2019.7.15 UP

暗闇に差す一筋の光を目指して。いち早く機械化に着手した皆川彫金所の戦い

新潟県三条市といえば、金物の工業が盛んな町。
その金物製品づくりを陰で支える彫金師の存在をご存知でしょうか?

包丁やハサミ、金型*などに刻印を施したり、模様や文字を彫ったりする金物とは切ってもきれない存在です。これまでの彫金は主にたがね**とハンマーを使い手作業で行っていて、未だに刻印を手作業でする鍛冶職人もいるほどです。

 

*金型・・・金属をプレス加工製造するための型のこと。
**たがね・・・金属や岩石を加工するための工具の一種。

3代目の義文さんが現在の経営の舵を取る
そんな彫金の世界の中で、高度経済成長期の転換期にいち早く彫金の機械化を進めた工場があります。それが、新潟県は三条市の皆川彫金所です。

皆川彫金所は、燕市にある鎚起銅器の「玉川堂」で彫金師をしていた、皆川義一郎さんが独立し、大正13年に創業しました。
義一郎さんの技術を受け継いできた皆川彫金所は、今回の主役、3代目義文さんの代で時代に合わせて方針を大きく変えます。今やここではほとんどの作業を機械が担い、手仕事は1割に満たないといいます。

なぜ手仕事から機械化の道に踏み出したのでしょうか?

そこには街の工場が顧客のニーズに応える姿と、遠く先まで見据えた視野の広さがありました。

 

 
 

玉川堂から始まった皆川彫金所のあゆみ

彫金は金属工芸技法のひとつ。金属を図案に沿って糸鋸で切り取ったり、彫り抜いたりする“透かし”や、たがねで金属を彫り模様や文字を入れる“彫り”、金属の裏から打ち出し、表へ模様を浮き上がらせる“打ち出し”などの技法があります。

日本では江戸時代に刀剣の装飾技法として彫金が用いられていましたが、幕末に廃刀令がでたことで、観賞用として工芸品の装飾への転換を強いられます。

その後、三条で金物産業が盛んになったことで、金物の装飾や刻印を行う彫金の需要も増えていきました。

 

 

皆川彫金所が創業したのは大正13年。

初代の皆川義一郎さんは、それまで新潟県の伝統工芸、玉川堂で彫金師として仕事に励んでいました。独立してからは東京のデパートと取引をするほど腕の良い彫金師でした。

2代目の浄二さんは初代の弟子たちと共に、彫金の技術を学んできましたが、時代とともに工芸品への需要が減少したことを受け、代替わりしたときに金物の産地としてニーズのある刻印に絞っていきます。

しかし、3代目の義文さんが物心ついたころには街の金型屋にも彫金を施す機械があり、「これから先自分たちの仕事がなくなるのでは」と危機感を覚えたと言います。

 

彫金に使う道具は使い込むほど職人の手に馴染む
「このまま手作業にこだわっていてはだめだ。」

そう考えた義文さんは、跡を継いだ30歳のときに経営の舵を大きく切ります。

 

 
 

ニーズに合わせていち早く機械化へ。3代目義文さんの決断

3代目、義文さんの高校卒業後のころ。当時の皆川彫金所はほとんどの工程を手作業で行っていました。機械といえば平面彫刻機と呼ばれる、原版をなぞることで金属に彫刻を施すアナログ感のあるものが一台あるくらい。

なぜここから完全自働のNC彫刻加工機の導入に踏み込むことができたのでしょう。

義文さん「お客さん(ここでは金物メーカー等)は世界と戦っています。その中で自分たちだけがいつまでも手作業にこだわっているのも違うと思いました。」

より正確に、より精密に。
お客さんの要望に応えるために機械を導入することを決意した義文さん。

 

 

結婚して子どもが生まれたこともまた決意を固めるきっかけになったと、当時を振り返ります。

パソコンをどのように起動するかも分からないほど機械に疎く、学生時代の後輩に笑われたこともありました。しかしそこで幼いころから持ち合わせた探求心に火が付きます。まずは機械の仕組みを知るためにとにかく使い込みました。周りに教えてもらいながら機械を動かしていく日々。そうしている内に、「あなたのようにこれほどうちの機械を使い込んでいる人は他にいない」と機械メーカーの方に惚れこまれるほどに。

 

 

義文さんが初めに着手したのが、平面彫刻機の原版作りでした。

原版は実際に彫刻するよりも大きいサイズに制作してから平面彫刻機で倍率を調整し、縮小しながら彫刻をします。全自動のNC加工機で原版を作ることによってさらに精密な彫刻が実現したのです。今では当たり前のようにNC加工機で原版を製作しているもの、まだ機械を導入する工場がなかったこともあり、顧客からの期待は大きいものでした。

加工する際に必要なデータはフロッピーディスクを使用。しかしすぐ故障するのでLANで転送を行うことでデータ破損を防ぎ、顧客の信頼も獲得していきました。

しかし様々な分野で機械化が進む昨今、前述のように徐々に彫金も取引先社内で内製化が進み、彫金屋の仕事も少なくなっていきました。

 

 

義文さん「機械を導入するのが珍しかった時代は地元の金物屋からのオーダーがメインでしたが、今は県外の業者さんがほとんど。それも家電などの製造メーカーさんです。今は彫金は機械さえあればある程度のことはできてしまうので、機械化はリスクかもしれません。」

燕三条地域にあった7軒の彫金所も今では3軒。
現状は苦しい。

そうは言っても、皆川彫金所は創業から現在まで90年以上もの間彫金だけで生計を立てています。ここまで長く続けてくることができた理由はあるのでしょうか。

工場の中に、秘密がありました。

 

昔ながらの彫金を披露してくれた皆川彫金の二代目

 
 

精密さとスピード勝負。刃先1mm以下で勝負する皆川彫金所

工場内を案内してもらうと、あることに気が付きます。
入ってすぐの場所に連なる、3台の機械。壁にはモニターらしきものが設置してあります。

これは一体…?

義文さん「これは刃物を研ぐ機械です。うちは刃先0.1㎜の刃物もあるので、精密な加工ができます。自分たちで削ることで微妙な刃先の加減を調整でき、お客さんの細かい要望にも応えることができるんです。彫金師の仕事の半分は、実は研磨なんですよ。」

NC加工機を使って彫金を機械化していても、他社と差がでるのは、加工機の先端部分、この刃物の“研磨”の技術でした。

 

 

皆川彫金所では、まず顧客が作りたい刻印や原版のデータが送られてきます。それをCAD/CAM*に落とし込み、NC加工機で彫刻を行います。このとき、一回の加工時間15~20分を目安に刃物を研がなければいけないため、一つ彫金するにも何十回もこの研ぎの作業を行わなければなりません。

*CAD/CAM・・・CADとはパソコンの画面上で図面を作成するためのソフトウェアのこと。一方CAMとはNC加工機の加工プログラムを作成するソフトウェアのことを指す。この二つがそろうことで設計からNCデータの作成すべてを行うことが出来る。

 

研磨は全て手作業。削ってみせてもらうと簡単そうに見えますが、実際は6/100mmもの細かい世界で、少しのズレも許されません。モニターを見ながら手の感覚で刃先の調整を行うのは、とても骨の折れる作業。それを15~20分に1回ずつ削るのだから、他の工場はやりたがらないわけです。

 

 

刃物はストレートタイプと、刃先に向かって少しずつ細くなっていくテーパータイプの大きく2種類。全て顧客の要望に合わせオリジナルで作ります。この刃物には仕上がりの精密さを左右するだけではなく、もう一つ大切な理由があります。

手作業で彫金を行う場合、たがねを使いハンマーで叩きながら金属を削ります。機械化した今、たがねの代わりに金属を削るのは、義文さんたちが手で研磨する刃物。ベースには手作業の彫金の技術があり、それを現代風にアレンジしたのが今のカタチなのです。

 

これが研磨機の先端の刃物

その精密さを聞きつけ、仕事をオーダーする顧客も少なくありません。他の工場では断られたものでも、皆川彫金所では作ることができるからです。

 

 

さらに言えば、皆川彫金所は精密さだけではなくスピードも重視しています。
機械化が進むことで、顧客がよりスピードを求めた結果、納期はここ1~2年でなんと半分以下に短縮することに成功します。

しかし、その解決方法は労働時間を増やすことでした。

 

 

仕事によって納期の進捗は変わりますが、前は1週間かかっていたものが今では2日で納品しなくてはいけないことも。

義文さん「きれいごとは言えません。今はそれしか方法がないんですよ。」

 
 

“考えるな、感じろ。”感じたままに進んできた道の先に

義文さん「業界全体の業績が右肩下がりの今の時代、海外と戦うために自分ができることは納期を早めることだけです。機械化をいち早く取り入れることができたのも、自分がこの方向に進まないといけないと思っていたものが上手くハマったから。友人から『考えるな、感じろ』と言われたことがありますが、私の原動力はそこかもしれません。」

新しくシルクスクリーンやレーザー加工などの技術が出てきた中で、彫刻や刻印で
あれば「絶対に消えない」という良さがあります。大量生産で安く売ることが目的の製品は印刷やシールで済まされていることも多くそれが今までの商流でした。

しかし良いものを長く使いたいという本物志向の消費者が近年では増え始め、徐々に流れが変わってきています。有名な刃物メーカーからも仕事を請けているというとのことで、
包丁も、印刷による刻字では雰囲気がでないと、刻印の需要が増えてきているのではないかと義文さんは考えています。

 

 

義文さん「少し特殊な注文が来ると、どうしようか考えているところです。けれどそこが自分たちの腕の見せ所。お客さんの要望に対して応えたいと日々戦っています。」

納期のスピード感にも限界があります。さらに今後、材料を作る職人がいなくなってしまうかもしれません。今、三条市にはたがねを作る職人がいません。使っているたがねは隣の燕市の鍛冶屋のもの。しかしそれもいつまで続くかわかりません。刃物を研磨するための道具も同じように揃わなくなってくるのではないかと義文さんは懸念しています。

この様に、課題は尽きませんが、包丁やハサミなどの刻印の需要が増える兆しが少しずつ見えてきています。

 

 

仕事とは誰かの困りごとを解決すること。

皆川彫金所を始め、今残っている工場や技術は、淘汰されてきた多くのものづくりの上に成り立っています。誰かの「できない」をやってのける精密さとスピード感があるからこそ、皆川彫金所は今まで生き残ってきたのでしょう。

消えゆく技術の中には、誰にも知られずになくなってしまったものも、きっとたくさんあります。それでも、私たちのような伝え手が、広く長く伝え続けることで、誰かの困りごとに届くかもしれない。

祖父の代から受け継ぎ、創業100年まであと少し。
小さな灯を頼りに、今日も皆川彫金所は戦っています。

 

皆川彫金所

〒955-0832 新潟県三条市直江町3-7-20
TEL:0256-33-1653
FAX:0256-33-1695
http://www.e-minagawa.jp