても「彫り」の部分。

 

鶴と亀が向き合った、めでたいあしらい
「鶴は千年、亀は万年」でお馴染み、縁起物の鶴と亀。

墨つぼのスタンダードな意匠として、よくあしらわれますが、装飾部分のモチーフに決まりはありません。
田巻さんもお客様の要望次第で、どんなデザインでも掘り起こします。

 

 

「以前、大阪の宮大工さんから依頼を頂いて、四神獣*を彫った墨つぼを制作したのですが、それを気に入ってくれたようで。『今度は四神獣に麒麟と鳳凰も加えた墨つぼを彫ってくれ』と頼まれました。これはどうしたものか、とちょうど考えこんでいるところです。ひとつの墨つぼに、どうやって6匹を埋め込もうかと(笑)」

*四神獣…東西南北を司る霊獣のこと。東の清龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武がいる。

 

基本的にどんな注文も断らない田巻さん。
オーダーによって作りやすいものがあったり、作りにくいものがあったりするのは当たり前のこと。

イメージが湧きづらいものはインターネットで資料を探し、集めた素材を元に彫りを起こしていくそうです。

「同じものを彫るのであれば、できるだけ生き生きした表現をしたいと思っています。
どちらかと言うと、畏怖を感じるようなリアルさがいいな。そのために、手間はかかるけれどあえて深めに彫ることにこだわっています。」

 

まるで生きているかのように、首をもたげて足を踏ん張る亀
彫りを深くいれるということは、手間だけではなく、高い技術力が求められます。

「この亀、実は足を掘り出して、お腹のところを浮かせているんですよ。他の職人は、おそらくはやっていないでしょう。自分なりにこだわった部分です。どこかにぶつけると折れちゃうから、実用には向いていないかもしれないですけれどね。」

田巻さんが手掛ける、彫刻の施された手彫りの墨つぼは、その贅沢さから、今や記念品や美術品としての需要が大半を占めます。

特注品の相場は、おおよそ30万円前後。

凝った、技巧的なものであれば、60万円の値が張ることもあるそうです。こうした特注品は、何かの節目に、と手練の宮大工からの依頼が多いようです。

 

 

新しい形を彫れば彫るほど、自分の作風も変わっていきますね。10年前に作ったものを見ると、こんなのを良くも売っていたな、と思います。だからといって、どんどん上手くなっているかというと、どうだろうなぁ……。墨つぼの受注自体が減っていて、残念ながら作る頻度が少なくなっているから。もっと多く作っていたら、もっとうまくなっていたかもしれませんね。」

現在、田巻さんの仕事のうち、墨つぼ制作が占める割合が2割程度。それ以外は、知人のツテで依頼される木工仕事がほとんどです。

 

 

「漁師さんが魚を獲る網を修理する時に使う『編み針』や、義足のパーツなど、依頼が来ればだいたい受けていますね。でもやっぱり、需要が減っていてもなんでも、ウチのメインは何かと言われれば、墨つぼです。」

 

約20年前に、木工協会に頼まれて作ったスニーカー型の手彫りオブジェ。なめされた革の質感がつややかに再現されている。

 
 

いつか無くなるならば、良い物を作り続けることが使命

「各地で行われるクラフトフェアには積極的に出展しているのですが、最近は墨つぼを見て『これなんですか?』と聞かれることが増えました。大工の現場でも、製材場でカットした板が現場で使われるようになりました。プラスチック製の墨つぼを使う機会すら、少なくなっているんです。」

しかし、昔から使われてきたこの美しい墨つぼには、数は少なくとも、根強く、心強い声も届き続けています。

神社仏閣の修繕を専門とする宮大工の中には、「昔と同じ道具で、同じやり方をしないと、同じものはできない」と信念を貫く人がいます。
世界遺産の修復なども手掛ける、京都の宮大工からは、「こっちの店には墨つぼが置いてない」と電話で注文が来ることもあります。

 

 

求められる声は確かに、あります。

ですが、後継者の育成が必要かと問われると、その必要は無いと、田巻さんは答えます。

 
 

広める努力よりも、良い道具を後世に残すために。

 

「今まで十分、墨つぼを広める努力はしました。けれど、正直な話、これからも墨つぼ作りが続いていくことはないと思うんです。生活する上で必要がなくなった、という事実を受け止めることも必要。大工さんも時々は買ってくれますが、『使わないよ。飾っとくんだ』という人がほとんどですしね。」

実用品だったはずの墨つぼが、本来の機能を失っている。

その事実は確かに田巻さんの心を曇らせはしますが、それでも、道具を生かし続けてきた職人として、どうしても譲れないことがあります。

 

 

「腕が悪い者が残ったとだけは言わせたくない。その一言を言わせないために、誇りを持って作り抜く。それこそが、現代に生かされた墨つぼ職人である、自分の責任だと思っています。」

70歳を前に、毅然とした態度で時代を受け入れる田巻さん。

墨つぼという、人々の衣食住に関わる道具がこの時代に確かにあったこと。

腐らぬよう、死なぬよう、そしてまだ、すこしでも生き続けるよう、彼と、彼の墨つぼは、時代の端っこで密やかに、でも確実に命を灯し続けます。

「かつて、龍が墨色の糸を吐いた跡が、和の心の拠り所、東大寺を作り上げた」のだと。

 

 

 
 

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壺静 たまき工房

〒955-0845 新潟県三条市西本成寺2丁目15番8号
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FAX:0256-35-4016