「ものづくりのつなぎ役」は、人を巻き込んで誰にも負けないものづくりをする。一菱金属
工場の規模が大きかろうが小さかろうが、ものづくりの現場では誠実に技術を磨き続ける職人の姿があって、彼らの手によって、つくりの良いものが世に送り出されている。
そんなひたむきに目の前の仕事と向き合う町工場や職人の姿に、心から感動を覚え、願う───。多くの人びとに、彼らの技術や想いがちゃんと届いてほしい。
今回私たちが出会った、決して大きくはない燕三条の工場、一菱金属株式会社(以下、一菱金属)。台所道具のブランド「conte」を生み出す工場だ。
美しさと凛々しさを併せ持つ台所用品のブランド「conte」
「conte」として販売している製品は、大きくふたつ。ひとつめは、ボウル。
まかないシリーズと名付けられたシリーズ商品は、飲食店でスタッフが食べる賄い飯の「まかない」とボウルのフチの形状「巻かない」をかけて、名前が付いた。
360度どの方向から傾けても、油を注ぐことができる。切れなかった油が側面をつたうこともない。使い手を選ばない、どんな人にもやさしいつくりだ。
革新的な、というには大げさだけれども、少しの工夫を商品に落とし込む、確かな技術力が見える。「conte」はそんな職人の手腕と、デザイナーとアドバイザーの発想力によって生まれた製品だ。
それでは、いったい「conte」のプロデューサーは、なにを思いこれらの製品を生み出したのだろうか。
「conte」のプロデューサー、そこそこ破天荒
実直に数字を追いかける経営は兄の正恒さんが担当。お話を聴いた弟の広哲さんは、一菱金属のものづくりと、技術力を広めるために奔走している。
「親の仕事だからという理由で選択するのも違う気がして。だから家業を継ぎたいとは考えていませんでした。かといって志すものも特になかったので、違う経験の為に国内を出て、海外に逃亡していました(笑)」
海外を旅するうちに広哲さんが知ったのは、日本製品が海を越えた先々でも愛されていることだった。
次第に日本でものづくりに関わりたいと感じるようになった。実家に戻ることは、その気持ちを叶える最良の選択のように思えた。そうして、ものづくりの世界へ、戻ってくることになる。
「海外に行く前は、問屋さんやアクセサリー工場では型師として働いていたこともありましたからね。この街に生まれたからか、自然とものづくりに触れる人生ではあったように思います」
すぐに、一菱金属に就職した。入社後に立ちはだかった壁といえば、意外にも技術面の問題ではなかった。なんでも自分で決めないといけない、意思決定の能力だったという。「それまで、僕の人生は人に決めてもらっていたようなもの。海外でもおすすめしてくれた場所に行く。気が付けば、行くと自分で決めているものの選択肢は与えてもらっていましたから。ところが、会社では、自分の意思と頭を使って、物事を考えて決めなければなりません。経営の方針については、今も戸惑うことばかりです」
「僕は、製品づくりを行うときに、こだわりすぎないことを意識しています。アート作品であれば、どれだけ手間がかかっても自身の思い描くイメージに向けて、こだわり抜くべきだと考えます。ただ、製品となると、それだけではない。使い勝手に特に影響が出ない部分にこだわりすぎて価格が上がることは、買い手やその先の使い手が望むことではないと思うのです」
作り手のこだわりと、商品コストとのバランスを考えるのは、広哲さん自身も作家活動をした経験があるからだ。
金属加工の街として知られる燕三条には、あらゆる場所に工場が点在する。自分たちの存在を知ってもらうためには、なんらかのかたちでの「差別化」が必要だった。広哲さんが選んだのは、アートだった。
また、他の作家さんとの合作でのプロダクトも制作していました。」アーティストとして様々な挑戦をしたが、燕三条地域内での差別化という当初の目標は達成できなかった。そこで、広哲さんは方向をガラリと転換した。
今まではメーカーが裏側で支えてきたものづくりの体制から、一菱金属の名前を堂々と掲げて、外部デザイナーたちとチームを組んで、新たな製品開発に取り組むことにした。
そう。後に誕生する「conte」は、広哲さんのこれまでの作家活動があったからこその発想で生まれた製品だった。そしてその屋台骨を支える一菱金属。一度、工場の歴史を遡る。
磨きからはじまった、一菱金属の歴史
「創業したばかりのころは、社名が『磨き屋江口』でした。プレス機をいれて金属加工をはじめるタイミングで、今の社名に改め、飲食店の調理場で利用するステンレス製厨房器物の製造・販売を続けています」
「わずかな水量の変化にも対応できて、省スペースになるよう、計量カップの形状は従来よりもスリムなものにしました。3L、5Lなど大型のカップの場合は重量感があっても持ちやすいように、持ち手を金属板ではなく金属パイプに代えました」
言われて初めて気がつくような小さな変化も、厨房に毎日立つ料理人にとってはありがたい変化だったに違いない。そのほかにも、親子鍋や厨房用の伝票バサミなど、受託生産(OEM)で製造するものもある。
現在の一菱金属が主に行なっているのは、厨房用の製品と「conte」だ。自社ブランドを抱えることで、価格を自ら決めることができるので途中工程を一任する外注先にもしっかりとした工賃を支払うことで、跡継ぎ問題も含めた製造業の環境改善への貢献にも意識している。工場の労働環境が良くなれば、より真摯に業務に取り組む意識も高まる。製品そのものの質の向上と、産業構造の変革の可能性が自社ブランドには残されている。
そんな一菱金属の工場内では現在、プレス加工と洗浄、研磨、溶接全般と一連の作業ができる体制ではあるが、全ての商品を自社で加工を行っているわけではない。
一菱金属の軸は、業務用厨房道具の生産で培った地場の職人たちと連携した金属加工技術。「conte」のアイテムも、この技術をベースに考えられている。
「conte」が生まれたきっかけ
「作家活動中に家庭用の製品開発もやっていきたいと思ったタイミングで、全国のものづくりに詳しいアドバイザーの方に考えを話したんです。そうしたら『ボウルって改良の余地がないのかな?』との話が出て」
日々使う台所道具にも関わらず、ちょうどいいものがない。世の中にボウルはたくさんあるけれど、しっくりとくる逸品とはなかなか出会えない。そこで、広哲さんはプロダクトデザイナー・小野里奈さん、アドバイザー・日野明子さんと共に「ちょうどいいボウル」を開発するために試行錯誤を重ねた。
他社商品と差別化する工夫も忘れない。ボウル、オイルポット、ともに省スペースでシンプルなデザインを心がけた。日本中のあらゆる場所で購入できるなんでもないキッチン道具だからこそ、選ばれるための理由が必要だった。
商品そのものの認知度は大事だ。まず、商品を知ってもらうためにプロモーション用の動画も制作した。撮影・編集はツムジグラフィカ高橋トオルさん、作曲は福島諭さんと共に「conte」ができるまでの工程や、使い方を数分の映像に落とし込んだ。
「自分の想いよりも、人や技術とをつなぐことと、つなぐための方法を考えることが好きなんです」
一見すれば動画は一般的にも見えるアプローチ。だが、ものづくりの現場ではこうした自己発信することは、まだまだ挑戦的な部類に入る。たくさんの人を束ね、力を借り、だんだんとアイデアがかたちとなり、工場が自ら指揮をとった動画は完成した。
日本と海外の文化の違いを、どう乗り越える?
「海外でもiF GOLD AWARD、reddot award(2件)と続けて賞を受賞したことがきっかけです。ただ、日本と海外とでは文化が異なるので、受け入れてもらうまでに時間がかかるような気もします」
ひとつのものにあらゆる用途を見出す日本の文化と、そのものに専門性を求めるアメリカの文化。海外展開においては、こういった国民性や風土のちょっとした違いも意識しなければならない。
「海外に行きたいと考えてはいても、文化の違いと、あとは数量の単位の違い(計量する際の)なんかもありますからね。これからどのように展開していくのか、まだまだ考えなければなりません。難しいところもありますが、国内とは違った価値観との出会いが面白いです。」
海外展開を見据えた今、一菱金属が次に繋がるのはなんなのだろう。
ものづくりの現場は、これだからやめられない。
誰が、何が、いつ、どの瞬間につながって起爆剤になるか、だれもわからないのだから。
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