見えないものづくりから見えるものづくり。
自動車部品工場のこれからのかたち 外山製作所
ここは自動車部品製造をメインとする外山製作所の、外へ向けて開かれた研究所です。屋内には、溶接や穴開けができる工場設備がずらりと揃います。
「T-BASE」は、一般にも開放され、つくりたい金属加工品があれば、工場のスタッフが一緒に考え、機械の扱いまで教えてくれるものづくりの交流の場です。
外山製作所は自動車部品をメインに作る工場。普段つくるのは、エンドユーザー(最終消費者)の95%が見えていないような加工部品で、私たちも普段はなかなか目にする機会のないものです。
農業から内職へ。生きるために父が選んだ仕事が発端
もともと実家は農家でしたが、このまま農業だけでは食べていけないという見込みから、お父様が家の敷地の片隅で始めたのが現外山製作所の始まりです。
「親父は決してものづくりが好きな人ではなく、生きるためにやっていただけでした。」
当初は、雪止め金具の組み立てや家庭用キャンプで使うパイプ椅子の組み立てなどを請けていたお父様。ある時、車のシートフレームの発注依頼をきっかけに、自動車業界に参入することになります。
さらに、その後は線材と呼ばれる自動車の後部座席の背もたれに使う、金属性のワイヤー部品を受注し初めてから、本格的に工場としての外山製作所での生産が始まりました。
事業は徐々に拡大し、家の畑を工場に建てかえ、その後どんどん増築を重ねます。初代社長である、外山さんのお父様の見込みは見事に大当たりしたのです。
新潟県三条の地で、自動車部品を作る工場が多いのは、金属を使って刃物を作る鍛治職人が多かったことに由来すると言われます。
かつて好況だった鍛冶屋の市場は、時代の流れとともに縮小し、鍛治職人の道一本では生活が厳しくなる人も多くなりました。そこで、「同じ金属ならば」と自動車部品作りに移行していった人が少なからずいたそうです。
また、燕三条という地域の特殊性も面白いと外山さんは話します。
「まず、この地域には金属材料を仕入れる業者があり、加工がしやすい環境が整っているんですね。そこから一次加工、二次加工、三次加工と進み、クギをつけて塗装をし、お客さんの元に届けることができる。そういうシステムがひとつの地域のなかで成り立っている場所は、日本全国を探してみても珍しいのではないでしょうか。」
金属加工における必要な全ての工程が、この地域内で完結すると言われる燕三条。
特殊な産地といえども、今では徐々に自動車部品の需要は少なくなっています。外山製作所も例外ではなく、今まで売り上げの9割弱を占めていた自動車部品の割合は少しずつ減っていくようになりました。
「自動車部品工場」としてのありかた。燕三条の特殊な地域性
溶接、ワイヤー加工にプレス加工。自動車部品に限らず、どんなに小さなものでも一緒につくることができないか、お客さんと一緒になって考えるのが外山製作所の特徴です。取材の日は珈琲器具の様な、開発中の一般消費者向けの製品も見せてくれました。
仮に、持ち込まれた相談が外山さんの工場で受けられないものだったとしても、別の工場を紹介する懐の深さと、密接な近隣ネットワークも持ち合わせます。自社で多くの工程を処理する設備を持ちながら、さらに工場間の連携。ものづくりをしたいメーカーにとっては、本当に頼りになるパートナーです。
現社長、外山裕一さん自身はいったいどんな人物なのか、さらにお話を聴きます。
出来が悪くて“入れていただいた”ことに始まるものづくりの道
高校は中退しました。出来が悪かったので行くところがなく、やむなく入りました…。
──どんな少年時代だったのですか?
やんちゃだったかもしれませんね(笑)。昔から車が好きだったから自動車修理工場に勤めたいって思っていたんだけど、卒業も就職もできなくて、ふらふらしていたら自分の父親の工場に“入れていただいた”って感じかな。
──東京に行こうとは思わなかったんですか?
まともに勉強して大学行けばよかったなって、19歳くらいのときに思ったかな。だけど、そのためには自分の知らない知識や知恵を誰かに教えてもらわないといけない。当時はそのツテを探す時間が勿体無いなと感じてしまったんだよね。だから、15,6歳のときに将来をちゃんと考えていれば良かったなとは思った。でも、もう会社に入っていたしそういう気持ちのままでいても良くないから、それからは割り切ったかな。
社長でいるよりも、もっとものづくりをしたい性分
それは全く考えてなかった。アルバイトとして学生の時から外山製作所で働いていて、働き始めてからは図面や試作を担当していました。自分は数字に強いわけじゃないし、今でもできれば社長でいるよりも、ひとりで物を作ったり考えたりしていたいよ(笑)。
──技術やものづくりへの柔軟なアプローチは、先輩や上司の方から学んだのですか。
社内で仕事を教えてもらうことはもちろんあったけど、誰が師匠かって考えると思い当たる人はいないね。何かあるたびに自分で研究して学んだことのほうが多いかな。
──どんな風に独学で研究を?
例えば、今まで「人」が原因で遅くなってしまっていた工程をどうしたら自動化できるかとか、どうするのが効率がいいのかなって考えるのが好きなんだ。考案とかプロデュースのようなことかもしれない。だから他の会社をみたり、機械展示会に行ったりして、頭の中の引き出しをどんどん増やして、発想していった。
──他の会社に行って、工場を簡単に見せてもらえるものですか?
いや、なかなか見せてもらえるもんじゃないよ。例えば、ものを作っていくとどうやったって不良品っていうものが出てしまう。ひとつ不良品が出ると、責任者は検品をしに工場まで出向かないといけなくなるから、その時に、こっそり工場を一周して、キョロキョロ見て勉強してた。
見えない仕事から見える仕事への分岐点。カーゴトレーラー製作との出会い
新しい分野にずっと興味はあったけど、やっぱり毎日工場で働いているからなかなか取っ掛かりはなかった。ダイハツ工業の軽オープンカー、コペンのカーゴトレーラーをイベントに向けて開発するってなったことが始まりかな。
コペンのイベントは、地場のものづくり技術を注ぐ三条市が取り組む「LOVE SANJO PROJECT」の開発プロジェクトの一環。コラボの起点になった、デザイナー根津孝太さんから「コペンにカーゴトレーラーがあったらいいのでは」というアイデアが出て、その場にいた人が「外山さんは車が好きだった」と思い出したことで「カーゴトレーラー」製作に携わるようになりました。
ところが外山さん、初めはあまり興味が出なかったらしく、成り行きで参加することになったと言います。
──なぜ最初は興味がなかったのに参加することにしたんですか?
うーん…なんでだろう(笑)。
実はこのコペンのボンネットの部分がCFRP(カーボンファイバー)で出来ているんだけど、その研究会が三条市にあったの。で、俺がたまたま会長をやっていたからそれで呼び出されて仕方なくね(笑)。最終的には車両設計も全部自分でやったんだよ。例えば、このボンネットのラインの部分ってステンレスで出来てるんだけど、それは三条市として「金属加工の町」「ものづくりの街」をアピールしているものなんだ。
──それでも、これまでに色んな製品作りのチャレンジをしてきた理由はなんでしょうか。
基本、日々の仕事とは切り離して考えていて、趣味みたいなものかもしれない。でもそれが発想力に繋がるから。新しいプロジェクトに関わったことをきっかけに会社の事を知ってもらえば良いしね。
──その新しいプロジェクトの中でも、車の設計やデザインはどうやったのでしょう。
開発自体は3社合同で、デザインは根津さん。ただ、設計は専門家がいるわけじゃないから「想い」で作っていった感じかな。みんなでこうなってるといいなって理想が、どんどん重なって出来ていったイメージかな。
──完成するまでに最も大変だったのはどういうところですか?
ナンバーを取得するところだね。車とカーゴトレーラーとを別々で取らないといけないんだけど、付いた状態で公道を走るためにストップランプ、方向指示機が付いてないとだめだったんだ。それと、カーゴトレーラーは牽引なので別に自走するわけではないけど、それでもナンバーを取らないといけないんだよね。
──アイデアができてから、完成までの期間はどれくらいでしょうか?
3ヶ月です。9月に始まって年明けのモーターショーに間に合うように進めていたんだけど、11月末に写真撮るからって言われて「ええっ」って焦ったりしたな。
当たり前の量を当たり前の数だけ作るなんてつまらない
よかったよ。その後も、この経験を活かしてバイクのトレーラーの開発が進みはじめることになったし。
──色々ゼロから作り出していける外山さんが思う、自社の強みって何でしょうか?
さっきも出た発想力だね。技術だけで言えば基本的なことをやっているだけです。それに、今やっているうちの流れは、当たり前の量を当たり前の数だけ作っていることだから、ある意味ではつまらないので、もっと「つまる」仕事をしていきたいですよね。カーゴトレーラーをやりはじめてから思ったことだけどね。
──これをやりはじめてから本職に影響したことはありますか?
工場で働く社員のモチベーションを変えたいっていうのはあるよ。本当に好きでものづくりに没頭する様なヤツは今でもなかなかいないしね。もっと好きなことに貪欲になって欲しいな。
全天候型自転車の夢。「スペシャル」を作るために必要なこと
今はね、この全天候型自転車にみんなが乗れるようになってほしい。
──新しいものを生み出す人は、何か一分野に特化した人が多いイメージがあるので、こういうユニバーサルなものをつくるのは珍しいのでは?
そうかもしれない。基本はやっぱり「売れる」ものを作りたい。皆さんが手が届きそうなものを作らないといけないって思うと、スペシャルな特化型の売れないものを作っても仕方ない。それに、こだわったスペシャルなものづくりがしたいなら、スペシャルな部分以外のところでしっかり基盤を持つことが必要だと思う。いつも基盤を守っているからこそ、新しい話を出したら周りが話に乗っかってくれて、試作やイメージへ進んでいく流れが良いんじゃないかな。せっかく行動するのなら、世に広まってほしいしね。
──スペシャルなものを作りつつ、人の手に渡るものを作りつつといったバランスが難しそうです
だれでも買ってくれるものは別に作らなくてもいいんだけど、気に入ってくれる特定の人の目に止まったときに、ちゃんと買ってくれる値段ではありたいなと思うよね。こだわりすぎて、高すぎて買えないでは意味が無いからね。
もっとものづくりを身近なところへ。T-BASEでつくる未来
カラフルでPOPな色合いの建物のなかには、ドリルや溶接ができる本格的な工場設備がずらりと並びます。
──T-BASEはどんな発想で作られたのでしょう。
もっと、ものづくりをみんなの身近なものにしたいんだよね。何か作りたいけど、やりかたがわからないし場所がないって人に、ここで提案したり相談に乗れればいいと思ってる。
──実際にT-BASEではどういうことができるんですか
穴を開けたり、削ったり、溶接したり、金属加工ならなんでもできるよ。材料代だけ払ってもらったら、例えば、鉄板を手で曲げる方法を教えたりとかもできます。こういうのつくってみたいって相談してくれれば一緒に考えたりもします。T-BASEを使ってよりものづくりを気軽にしてくれたらいいと思う。
社員が誇れる仕事を。もっと最終商品に近いところへ
しかし、こうして会社の名前で新しい挑戦をしていくことが、新たな仕事のとっかかりに繋がったり、社員さんたちが「自分たちの会社は面白いことをやっている」と思うことから、良い流れが生まれつつあります。
「これから先の日本では、人口も含めて、技術や工場などが衰退する一方だからこそ新しい何かを釣り上げていきたい」
カーゴトレーラーのような最終商品に近い「見える」ものづくりをやりたいという気持ちは10年も前からあたためていたもの。
そのためにどんどん新しいことへと挑戦していこうとする外山さんの横顔はとても凛々しいものでした。
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