越後三条打刃物の原点はここにあり!技術に科学の裏付けを―三条製作所
創業者である岩崎航介氏は、当時職人の手腕と勘頼みだった鍛冶の世界に、顕微鏡による金属組織の科学的分析を行う“冶金学(やきんがく)”を取り入れた。それは後に、大量生産による痛手を受けた越後三条の打刃物業界全体を盛り上げる、起死回生の一手にも繋がるのだった。
水落(みずおち)良市氏は、産地を救うほどの技術を当時から変わることなく継承する三条製作所を支えるひとり。創業者航介氏の息子であり越後鍛冶として国内外にその名が知られる岩崎重義氏の弟子でもある。
今や三条製作所の剃刀の注文は向こう3年待ち。簡単には手に入らない代物となった。替え刃の剃刀が主流の今の時代、なぜこうまでして求められ続けているのか。
その他の鍛冶には目もくれず、剃刀鍛冶一本で勝負してきた三条製作所の歴史を振り返りながら、冶金学と鍛冶技術の合わせ技について話を伺った。
冶金学の第一人者が始めた鍛冶の道
「日本には世界に冠たる優れた日本刀があるにもかかわらず、ドイツの製品に負けてなるものか」
そう思った若き航介氏は、日本刀を研究し始めたと言う。日本刀に関する古い記録文献を読み解くため、東京帝国大学文学部国史学科へ入学。学業と並行して、全国の刀鍛冶を巡り、刀の研ぎや鍛法を自分の目で見て学んだ。製法をより深く知るために、卒業から間を空けずに工学部冶金科に再入学し、刀の材料である玉鋼の研究も行った。ドイツ製品に勝る刃物をつくりたい。その一心で、知識と技術の両方を磨いていったのだ。
大量生産の流れに逆らった一つの希望の光、冶金学
航介氏の冶金学は国にもその功績を認められ、後に正倉院の刀剣調査員を任命されることとなる。
研ぎが命の剃刀鍛冶
水落さん「昔は床屋さんが研ぎも行えるプロだったんですが、今は替え刃が主流ですからね。先代から研ぎを習わないまま、跡を継いだ床屋さんもいらっしゃるようです。」
①鍛接(鋼付け)
材料である鉄と玉鋼を接着する作業。熱した鉄に接着剤*を蒔き、鋼をつける。
②鍛造
熱した金属を金槌で叩くことで、形を整えながら硬度や密度を高め、強くする。
③削り
④焼入れ
鋼の温度を上げ、一定時間置いた後、急激に冷却させることで、硬度を持たせる。
⑤磨き
⑥研ぎ
他の刃物と比べ、一番細かい作業。様々な砥石を使って一本ずつ丁寧に研いでいく。最終的にこの作業をすることで刃がつき、切れ味が抜群によくなる。
一連の作業の中で特に水落氏が気を張っていたのが、鋼付けのときだ。鍛接剤は温度が上がるとガラス状に溶け出し、乗せた鋼が動きやすくなるため、非常に高度な技術が必要になる。鋼を乗せる位置も肝心だ。鉄のみの部分と、鋼が入っている部分のバランスが、刃物の品格に関わってくる。
水落さん「色んな砥石がありますが、うちでは京都で採れる最高級の、砥石を使用しています。非常に細かい研磨剤が含有されていて、尚且つ研ぐ力のある砥石なんです。愛知の三河でとれる砥石も併用することで、肌当たりの気持ちよい剃刀に仕上げることができます。」
研ぎはこれで終わりではない。拡大鏡で研げているかどうか確認をし、今度は絹の布にダイアモンドペーストを練りこんだもので研ぐ。最後の最後まで丁寧に研ぎの工程を行うことで、切れ味抜群だが肌にストレスをかけない、最高品質の剃刀が完成する。
師匠から弟子へ。受け継がれる鍛冶屋の魂
水落さん「そもそも当時の私は、鍛冶屋に興味がありませんでした(笑)。銀行への就職が決まりかけていたのでそのまま銀行員になるものだと自分でも思っていたんです。そんなときに、ふと重義さんに『大学に行くと思って、4年でいいからこないか』と誘われ、その誘いにのることを決めました。」
それから水落さんは重義氏のもと、鍛冶屋として働き始める。しかし入社して10年が経ったころ、簡単で使いやすい替え刃が流行りだし、個人だけでなく床屋も替え刃に移行したことで需要が一気に落ち込んだ。同期で入社した仲間もこのまま剃刀鍛冶をやっていてもダメだと思い、包丁鍛冶として独立していった。
水落氏は同じタイミングで、家業の金物卸業へ戻ることに決めた。しかし、ただ仕入れた刃物をそのまま販売することはせず、商品に研ぎを施すことで販売価値を上げた。そうして研ぎから完全に離れることなく、30年弱という時間を、そこで過ごしたのだった。
水落さん「もう一度鍛冶屋の世界でやりたいと、重義さんに会いに行きました。快く迎えてくださり、こうして剃刀鍛冶をしています。戻ってきた当初、半年間は製品を出さずに勘を戻すために金槌を叩いていました。それでもお得意様が待っていてくださり、毎月買ってくれる方もいます。そのおかげで、私は営業をせずにただ剃刀を作ることに専念できています。」
水落さんは鍛冶の世界に戻ってから伝統工芸士の試験に挑み、見事合格。71歳のときだった。十分に歳を重ねてから挑戦するほど鍛治仕事に思い入れのある水落さんは、剃刀鍛冶の今後についてどう考えているのだろうか。
みんなから愛される、通称「よしくん」こと稲垣良博さんは、遠く神奈川から鍛冶職人になるために修行中の19歳。小さいころにテレビでみた包丁職人に憧れ、鍛冶職人の門を叩いた。高校の夏休みを利用して大阪の堺市や高知の土佐市といった刃物の産地を巡るうちに、全行程すべてに携わる三条市の鍛冶に魅力を感じたという。今は一人暮らしをしながら三条製作所で修行に励んでいる。77歳と19歳の師弟関係とは。
稲垣さんの言う通り、取材中も水落さんが稲垣さんのことをよく褒めていたのが印象的だ。稲垣さんは照れくさそうにしながらも、親方である水落さんが鉄を叩くと目の色を変え食い入るように見つめていた。彼にとって水落さんの行動すべてが手本であり、教えなのだ。
水落さんは、次世代へ鍛冶屋のバトン渡す真っ最中だ。
完成しないものづくりの世界
水落さんのもとで働く稲垣さんは、師の技術を身近で見て何を感じているのだろうか。
正解のない、ものづくりの世界。日々職人は腕を振るい、昨日の自分と戦っている。三条製作所の剃刀が国内外で人気を博しているのは、科学的根拠に基づく技術と職人のたゆまぬ努力の結晶によるものだろう。
稲垣さん「僕も自分なりのやり方をみつけ、剃刀を作り続けたいと思います。」
次は弟子が自分の形を模索する番だ。新たな剃刀の誕生が待ち遠しい。
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