暗闇に差す一筋の光を目指して。いち早く機械化に着手した皆川彫金所の戦い
その金物製品づくりを陰で支える彫金師の存在をご存知でしょうか?
包丁やハサミ、金型*などに刻印を施したり、模様や文字を彫ったりする金物とは切ってもきれない存在です。これまでの彫金は主にたがね**とハンマーを使い手作業で行っていて、未だに刻印を手作業でする鍛冶職人もいるほどです。
包丁やハサミ、金型*などに刻印を施したり、模様や文字を彫ったりする金物とは切ってもきれない存在です。これまでの彫金は主にたがね**とハンマーを使い手作業で行っていて、未だに刻印を手作業でする鍛冶職人もいるほどです。
皆川彫金所は、燕市にある鎚起銅器の「玉川堂」で彫金師をしていた、皆川義一郎さんが独立し、大正13年に創業しました。
義一郎さんの技術を受け継いできた皆川彫金所は、今回の主役、3代目義文さんの代で時代に合わせて方針を大きく変えます。今やここではほとんどの作業を機械が担い、手仕事は1割に満たないといいます。
なぜ手仕事から機械化の道に踏み出したのでしょうか?
そこには街の工場が顧客のニーズに応える姿と、遠く先まで見据えた視野の広さがありました。
日本では江戸時代に刀剣の装飾技法として彫金が用いられていましたが、幕末に廃刀令がでたことで、観賞用として工芸品の装飾への転換を強いられます。
その後、三条で金物産業が盛んになったことで、金物の装飾や刻印を行う彫金の需要も増えていきました。
初代の皆川義一郎さんは、それまで新潟県の伝統工芸、玉川堂で彫金師として仕事に励んでいました。独立してからは東京のデパートと取引をするほど腕の良い彫金師でした。
2代目の浄二さんは初代の弟子たちと共に、彫金の技術を学んできましたが、時代とともに工芸品への需要が減少したことを受け、代替わりしたときに金物の産地としてニーズのある刻印に絞っていきます。
しかし、3代目の義文さんが物心ついたころには街の金型屋にも彫金を施す機械があり、「これから先自分たちの仕事がなくなるのでは」と危機感を覚えたと言います。
そう考えた義文さんは、跡を継いだ30歳のときに経営の舵を大きく切ります。
なぜここから完全自働のNC彫刻加工機の導入に踏み込むことができたのでしょう。
義文さん「お客さん(ここでは金物メーカー等)は世界と戦っています。その中で自分たちだけがいつまでも手作業にこだわっているのも違うと思いました。」
より正確に、より精密に。
お客さんの要望に応えるために機械を導入することを決意した義文さん。
パソコンをどのように起動するかも分からないほど機械に疎く、学生時代の後輩に笑われたこともありました。しかしそこで幼いころから持ち合わせた探求心に火が付きます。まずは機械の仕組みを知るためにとにかく使い込みました。周りに教えてもらいながら機械を動かしていく日々。そうしている内に、「あなたのようにこれほどうちの機械を使い込んでいる人は他にいない」と機械メーカーの方に惚れこまれるほどに。
原版は実際に彫刻するよりも大きいサイズに制作してから平面彫刻機で倍率を調整し、縮小しながら彫刻をします。全自動のNC加工機で原版を作ることによってさらに精密な彫刻が実現したのです。今では当たり前のようにNC加工機で原版を製作しているもの、まだ機械を導入する工場がなかったこともあり、顧客からの期待は大きいものでした。
加工する際に必要なデータはフロッピーディスクを使用。しかしすぐ故障するのでLANで転送を行うことでデータ破損を防ぎ、顧客の信頼も獲得していきました。
しかし様々な分野で機械化が進む昨今、前述のように徐々に彫金も取引先社内で内製化が進み、彫金屋の仕事も少なくなっていきました。
燕三条地域にあった7軒の彫金所も今では3軒。
現状は苦しい。
そうは言っても、皆川彫金所は創業から現在まで90年以上もの間彫金だけで生計を立てています。ここまで長く続けてくることができた理由はあるのでしょうか。
工場の中に、秘密がありました。
これは一体…?
義文さん「これは刃物を研ぐ機械です。うちは刃先0.1㎜の刃物もあるので、精密な加工ができます。自分たちで削ることで微妙な刃先の加減を調整でき、お客さんの細かい要望にも応えることができるんです。彫金師の仕事の半分は、実は研磨なんですよ。」
NC加工機を使って彫金を機械化していても、他社と差がでるのは、加工機の先端部分、この刃物の“研磨”の技術でした。
研磨は全て手作業。削ってみせてもらうと簡単そうに見えますが、実際は6/100mmもの細かい世界で、少しのズレも許されません。モニターを見ながら手の感覚で刃先の調整を行うのは、とても骨の折れる作業。それを15~20分に1回ずつ削るのだから、他の工場はやりたがらないわけです。
手作業で彫金を行う場合、たがねを使いハンマーで叩きながら金属を削ります。機械化した今、たがねの代わりに金属を削るのは、義文さんたちが手で研磨する刃物。ベースには手作業の彫金の技術があり、それを現代風にアレンジしたのが今のカタチなのです。
その精密さを聞きつけ、仕事をオーダーする顧客も少なくありません。他の工場では断られたものでも、皆川彫金所では作ることができるからです。
しかし、その解決方法は労働時間を増やすことでした。
義文さん「きれいごとは言えません。今はそれしか方法がないんですよ。」
新しくシルクスクリーンやレーザー加工などの技術が出てきた中で、彫刻や刻印で
あれば「絶対に消えない」という良さがあります。大量生産で安く売ることが目的の製品は印刷やシールで済まされていることも多くそれが今までの商流でした。
しかし良いものを長く使いたいという本物志向の消費者が近年では増え始め、徐々に流れが変わってきています。有名な刃物メーカーからも仕事を請けているというとのことで、
包丁も、印刷による刻字では雰囲気がでないと、刻印の需要が増えてきているのではないかと義文さんは考えています。
納期のスピード感にも限界があります。さらに今後、材料を作る職人がいなくなってしまうかもしれません。今、三条市にはたがねを作る職人がいません。使っているたがねは隣の燕市の鍛冶屋のもの。しかしそれもいつまで続くかわかりません。刃物を研磨するための道具も同じように揃わなくなってくるのではないかと義文さんは懸念しています。
この様に、課題は尽きませんが、包丁やハサミなどの刻印の需要が増える兆しが少しずつ見えてきています。
皆川彫金所を始め、今残っている工場や技術は、淘汰されてきた多くのものづくりの上に成り立っています。誰かの「できない」をやってのける精密さとスピード感があるからこそ、皆川彫金所は今まで生き残ってきたのでしょう。
消えゆく技術の中には、誰にも知られずになくなってしまったものも、きっとたくさんあります。それでも、私たちのような伝え手が、広く長く伝え続けることで、誰かの困りごとに届くかもしれない。
祖父の代から受け継ぎ、創業100年まであと少し。
小さな灯を頼りに、今日も皆川彫金所は戦っています。
〒955-0832 新潟県三条市直江町3-7-20
TEL:0256-33-1653
FAX:0256-33-1695
http://www.e-minagawa.jp