「なくなりゆく道具」との向き合い方
大工の三種の神器、墨つぼの終焉を見つめる
もちろん、ものづくりの世界も例外ではありません。
近代建築技術が確立される以前、日本の大工たちは「三種の神器」と呼ばれる大工道具を担ぎ、数々の現場に出向いたものでした。
「三種の神器」とは、手斧(ちょうな)、指金(さしがね)、墨つぼのことを言います。
かつては、大工仕事に欠かせない基本道具として重宝された品々ですが、今では技術向上の影に隠れ、第一線から姿を消しつつあります。
今回取材させていただいた「壺静 たまき工房」は、昔ながらの伝統技法に則って、墨つぼをつくり続ける工房のひとつ。
今では全国で3か所しか無いと言う伝統的な墨壺の工房は、そのすべてが新潟県三条市内にあります。
奈良時代の遺構に残る、墨つぼの足跡
現代で用いられる巻き尺や定規に代わり、木材を切断する真っ直ぐな目安線を引く測量器具だったとは、説明をされるまでなかなか理解し難いものです。
線を引くために必要なものは、墨つぼとピンをつけた糸、そして墨汁。
下準備として、手車に糸をぐるぐると巻き付け、墨汁を椀に注ぎ込みます。
線を引く視点となる地点にピンを指し、終点まで糸を伸ばしてから指で弾くと、墨が跳ね、跳ねた後に長い直線が残ります。
8世紀中頃に建立された東大寺南大門(奈良)の天井からは、当時使われたとされる墨つぼが発見されています。現代にまで生き残る墨つぼは、その姿を大きく変えること無く、12世紀の年月をかけて使われてきた、大工の知恵のひとつです。
墨つぼ職人が唯一生き残った土地 三条
元々は専門技師に依頼するものではなく、自分が使う道具は自分で作るという心意気から、大工自ら手を動かし、自作し、その出来栄えや腕前を自慢していたと言います。
であればなぜ、現代において個人の技術が三条にだけ受け継がれたのでしょう。
理由を紐解くと、時代を問わず、ものをつくる技術や質の向上を追求する、この地の近代化に関係することが見えてきました。
しかし、これは木製の墨つぼが主流だった時代まで、と田巻さんは続けます。プラスチック製の墨つぼが登場した20世紀初頭を境に、木製の、昔ながらの墨つぼを使う人は徐々に減っていきました。
父の背中を見てこの道へ。
中学時代から歩み始めた職人人生。
「昔は、みんな何の疑いもなく家業を継ぐものだと思って、早50年。もう70歳になります。父と叔父の手伝いから始めて、あっという間ですね。当時は、足を広げて座っていることさえ辛かったのをよく覚えていますよ。」
両足裏を合わせるようにして座り、左右から木材を支える基本姿勢で慎重に、ゆっくりとノミを滑らせ、大枠の形を整えていきます。
道具を握りしめ、作業に取りかかると、田巻さんの雰囲気は一変。瞬時に精悍な職人の顔になりました。
タンタンタン、タンタンタン
木の塊をノミでつく、高い音が工房に響きわたります。
またたく間に、手に取る道具がどんどん入れ変わっていきます。
荒削りの部分まで丁寧に。
小刀で伸びやかに、全体をならしていきます。
墨つぼの完成までに使用するノミの数は、約50本。
抉りとる深さや、彫り進める溝の細さに応じて、適材適所に使い分けます。
「手の混んだ彫りをご注文いただくと、何年経っても納品できなくて。時々、注文が忘れられていないかと心配されたりします(笑)」
だからこそ、効率的に、正確に作業時間を縮小してくれる機械は、強い味方。昔ながらの手彫りにこだわることも大事ですが、できることは機械にしてもらうことは、任せてしまう。
人間が必要な作業に集中できるための環境づくりも、技術が生き残るヒントです。
まず最初に、拝見したのは木材置き場。
ここには、大きな一枚板が何枚も天井高く積み上げられて保管されています。
主要木材であるケヤキは木目の美しさはもちろん、力強く、強靭なしなやかさと、狂いの少ない耐久性が実用的です。
丸太の状態で仕入れた板は、屋外で丸5年の時間をかけてゆっくりと自然に乾燥させていきます。熱や温風を加え、人工的に乾燥させることもできますが、木本来の反りやたわみが出ないよう、木材そのものに無理の無いやり方で寝かすのがここでのやり方。
加工の第一ステップとなる切り分け。
アタリをつけ、補助線を引かずに、まっすぐに厚い板に丸ノコを入れていきます。定規を当てず、目測で板を切り落とす作業でも、田巻さんに迷いはありません。
ギターのような切り出しからは、まだ完成形が想像できません。
先ほど切り出した木材と対になるようにして、見本品をセット。見本品の形状を機械が読み取り、先ほど切り出した角材は、見本品をコピーして、同じ形状に切り出されていきます。
機械を交えると効率がぐんと上がる、ということを頭でわかっていても、圧倒的に早い職人技にすっかり脱帽です。
そして、墨つぼ職人の力量が試されるのはここから。
最後の仕上げは、しっかりと人間の手で。
文字通り腰を据えて、五感を頼りに整えていきます。
彫りは本物のように。息を呑むくらいの圧で、ちょうどいい。
墨つぼのスタンダードな意匠として、よくあしらわれますが、装飾部分のモチーフに決まりはありません。
田巻さんもお客様の要望次第で、どんなデザインでも掘り起こします。
基本的にどんな注文も断らない田巻さん。
オーダーによって作りやすいものがあったり、作りにくいものがあったりするのは当たり前のこと。
イメージが湧きづらいものはインターネットで資料を探し、集めた素材を元に彫りを起こしていくそうです。
「同じものを彫るのであれば、できるだけ生き生きした表現をしたいと思っています。
どちらかと言うと、畏怖を感じるようなリアルさがいいな。そのために、手間はかかるけれどあえて深めに彫ることにこだわっています。」
「この亀、実は足を掘り出して、お腹のところを浮かせているんですよ。他の職人は、おそらくはやっていないでしょう。自分なりにこだわった部分です。どこかにぶつけると折れちゃうから、実用には向いていないかもしれないですけれどね。」
田巻さんが手掛ける、彫刻の施された手彫りの墨つぼは、その贅沢さから、今や記念品や美術品としての需要が大半を占めます。
特注品の相場は、おおよそ30万円前後。
凝った、技巧的なものであれば、60万円の値が張ることもあるそうです。こうした特注品は、何かの節目に、と手練の宮大工からの依頼が多いようです。
現在、田巻さんの仕事のうち、墨つぼ制作が占める割合が2割程度。それ以外は、知人のツテで依頼される木工仕事がほとんどです。
いつか無くなるならば、良い物を作り続けることが使命
しかし、昔から使われてきたこの美しい墨つぼには、数は少なくとも、根強く、心強い声も届き続けています。
神社仏閣の修繕を専門とする宮大工の中には、「昔と同じ道具で、同じやり方をしないと、同じものはできない」と信念を貫く人がいます。
世界遺産の修復なども手掛ける、京都の宮大工からは、「こっちの店には墨つぼが置いてない」と電話で注文が来ることもあります。
ですが、後継者の育成が必要かと問われると、その必要は無いと、田巻さんは答えます。
広める努力よりも、良い道具を後世に残すために。
実用品だったはずの墨つぼが、本来の機能を失っている。
その事実は確かに田巻さんの心を曇らせはしますが、それでも、道具を生かし続けてきた職人として、どうしても譲れないことがあります。
70歳を前に、毅然とした態度で時代を受け入れる田巻さん。
墨つぼという、人々の衣食住に関わる道具がこの時代に確かにあったこと。
腐らぬよう、死なぬよう、そしてまだ、すこしでも生き続けるよう、彼と、彼の墨つぼは、時代の端っこで密やかに、でも確実に命を灯し続けます。
「かつて、龍が墨色の糸を吐いた跡が、和の心の拠り所、東大寺を作り上げた」のだと。
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