成功するまで挑戦し続ける
精一杯を尽くすことで未来を切り拓いた田辺プレス
金物の街、燕三条で圧倒的な信頼を誇るプレス工場がある。
田辺プレス株式会社だ。
精密部品の加工を多く扱う一方で、金型*の内製化や新素材を活用し、商品化するための挑戦を重ねてきた。
難しいことだからと言って挑戦を辞さない。
創業以来、一貫してこの姿勢を貫き、苦しい時代を何度もかいくぐってきた。
なんと言ってもこの田辺プレスが持つ特筆すべき技術は、マグネシウム合金の加工と、軽くて丈夫な特性を活かした介護用品の開発だ。技術の開発にはおよそ5年もの歳月を要し、その間の利益はゼロ。開発にかける時間や人の労力を考えると、むしろ赤字といっても過言ではない。
それでも、田辺プレスは逸品を作り上げることを諦めなかった。
そうして生み出した製品は、今や田辺プレスの看板商品として会社に利益をもたらした。
理想のために脇目も振らず進み続ける彼らの原動力は一体どこから湧いてくるのか。
一般的には加工が困難とされるマグネシウムを自在に加工する田辺プレスのものづくりに迫る。
挨拶もろくにできなかった若者が、三条で田辺プレスを立ち上げる
立ち上げ当時、創業者であり現社長の田辺靖さんは未成年だった。それでも、会社の設立に年齢は関係なかった。農家に生まれながらも早いうちから農業以外で生計を立てることを考えていた。父親との話し合いの末、中学卒業後すぐに知り合いのプレス工場で働くことになる。
その後、「田辺プレス」として看板を掲げた。若者は、こうして晴れて自分の城を手に入れた。
当時の自分は、挨拶もロクにできない若者だったと振り返る靖さん。周りの人に仕事を手伝ってもらったり、取引先を紹介してもらったりと、とにかくあらゆることで助けてもらった。
材料から加工まで、様々な分野の企業が揃う燕三条は何かを始めるには適している。自分の工場だけでは技量が十分でなくとも、他の工場と協力すれば満点の状態にすることができる。個々の力を集め、ひとつのモノとして完成させることが自然にできる環境が整っていた。
99社が諦めても、5年かかっても、やり通して主力製品へ
そこで目をつけたのが、体力や力のない人が使う介護用具だった。まず試作を重ね、マグネシウム合金を活用した車いすを生みだした。ところが、この製品はコストがかさみ、思うような値段設定が叶わなかった。東京ビッグサイトで毎年行われる国際福祉機器展への出展までこぎつけたが、バイヤーとの取引は成功しなかった。
三条市のプロジェクトでは、田辺プレスと同じように、マグネシウム合金を使って製品化にまでこぎつけた企業もいた。しかし、これらもまた実用的な価格帯での販売の難しさに直面し、数多くいた企業はプロジェクトから徐々に離脱し、残ったのは田辺プレスただ1社となった。
遠くない未来に、介護業界に革命を起こすだろうと、確信があったのだ。
車いすに代わって着手したのは、歩行補助の杖。展示会で試作品を見るバイヤーや、実際の利用者からヒアリングした意見をどんどん製品に反映させた。次第に、商品を目に留める人が増え、取引先が決まった。これで5年間必死に苦心したものが、ようやく報われることとなった。
「5年の間、売り上げが1円もない状態がずっと続きました。会社のためにも、部品加工の仕事があるうちに次の動きを模索しようとマグネシウム合金に着手したので…。ようやく結実したという感じです」
自社での金型内製、機械の製造。難しいものをお願いしてもらえる土台づくり
「だったら他の工場が避けるような、難しいものに挑戦していく」
「そうすれば仕事には困らん」
靖さんの力強い言葉通り、請け負っていたミシン部品の会社が海外工場へ生産を移行してしまった後、田辺プレスでは金属の加工工場として独自性を出すために金型の内製化を進める。自社で金型からつくることで、工場としてどんなオーダーにも応えられる状態にしたのだ。実際に時計の部品製造では、ブランドの多様なモデルに対応できる体制を内製で整えることに成功した。
この舵取りの成功が呼び水となり、他の工場では対応の難しいプレス加工や、細かい部品の加工仕事が田辺プレスに舞い込んでくるようになる。今なお取引が続く猟銃の部品製造もそのひとつだ。
ご案内いただくのは、靖さんの息子さんである敬輔さん。早速ミシンの部品や、猟銃の部品製造について話してくれた。
「これらに共通した作業としてシェービング加工というものがあり、プレス加工で抜いた断面をなめらかにすることで作業効率をあげることができます。田辺プレスはその加工が得意なんです」
一般的なプレス加工機は溜めたエネルギーを金型の上下運動に変換されプレスされる。一方で、油圧式のプレス加工機はどれくらい上型*を下げるか、速さや圧力を制御することができるため、シェービング加工がしやすくなっている。
田辺プレスには最新式の機械だけではなく古い機械もいまだ現役で稼働している。靖さんが最初に導入した、田辺プレスの原点ともいえるプレス加工機も未だ現役だ。古い機械は最新式とは違い、安全装置がついていないためやや危険性もはらむが、古い機械のみに合う金型も多くある。また、プレス加工機によって能力が異なるため、製品によって機械を使い分けているのだ。
これからは先を見る目のある企業が残っていく時代
過去には、手がけてきたミシンや時計の部品などの主力商品の加工仕事が全てなくなったことだってある。あの時、辛酸を舐めた時のことを忘れはしない。目下のところ、マグネシウム合金の介護用具がうまくいっているといえど、油断は禁物だ。
「日本の介護業界も先が見えていますよね。人口減少社会に突入している日本の市場ではなく、世界的な目線で、たとえば中国の市場を見据えて動く必要があると考えています」
ただ、真面目にいいものを作るだけでは、生き残ることは難しい。
それが、ものづくり企業の難しいところだ。だからこそ機を伺い、アンテナを常に張り巡らせる必要がある。
「心配事が10あるとすれば、いいことがひとつやふたつあればいいほうですよ」
「お客さんにどうしたら喜んでもらえるのか考えて、その度に一生懸命やるだけ。そうすることで道を切り拓いてきました。商売をやって長いので、友人や周りの人がサポートしてくれたり、困っているなら『あそこ頼ってみろ』と紹介してくれたり、解決するには人のネットワークが多いんですよ」
鍛冶屋が製造したものが金物屋の手に渡り、金物屋が全国に商品を売り歩いて財産を得て帰ってくるといったやり方で産地を支えてきた三条地域。その仕組みは現代社会の大量生産とは相反していて、時代に迎合されるようなやり方ではない。今までのように職人たちの手から卸へと商品が渡っていくのではなく、メーカー一社が製造から販売まで全てを請け負うことも今では当たり前のことだ。
だからこそ、今まで以上に先見の明をもつ企業だけが生き残る時代になっていく。
先の見えない旅路でいくつもの失敗を重ねながらも、成功を掴むまで歩き抜いた田辺プレス。強い信念と伴走してくれる近隣工場、未来の顧客の姿があってこそ、この旅路を歩き抜くことができた。
まるで三条を流れる五十嵐川の流れのように、ひとところにとどまらず、田辺プレスは今日も挑戦を続ける。
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