2020.7.31 UP

成功するまで挑戦し続ける
精一杯を尽くすことで未来を切り拓いた田辺プレス

「マグネシウムの難加工は田辺プレスに」

金物の街、燕三条で圧倒的な信頼を誇るプレス工場がある。
田辺プレス株式会社だ。
精密部品の加工を多く扱う一方で、金型*の内製化や新素材を活用し、商品化するための挑戦を重ねてきた。

難しいことだからと言って挑戦を辞さない。
創業以来、一貫してこの姿勢を貫き、苦しい時代を何度もかいくぐってきた。

なんと言ってもこの田辺プレスが持つ特筆すべき技術は、マグネシウム合金の加工と、軽くて丈夫な特性を活かした介護用品の開発だ。技術の開発にはおよそ5年もの歳月を要し、その間の利益はゼロ。開発にかける時間や人の労力を考えると、むしろ赤字といっても過言ではない。

それでも、田辺プレスは逸品を作り上げることを諦めなかった。

そうして生み出した製品は、今や田辺プレスの看板商品として会社に利益をもたらした。
理想のために脇目も振らず進み続ける彼らの原動力は一体どこから湧いてくるのか。

一般的には加工が困難とされるマグネシウムを自在に加工する田辺プレスのものづくりに迫る。

 

*金型…金属製や樹脂製の部品をプレス加工により製造するための型

 
 

挨拶もろくにできなかった若者が、三条で田辺プレスを立ち上げる

田辺プレスの創業は1962年。
立ち上げ当時、創業者であり現社長の田辺靖さんは未成年だった。それでも、会社の設立に年齢は関係なかった。農家に生まれながらも早いうちから農業以外で生計を立てることを考えていた。父親との話し合いの末、中学卒業後すぐに知り合いのプレス工場で働くことになる。

 

 

そこで3年の修行期間を経て、一台のプレス機を自宅に導入。
その後、「田辺プレス」として看板を掲げた。若者は、こうして晴れて自分の城を手に入れた。

 

田辺プレス社長の田辺靖さん
「看板を掲げ、これから自分でどうにかしなくてはと…。三条は鍛冶屋の街。自分にも金属加工の素地はありましたし、金属に関わる仕事が身近に多くあったので始めやすかったですよ。父親は農業をやりながら、私の仕事の手伝いもしてくれました。近所の人にも手伝いを頼み、人手を集めながら少しずつ事業規模を拡大していったんです」

当時の自分は、挨拶もロクにできない若者だったと振り返る靖さん。周りの人に仕事を手伝ってもらったり、取引先を紹介してもらったりと、とにかくあらゆることで助けてもらった。

材料から加工まで、様々な分野の企業が揃う燕三条は何かを始めるには適している。自分の工場だけでは技量が十分でなくとも、他の工場と協力すれば満点の状態にすることができる。個々の力を集め、ひとつのモノとして完成させることが自然にできる環境が整っていた。

 

田辺プレスの工場内

 
 

99社が諦めても、5年かかっても、やり通して主力製品へ

新たな挑戦のために田辺プレスがマグネシウム合金を使ったプレス加工に着手したのは、2000年のこと。新潟県三条市がマグネシウム合金を利用した新製品の開発に取り組むプロジェクトを発足させ、田辺プレスも手を挙げた。市のねらいは、高付加価値のマグネシウム合金を活用することによる市場競争や後継者不足で先細りする産業の活性化だった。当初の参加企業は100社以上。手を挙げた他の多くの企業と同様、靖さんも当時では新素材のマグネシウムについての知見は全くなかった。

 

工場前の工業団地の様子。近隣にも様々な金属加工系の工場が並ぶ
マグネシウム合金は、切削加工中に出る切粉が発火しやすいことや、原材料が高いこと、これらの理由でコストがかかることなどから、一般的にはとても扱いにくい金属だ。もしも燃焼してしまった際に水をかけてしまうと水と反応して爆発してしまうリスクもある。マグネシウム加工を田辺プレスが請け負うことになった後、様々な課題を解決するために靖さんは大学教授を訪ね、教授とともにマグネシウム合金の加工データを集めた。曲げや、穴あけなどの加工テストは田辺プレスで行い、自社工場に設備の無かった溶接テストでは関係のある工場に協力を募った。地元の地場産業振興センターとの共同テストも行い、少しずつ素材に関するデータを集めノウハウをためていった。

 

マグネシウム製品の品質チェック中
それと並行して、マグネシウムを加工するための設備も整えていく。手元にある機械での加工が難しいとわかれば、自ら機械を開発もした。手探りながらもマグネシウムと向き合う日々が長く続いた。

 

マグネシウムの切削加工の様子
マグネシウム合金は、燕三条の多くの工場が使用する、鉄やアルミニウム、ステンレスと比べても軽い素材。実用の金属の中では最も軽いとされていて、比剛性、比強度はアルミや鉄よりも高い夢の様な金属だ。

そこで目をつけたのが、体力や力のない人が使う介護用具だった。まず試作を重ね、マグネシウム合金を活用した車いすを生みだした。ところが、この製品はコストがかさみ、思うような値段設定が叶わなかった。東京ビッグサイトで毎年行われる国際福祉機器展への出展までこぎつけたが、バイヤーとの取引は成功しなかった。

三条市のプロジェクトでは、田辺プレスと同じように、マグネシウム合金を使って製品化にまでこぎつけた企業もいた。しかし、これらもまた実用的な価格帯での販売の難しさに直面し、数多くいた企業はプロジェクトから徐々に離脱し、残ったのは田辺プレスただ1社となった。

 

約30名近くが田辺プレスの工場で働く
それでも、靖さんは諦めずにマグネシウム合金の加工を続けた。
遠くない未来に、介護業界に革命を起こすだろうと、確信があったのだ。
車いすに代わって着手したのは、歩行補助の杖。展示会で試作品を見るバイヤーや、実際の利用者からヒアリングした意見をどんどん製品に反映させた。次第に、商品を目に留める人が増え、取引先が決まった。これで5年間必死に苦心したものが、ようやく報われることとなった。

「5年の間、売り上げが1円もない状態がずっと続きました。会社のためにも、部品加工の仕事があるうちに次の動きを模索しようとマグネシウム合金に着手したので…。ようやく結実したという感じです」

 

 

苦労の分だけ十分な対価を得ることができた。歩行を補助する軽量の4点杖はいまや田辺プレスの看板商品となっている。その重さは440g。一般的なサッカーボール一個分と大差はなく、金属だと思い手にした人は誰もが驚く軽さだ。こうした介護用具が田辺プレスの売り上げの6割を占めるようになった。

 

 

 
 

自社での金型内製、機械の製造。難しいものをお願いしてもらえる土台づくり

マグネシウム加工成功以前の田辺プレスの主力商品は精密部品だった。従来の商品から路線を変更しようとしたのは、全国的に製造の量産化が進み、工場が海外に拠点を移し始めたことに雲行きの怪しさを感じとったためだ。当時の主な仕事内容であったミシンの部品製造もこれらと同じくして海外工場にシェアを取って代わられてしまう。ドルショックやオイルショックといった世界情勢の余波も受け、他の工場と同じく、田辺プレスも苦しい経営を強いられた。

「だったら他の工場が避けるような、難しいものに挑戦していく」

 

現在の田辺プレスの主力製品の介護機器
創業してから田辺プレスはこの考えを大切にしてきた。だからこそマグネシウムにしても、誰もが太刀打ちできなかった素材の可能性を諦めず、愚直に挑戦を重ねることができた。

「そうすれば仕事には困らん」

靖さんの力強い言葉通り、請け負っていたミシン部品の会社が海外工場へ生産を移行してしまった後、田辺プレスでは金属の加工工場として独自性を出すために金型の内製化を進める。自社で金型からつくることで、工場としてどんなオーダーにも応えられる状態にしたのだ。実際に時計の部品製造では、ブランドの多様なモデルに対応できる体制を内製で整えることに成功した。

この舵取りの成功が呼び水となり、他の工場では対応の難しいプレス加工や、細かい部品の加工仕事が田辺プレスに舞い込んでくるようになる。今なお取引が続く猟銃の部品製造もそのひとつだ。

 

 

ここからは、いよいよ工場の中へ足を運ぶ。
ご案内いただくのは、靖さんの息子さんである敬輔さん。早速ミシンの部品や、猟銃の部品製造について話してくれた。

「これらに共通した作業としてシェービング加工というものがあり、プレス加工で抜いた断面をなめらかにすることで作業効率をあげることができます。田辺プレスはその加工が得意なんです」

一般的なプレス加工機は溜めたエネルギーを金型の上下運動に変換されプレスされる。一方で、油圧式のプレス加工機はどれくらい上型*を下げるか、速さや圧力を制御することができるため、シェービング加工がしやすくなっている。

*上型…プレス加工は金型を上型と下型に設置し、間に挟んだ金属板に圧力をかけることで型通りの形に抜くことができる。

 

 

シェービング加工の様子
「シェービング加工するためには、上型をコントロールできるシステムが必要でした。そのために、うちの専務が機械メーカーに通いつめて、油圧式のプレス加工機を製造したという話があります。なかなか行動的ですよね、うちの専務は(笑)」

田辺プレスには最新式の機械だけではなく古い機械もいまだ現役で稼働している。靖さんが最初に導入した、田辺プレスの原点ともいえるプレス加工機も未だ現役だ。古い機械は最新式とは違い、安全装置がついていないためやや危険性もはらむが、古い機械のみに合う金型も多くある。また、プレス加工機によって能力が異なるため、製品によって機械を使い分けているのだ。

 

 

機械・金型のメンテナンス、加工速度や圧力の制御など機械の自動化が進んでも、どの機械がどの加工に適しているのかの判断などは職人の技術や経験に頼る部分が今なお大きい。細かく、精密な作業のため、わずかな誤差が製品の質を大きく左右する。

 
 

これからは先を見る目のある企業が残っていく時代

田辺プレスは世の移り変わりの早さを誰よりも知っている。

過去には、手がけてきたミシンや時計の部品などの主力商品の加工仕事が全てなくなったことだってある。あの時、辛酸を舐めた時のことを忘れはしない。目下のところ、マグネシウム合金の介護用具がうまくいっているといえど、油断は禁物だ。

「日本の介護業界も先が見えていますよね。人口減少社会に突入している日本の市場ではなく、世界的な目線で、たとえば中国の市場を見据えて動く必要があると考えています」

 

 

海外でマグネシウム合金を使用した介護用具は少ない。田辺プレスが参入するチャンスはあるだろう。実際に息子の敬輔さんは知り合いづてに「中国へ介護用具を出してみないか」という話をもらっている。

ただ、真面目にいいものを作るだけでは、生き残ることは難しい。
それが、ものづくり企業の難しいところだ。だからこそ機を伺い、アンテナを常に張り巡らせる必要がある。

「心配事が10あるとすれば、いいことがひとつやふたつあればいいほうですよ」

 

 

笑いながらそう話す靖さんの、何度も立ち上がるその原動力はどこから湧いてくるのだろう。

「お客さんにどうしたら喜んでもらえるのか考えて、その度に一生懸命やるだけ。そうすることで道を切り拓いてきました。商売をやって長いので、友人や周りの人がサポートしてくれたり、困っているなら『あそこ頼ってみろ』と紹介してくれたり、解決するには人のネットワークが多いんですよ」

鍛冶屋が製造したものが金物屋の手に渡り、金物屋が全国に商品を売り歩いて財産を得て帰ってくるといったやり方で産地を支えてきた三条地域。その仕組みは現代社会の大量生産とは相反していて、時代に迎合されるようなやり方ではない。今までのように職人たちの手から卸へと商品が渡っていくのではなく、メーカー一社が製造から販売まで全てを請け負うことも今では当たり前のことだ。

だからこそ、今まで以上に先見の明をもつ企業だけが生き残る時代になっていく。

 

 

「マグネシウム合金は、ものになる」

先の見えない旅路でいくつもの失敗を重ねながらも、成功を掴むまで歩き抜いた田辺プレス。強い信念と伴走してくれる近隣工場、未来の顧客の姿があってこそ、この旅路を歩き抜くことができた。

まるで三条を流れる五十嵐川の流れのように、ひとところにとどまらず、田辺プレスは今日も挑戦を続ける。

 
 

田辺プレス株式会社 

〒955-0061 新潟県三条市金子新田984-21
TEL:0256-32-1492
FAX:0256-35-8095