2020.9.25 UP

海外で火がついた国産高性能ニッパー。95年企業の考える、これからのものづくり

「マルトのニッパーは切れ味が良く、細かい作業も難なくできる」

世界20カ国以上で使用される作業工具シリーズの「KEIBA」と、世界的なネイリストからも支持をされるネイルニッパー「MARUTO」。これらをつくる会社が新潟の燕三条地域にあります。95年ものあいだ愚直にものづくりに向き合ってきた株式会社マルト長谷川工作所(以下マルト)です。
マルトは国内で多くの工場がしのぎを削っていた時代に、海外での販路拡大にいち早く踏み切り、今では日本国内でも注目される存在となりました。工具メーカーではなかなか実現できない「セル生産方式」と呼ばれる方法で生産性を高め、鋭い切れ味を実現するべく刃付けをはじめとする全工程で品質を追求する姿勢は、95年の歴史で積み上げてきたノウハウで溢れています。

 

 

世界で支持される燕三条製品。そこにあるニッパーの工場が自ら生み出すブランドはどの様に作り上げられていったのか。海外の市場を駆け上がって来たマルトが、今後どのように自社ブランド力の強化に取り組んでいくのか。4代目社長の長谷川直哉さんにお話を伺いました。

 
 

世界で高い人気を誇るKEIBAとMARUTO

機械修理や自動車製造、プラモデル製作にいたるまで、幅広く使われるペンチやニッパー、レンチなどの作業工具ブランド「KEIBA」。「KEIBA」最大の特徴は、切れ味の高さ。新潟県三条市に文化として花開いた鍛冶の流れを踏襲したマルトの職人が、一本一本手作業で刃付けをしています。工場の機械化が進んだ現在でも、刃付けなど特定の工程は、職人の手による作業を怠りません。切れ味を追求するマルトの精神が、品質に直結しています。

 

 

長い年月をかけて「KEIBA」の名が世界へ広がると同時に、4代目の長谷川直哉さんはもうひとつのブランドを立ち上げました。それがニッパー型の爪切りを中心とした「MARUTO」です。軽やかな切れ味となめらかな断面が話題となり、世界を代表するネイリストからも高い評価を得るようになりました。

海外で先に評価されるようになったマルトの製品群。
なぜ日本ではなく海外の販路を広げていったのでしょうか。まずは創業の歴史を振り返ります。

 

絶大な信頼を誇るKEIBAのプロダクト

 
 

後発のニッパー製造会社は、海外に販路を求めた

創業は、関東大震災の翌年の1924年。初代の長谷川藤三郎さんは、東京の向島にある工場で働いたあと、故郷に戻り、締ハタ(しめはた)や小農機具、大工道具等の製造を始めました。中でも、特に需要が高まったのが、締ハタでした。主な用途に、薄い板などを圧着する際に固定したり、接着剤をつけて接着させたりがあげられます。大工や建具屋、ふすま屋、屏風屋など、幅広い業種の職人が使う道具です。締め付けねじがある箇所が旗のように見えることから、別名・ハタガネと呼ばれることも。
その名付け親は、マルトの初代藤三郎さんだったそうです。

新しいもの好きだった藤三郎さんは当時最先端だった、金属を叩いて形を整える「スプリングハンマー」を県内で初めて導入した人でもあります。当時、高い鍛治技術を誇った大阪府の視察で初めて知り、かなりの高額商品にも関わらず、一晩悩んだだけで購入の決意を固めたそうです。

 

当時のスプリングハンマーは今も敷地内に
天性の先見の明を持つ初代から事業を引き継いだ2代目藤三郎さんは、とある理由が原因で本気で海外進出を狙うようになりました。

「当時、作業工具メーカーは関西の力が強く、顧客となる大手企業を抱え込んでいました。そのため、どれだけ足繁く企業に通っても門前払い。『今さら来ても遅いよ。だったら、輸出でもやったらどうですか』と半ば投げやりにいわれたこともあるそうです」

海外に目を向け始めた1970年代、当時はアメリカでホームセンターの売り上げが爆発的に伸びていた頃。その波に乗り、マルトのペンチやニッパーも多く売れたばかりか、ホームセンター独自のプライベートブランドとしてOEMを請け負うことになります。そしてその後、プラスチック用ニッパーが転機となって、マルトは一気に販路を広げるのです。

「従来の鉄用のニッパーに比べて、プラスチック用ニッパーは刃先が薄い。その利便性が支持されるようになり、全ニッパーの7割くらいが薄刃のニッパーへと変わっていきました。また、競合だった会社が80年代に倒産したことを受け、この市場はマルトの独壇場になりました」

 

工場内には昔の製品の金型も

こうして、マルトのOEM商品は北米トップシェアを誇るようになっていきました。3代目が後を継いでからは、工場の効率化にも着手。今でも3代目が残した功績は工場内のいたるところに見られます。

 
 

効率化を図るため、他社が手を出せないセル生産やIoT化にも挑戦

耳をつんざくほどの大きな鍛造の音を聞きながら、工場内を案内してもらいました。まず教えていただいたのは、ペンチやニッパーの原形をつくる鍛造の工程。マルトは日本有数の製鉄所「神戸製鋼所」から特注の鋼を仕入れています。鍛造で形をつくり、ゆっくりと長時間かけて冷却する「焼きなまし」と呼ばれる工程を経て加工しやすいように鋼を柔らかくします。

大まかな製造の流れを聞きながら工場をまわっていると、機械が楕円形に並んだ見なれない場所へとやってきました。

 

セル生産方式の工場内の様子。人が隣の機械へ移動しながら製品が作られていく
ここは、ペンチやニッパーの形になるように成形する工程。独特なのは、「セル生産」と呼ばれる生産体制です。一人の職人が両手にペンチやニッパーの両刃を持ち、各部を削って形をつくっていきます。次から次へと隣の機械の前へと体を移し、目を奪われる様な速さで加工が終了します。あまりの速さと細かさで素人目には何をやっているかわかりません。普通は一工程ごとに職人が変わるそうですが、マルトは一人で削る工程すべてを担当しています。

1997年から生産体制の改善を始め、工程の整備とともに人材育成も進めてきました。その結果、ペンチひとつの機械加工時間を約分から、約35秒と大幅に縮めることとなったのです。

 

 

そして、焼き入れと焼き戻しの工程を経て、マルトが支持される理由のひとつである「鋭い切れ味」を実現する刃付けの工程へと移り変わります。何度も微調整を繰り返し、刃先を見つめ再度調整を繰り返していきます。

 

緻密な確認が鋭い切れ味を生む
案内をしてもらっている最中でふと目についたのが、数字が表示された電子盤。機械と電子盤が繋がっていて、リアルタイムで生産数を表示しています。

 

ものづくりが可視化されるこの仕組みも、燕三条ではまだまだ少ない
「まだまだIoTと呼ぶほどのことではないですが、予定数と実績数、その差の実数と割合が一目でわかるようになっています。導入してから社員の意識も変わりました。精度と速さが格段に良くなっているので、今後は他の工場などにも横展開させていきたいと思っています。」と工場案内役の中村さんは語ってくれました。
このシステムはマルト社員の手作りで、社内の小チームで実用化した改善活動の魂の結晶とのことです。

 

 

 
 

一時は円高で厳しい時代へ突入。初めて自社ブランドを意識

4代目の社長、直哉さんは2011年に代表取締役に就任。今や世界的なネイリストも使用する「MARUTO」を筆頭に、ブランディングに力を入れています。

その理由を直哉さんは次のように語ります。
「『自分のブランドで売れるのか?』とOEM発注元から言われたことでした。北米でトップシェアを誇るようになったとはいえ、私たちは下請けでマルトの名前が出るわけでもない。果たして自分の名前で商品が売れるのかと考えるようになりました」

そのときに悔しさを感じるとともに、目が覚めたといいます。「自分で企画して、自分で値決めできる会社をつくろう」と。こうして、マルトはブランド力強化の道を歩み始めます。

 

広大な敷地内に複数の工場がひしめく
1967年に、ある大手化粧品メーカーから「爪切りをつくってくれないか」と持ちかけられたことがきっかけで始まったOEM生産の爪切り。思えばこれが、今の「MARUTO」の先駆けの商品でした。

「日本ではまだ板式の爪切りが主流でしたが、ヨーロッパではニッパー型の爪切りが主流。そんなときにニッパーを作っているマルトさんに相談してみようとなったみたいです。しかし当時は、作業工具も波に乗り忙しい時期。残業時に特別ラインをつくり、残業時間だけで、1年間で35万個。えげつない数ですよね。」そう直哉さんは笑顔で話してくれました。

景気が悪くても爪は伸びるし、女性はモノを買う。爪切りの可能性に気づいたのです。

 

ショールーム内の様子
ロゴは人差し指の爪にも、作業工具「KEIBA」と同じ馬の蹄にも見えるデザイン、そして色は新潟のトキにちなんだ色に。今までの悔しさやできなかったことを「MARUTO」にぶつけようとロンドンに出張所をつくり、本格的に海外展開を図っていきました。

まずは海外の展示会に積極的に出展。代理店ではなく、自社出展で年間11回も参加するようになりました。こうして海外で活動していると、著名人が仕事で来ていることもあるのでプレゼントとして商品を提供していました。また、有名ネイリストの教育プログラムやネイルスクールでも「MARUTO」を使ってもらうように依頼。生徒は先生が使うニッパーと同じものを使うことが多いので、徐々に需要は広がっていきました。

このように海外で特にブランディングに力を入れてきた直哉さん。本来あるべきブランディングとは「社員がストーリーを語れること」だといいます。

「ヨーロッパの一流企業に行くと、20代くらいの若手社員が創業者のストーリーを語り出すんですよ。本来のブランディングは手法ではなく、語りたくなるストーリー。社員がしっかりと語れて、お客様に伝わることが何よりも大切ですよね」

 

 

 
 

寒い地域だからこそ言語が発達し、ものづくりが進化してきた

そんな話を聞いていると、直哉さんは「持論がある」とものづくりと言語の関係性についても話してくれました。

「ニッパーで切るときの音として“パチン”と、“プチン”と聞いて、私たち日本人は何となく違う印象を受けますよね?実は海外の人には音の違いで印象が変わることをなかなか伝えられないのです。それは、季節や風土によって、特に寒いこの地域には様々なオノマトペが存在するからなのではないでしょうか。日本には紅葉ひとつとっても地形や土地の特色によってたくさんの言葉があるし、量を表現する方言も“ふっとつ”“よっぽ”、“いっぺこと”とたくさんの種類がある。世界を見ても寒い地域は、言語中枢が発達して、結果として器用になるのでは。ものごとで一流になるには言語力が大事なので、それはものづくりでも一緒なのではないかなと。そんな風に新潟という場所を捉えてみると、ポテンシャルがあると思います」

寒い地域だからこそ、質の高いものづくりが進んだ新潟県。

それでは最後に、「MARUTO」をはじめとし、ブランディングに力を入れてきた直哉さんは、ものづくりのまち燕三条をどうしていけば良いと思っているのだろうか。

「ロンドンでジャパンハウスの企画展をやったりして、産地として名前を売る機会は増えてきているとは思います。かといって、まだ世界の一流企業と肩を並べられるわけではない。燕三条はスーパー黒子カンパニーが多い地域ですよね。でも一流企業の商品をつくっている企業もあるわけですから、もっと技術力や名前を売り出して産地・燕三条としてさらにネームバリューが生まれればと思っています」

 

駐車場完備で訪れやすいショールーム
商品の質を高めてきた新潟県燕三条地域の職人。その技術を言葉にし、自らの会社のストーリーを社員一人ひとりが伝える。社員が創業の歴史や想いを伝えられる会社は、きっと会社に対する愛も深い。ものづくりの黒子カンパニーから一歩抜きん出るため、今日も新潟の95年企業のものづくりは続く。

 
 

株式会社 マルト長谷川工作所 

〒955-0831 新潟県三条市土場16-1
TEL:0256-33-3010
FAX:0256-34-7720
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