材料屋としての存在感。金属産業の縁の下の力持ち ―野崎忠五郎商店―
金属は自然から生まれはするものの、その物質に含まれる性質によって、金、銅、鉄など、さまざまに姿を変えて、私たちの生活を支える道具の材料になります。
ものづくりには源となる材料が必要なのは言うまでもありません。
それは、この街の腕利きの職人たちでも千差万別の加工ノウハウを持つ工場でも同様です。
ものづくりの「材料屋」として、新潟県の燕三条で100年以上に渡り、業界を縁の下から支える野崎忠五郎商店。
「鐵(てつ)の総合デパート」の名のもと、顧客であるものづくり事業者のニーズにひたむきに応え続けてきました。
それは、創業明治10年(1877年)の老舗が、今日この日まで発展した秘訣でもあります。
「信用と誠実」を経営指針にする野崎忠五郎商店の、燕三条における存在感と、業界の裏側を、次期社長の専務、野崎寛行さんに取材しました。
ものづくり事業者の職人の手元に、加工しやすい鋼材が届くまで
野崎忠五郎商店の創業は明治10年。今年で142周年。
金属加工の聖地、燕三条で鉄鋼の素材(鋼材)をメインとした卸業者として、この地域のものづくりを支えてきました。
そもそも鉄とは、鉄鉱石、石炭、石灰石が原料。
日本では、その100%近くを輸入に頼っていて、オーストラリアからはるばるタンカーで運ばれ、国内の製鉄所で製鉄されます。
約1200度の熱で溶かし製鉄するための高炉と呼ばれる設備は、国内14ヶ所の製鉄所のうち4ヶ所のみ。製鉄されたその後に商社を経由してから野崎忠五郎商店へとバトンが渡る構造です。
この鉄をものづくりメーカーがさらに加工しやすいように切断した上で供給しているのが、野崎忠五郎商店のような材料屋の立場です。
ところが、昨今ではそこまで多くはない材料屋の中でも、競争が激しくなっていると野崎さんは言います。
そんな中、野崎忠五郎商店では、同業他社と差別化するために、サービスや商品知識を重視しています。
「私たちの仕事は、鉄鋼を取り扱う大手商社から大量の素材を仕入れ、地場のメーカーが加工をしやすいように素材を切断したり、製品に合った金属材質を提案したりすることがメインです。三条の全ての工場が、私たちのお客様です。立ち位置としては卸になるのですが、私たちの仕入れ元の大手商社と、地場のものづくりメーカーのパイプ役でもあるので、素材に対しての要望の橋渡しをすることもあります。」
最小ロットでも、約70トンもの途方もない量を必要とするのが、この業界。
いちユーザー(ものづくりメーカー)の要望のために、卸す鉄の性質を変えていくのは簡単ではありません。
野崎忠五郎商店の地場産業の中での役割は、表に見えなくても重要なものなのです。
圧倒的スケールの野崎忠五郎商店の工場内
地域の要望に応えて、鋼材の他にステンレスや非鉄金属も取り扱います。
しかも、どれもかなりのビッグサイズ!
仕入れの時点で野崎忠五郎商店に入ってくるトン単位の素材を、取り引きのあるユーザーそれぞれの要望に応じて、工場で切断していきます。細かい要望に応えることができるように、あらゆる機械が備えられています。
お客様の要望には何でも応えたい。だから「鐵の総合デパート」を目指す
しかし、これほどまでに細やかに要望に応えられる材料屋は、きっとそう多くありません。
メーカーごとに加工しやすいよう中間加工を行うとなると、当然自社の工場内に加工機器を多く設置しなければならなくなるからです。
加工と言っても、方法はたくさんあり、それに応える為には大規模な設備投資をしなければならないのは先述の通りです。
その結果として、2011年には韓国のソウルに支店を開設し、2015年には本社のすぐ隣に薄板工場を新設。
また、キッチンツールなどを製造する企業も多い燕三条では、ステンレス材の需要が少なくないことから、野崎忠五郎商店ではステンレス専用の生産ラインを作ることにしたのです。
会社の拡大も、技術の進化も、全ては顧客のニーズを汲みとってから。「鐵の総合デパート」と言われる所以には、そんな指針がありました。
「現社長である父がお客様を何より大事にしているのを、幼い頃から見てきました。」
そう話す野崎さんは、堅実な姿勢でこの先の会社と業界の行く末を見つめています。
業界にいないと、素材のことが分からない。知識で勝負するために下積みへ
高校卒業後に三条の地を離れ、東京の大学に進学した野崎さん。
その後、野崎忠五郎商店の取引先でもある神戸製鋼に入社します。
神戸製鋼といえば、鉄鋼業界では誰もが知る日本を支える大手鉄鋼メーカーです。
そこで、いずれ家業に戻るときが来るまで「下積み」をするつもりで業界の仕組みを学んできたといいます。
「私たち材料屋にとっての強みになるのは、その分野における『知識』です。神戸製鋼では生産管理の仕事をしていたのですが、そこでの経験はとても大きかったですね。大手鉄鋼メーカーの生産の流れや、仕組みは勉強になりましたし、自分が内部にいたからこそ分かることも多いんです。」
実は、現社長である野崎さんのお父さんも神戸製鋼のOB。
こうして野崎家では代々、家業を継ぐ前に外で経験を積んでくるのが習わしになっているそうです。
「私が三条に戻ったのは2009年で、リーマンショック真っ只中でした。大手メーカーにいると不景気の実感がなかったのですが、ウチのような地域に根ざした中小企業は甘くはありません。その実状を、現場から体感したのが戻って1年でした。」
お客様の一番近くに、ずっと寄り添う
「県外から材料を運んで来るには、輸送コストの問題がついて回ります。トン単位でトラック輸送をしていると、例えば地域のお客様から『30kgだけ材料がほしい』という要望があった際、即日対応は難しいですよね。ですが、近くにいれば、すぐに手配ができます。」
地域のものづくり企業とともに歩んできた野崎忠五郎商店にとっては、いつでも近い距離で顧客に寄り添っていけることが、何よりの強みなのです。
「私たちが扱う鉄というのは、信用取引になるんです。外見は全く一緒なので、お客様の要望と違ったものも、見た目では解りません。だけど、材質に何か問題があったら、場合によっては人の命に関わる事態を招いてしまう危険性もありますし、いつも襟を正していないといけないんです。」
だからこそ、社是である「信用と誠実」は決してきれいごとではありません。
これからも誠実にものづくりを支えていく
野崎さんは、これまで会社で培われたものを守ろうという気持ちが強いと話します。
しかし、新しい試みとしては、”燕三条 工場の祭典”にも材料屋として参加した経験もあります。
「自分で今後何か変えていきたいことは、まずは工場をもっとオープンにすることかもしれません。他の工場と比べても物が大きくスケールがあるので反響は良いんです。初めて眼にする材料屋のことを、もっと知り、身近に感じて頂ければと思っています。もっと社員の家族の方にも来て頂けたらいいなと。」
地域の身近な材料屋は、従業員やお客さん全てに愛される経営を志します。
「お客様のニーズを叶えることに完成形は無いと思います。もっと要望を言ってもらい、それを実現できる会社にしていきたいと思います。それに、今まで9年間働いてきてもまだまだお客様のものづくりを解かっているなんて言えません。奥も深いですし、この地域の職人さんたちの技術力はすごいと思います。これからも一緒に成長させて頂きたいと思っています」
燕三条のものづくりを「素材」という根幹部分で支えてきたこの会社は、つくり手のものづくりメーカーの各社への尊敬の念を持ち、ニーズをくみ取り、ともにこれからも成長していくのでしょう。
お客様に求められるものに合わせて発展していきたいから、今後どんな風に会社を進化させていくのかもお客様次第。
これほど、実直な素材屋さんの存在が、この地域のものづくりを支えていると思うと、頼もしくもあります。
ものづくりのもう一段上の世界を覗けた気持ちになれました。
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