変わり続ける発想と、変わらない技術。燕三条の「ひきもんや」の誇りをかけた挑戦
そんな話を耳にしたことはないだろうか。洋食器や金物など、金属加工で有名な新潟県の燕三条地域も、同様の課題を抱えている。
ところが、そんな苦しい環境の中で新しい風を吹かせようと奮闘を続ける若手経営者の姿がある。株式会社和田挽物(以下、和田挽物)の代表取締役・長谷川哲和(はせがわてつかず)さんだ。後継者不足に悩む燕三条の中で、若手スタッフの採用を積極的に行い工場の活性化を図る。
技術力と発想力が織りなす、工場の経営。和田挽物の技術と、その根底にある想いを追いかける。
旋盤加工のプロ「挽物(ひきもの)屋」
和田挽物は、燕三条の中では「挽物屋(ひきものや・ひきもんや)」と呼ばれる。挽物とは、回転させた素材に刃物を当てて削ることで成形された加工物やその方法を指す。一般的に金属加工よりも、木材加工の現場でよく使われる呼称だがその原理に違いはなく、形状を変えたり穴を開けたり、加工の種類は要望に応じて様々だ。
和田挽物の技術力の根幹は旋盤機
「うちの金属加工に必要な機械を旋盤と呼びます。回転する台に加工する対象物を取り付け、刃物を当てて削っていくことが挽物の作業です。和田挽物の工場では、タイプの異なる旋盤機を使用しているので、まず1階にあるNC自動旋盤からご紹介します」
工場の入口近くに現れた、人が両手を広げてもまったく足りないほど幅の広い旋盤機こそがNC自動旋盤だ。
実際に部品が完成するまで必要な工程は、データを入力してスイッチを押すのみ。機械の内部は長いレーンのようになっており、流れ作業を可能にしている。
「自動旋盤には、大きく分けてふたつのメリットがあります。
ひとつは、機械の制御がデジタル式なので、新人でも設定方法を習得すればすぐに扱えるようになること。技術の継承が課題とされているものづくり業界にとって、変わらないクオリティをいつまでも提供できるのは、それだけで価値があることです。
ふたつめは、シンプルな図面の部品ならば、高精度での加工が可能なこと。複雑な図面の場合はその限りではありませんが、設定さえ終えてしまえば、その後は人の手を加えることなく部品ができあがるんです」
設定によって旋盤の動きが変わってしまうため、13台ある旋盤それぞれに対応した設定を都度行い、作業効率を高めているのだという。
昭和の時代からのアナログな機械も「あわせ技」で現役大活躍!
「機械を端から見てみると、どんなふうに動いているのかがよく見えますよ。カムには工程ごとにうまく動作するようギザギザの切込みが入っています。この段差に合わせ、軸の動きが変わっています」
なぜ、このようなアナログ機械を現役で使用しているのだろうか。今も和田挽物の職人技を40年以上支え続けているカム式自動旋盤。一見、手間がかかるようにも思えるが、NC自動旋盤と合わせて用いることで、相乗効果が得られるという。
「今使用しているカム式自動旋盤は1982年型で、もう生産が終了してしまった機械。先ほど見ていただいたNC自動旋盤が2015年型なので、すごく古いモデルであることがおわかりいただけると思います。それでも、うちでは両方の機械を効率良く使うことを意識しています」
つまり、シンプルな加工であれば実はカム式の方が早いのだ。カム式自動旋盤は職人が自らの手動で旋盤を調整しているため、設定には熟練の技術が必要だが、その技術力さえあれば1個あたりの加工時間は短くなる。カム式自動旋盤には古さを感じさせないそんな能力が備わっているのだ。
若き代表が和田挽物に携わるまで
長谷川さんは、令和元年の6月から代表取締役に就任した和田挽物の三代目だ。
取材中も工場内の若手とコミュニケーションを取り、ベテランともスムーズにやり取りする姿が見うけられ、長谷川さんがスタッフから信頼を得ている様子が伝わってくる。まだ若手とされる年齢での代表就任となるが、いったい長谷川さんはこれまでどのような人生を歩んできたのだろうか。
幼いころから職人として働く父の姿を見ていた長谷川さん。小学生のときには、簡単な梱包作業を手伝っていた。ところが、父の事業を継ぐ選択肢は、全くと言えるほどなかったらしい。
「反抗期というんですかね、絶対に父の事業なんか継がないぞ、みたいな思いが湧いてしまったんです(笑)。一度は実家を出て、東京でフリーターをしていました。いろいろなアルバイトを経験したんです。焼肉屋にも勤めたし、夜の仕事にも関わったことがあります」
「アルバイト先では、必死に会社を経営する大人をたくさん見てきました。小さな組織で働いていたおかげか、知らず知らずのうちにそんな経営者の姿に憧れを抱くようになったんですよね」
自分もいつか経営に携わってみたい。そう考えたとき、長谷川さんの中に生まれたのが実家に戻る、という選択肢だった。
「最適な環境が実家にあるなあと思ったんです(笑)。そうしてこっちに戻ってきて、職人として技術を学ぶだけではなく、10年ほど前からチームマネジメントにも関わるようになりました。現在は手を動かすのではなく、メンバーをまとめることが僕の主な仕事です」
東京に足を伸ばしたからこそ見つかった経営という道。そして、環境が整っていた実家、和田挽物。一度は拒んだ職人の道も、よく考えてみたらある種の運命のようなもので繋がれていたのかもしれない。
若手も女性も、みんなが和田挽物の門を叩く理由
跡継ぎ問題がこれほどまでに深刻化している燕三条地域で、このような人材から選ばれる理由はどこにあるのだろうか。
多くの職人たちが和田挽物を「良い」と評価する背景には、長谷川さんの現代流なマネジメントが功を奏している。昔ながらの工場のようなピラミッド式の形ではなく、フラットでオープンな組織を作っているのだ。
「例えばですが、メンバーが作業工程にある失敗をしたとします。普通なら怒ってしまったり始末書を書かせたりといった対処をすると思うのですが、うちでは違います。
朝に行う全体ミーティングの場で、失敗の内容を全員に共有するんです。張本人を責めるためではなく、誰かの失敗はみんなの失敗になり得るものだから、全員で共有することで、一緒に気をつけようと団結感を生むんです」
「ほかにも、年功序列の考えを取っ払いました。もちろん長く働いている職人が実力の持ち主であれば問題ありませんが、若いからといって裁量権を与えられないのは正しいことではないだろうと思うんです。若手のメンバーだって『やってみたい』と思うことはあるだろうし、それを経験させられる環境は必要ですから」
若手が挑戦したいという意思を持っていたなら、それを後押しする。実際にできるかどうかではなく、体験することで得られる気付きを重視している。
若手経営者の輪で生み出す、高品質なものづくり
「うちでは今、中間加工業のみにとどまらず、最終製品の取りまとめをも行なっています。ビジネスの側面から見た利益拡大の意図もありますが、一番大きかったのは大企業の下請けだけにとどまらない会社でいたい、という想いです」
これは、分業制のものづくりをする燕三条だからできたことであり、そして、ただの下請けから脱却することでもある。
「僕にその考えを教えてくれたのは、懇意にしているとある工場の方々なんです。若手の経営者ということもあって、今の考え方に基づいた方針を持っていらっしゃるんですよね」
「挽物屋のように、中間加工を得意とする人間は、パーツの発注ばかりを受けるから、つい必要なのはパーツだと思ってしまうんです(笑)。でも、本当は違う。僕たちが作っているパーツは製品となるし、エンドユーザーが求めているのは、完成した“もの”。そう考えたとき、僕らが取り組むのは、高品質な“もの”づくりに携わることだと思いました」
それでも、やっぱりうちは、挽物屋なんです
「ほかのものづくりの産地とは異なって、分業ができる場所っていうのはすごく魅力が大きいですよ。だからこうして、最終的な製品の取りまとめをすることだってできるし、若手の経営者同士の輪も作れる。これからの時代は、より一層技術を継承していかなければなりません。そのために、今僕らの世代が一丸となって工場を、技術を、守っていきたいです」
ライン生産も担うし、燕三条を盛り上げるための関係づくりも行う。
時代が変われば、人も、産地も、だんだんと変わる。だけれど、変わらずに残り続けるものもきっとあるのだろう。長谷川さんののびやかな考え方と、和田挽物の不変的な魂。変わり続ける強さと変わり続けない強さ、その両方をいっぺんに見せてもらったような気がした。
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