海外で火がついた国産高性能ニッパー。95年企業の考える、これからのものづくり
世界20カ国以上で使用される作業工具シリーズの「KEIBA」と、世界的なネイリストからも支持をされるネイルニッパー「MARUTO」。これらをつくる会社が新潟の燕三条地域にあります。95年ものあいだ愚直にものづくりに向き合ってきた株式会社マルト長谷川工作所(以下マルト)です。
マルトは国内で多くの工場がしのぎを削っていた時代に、海外での販路拡大にいち早く踏み切り、今では日本国内でも注目される存在となりました。工具メーカーではなかなか実現できない「セル生産方式」と呼ばれる方法で生産性を高め、鋭い切れ味を実現するべく刃付けをはじめとする全工程で品質を追求する姿勢は、95年の歴史で積み上げてきたノウハウで溢れています。
世界で高い人気を誇るKEIBAとMARUTO
海外で先に評価されるようになったマルトの製品群。
なぜ日本ではなく海外の販路を広げていったのでしょうか。まずは創業の歴史を振り返ります。
後発のニッパー製造会社は、海外に販路を求めた
その名付け親は、マルトの初代藤三郎さんだったそうです。
新しいもの好きだった藤三郎さんは当時最先端だった、金属を叩いて形を整える「スプリングハンマー」を県内で初めて導入した人でもあります。当時、高い鍛治技術を誇った大阪府の視察で初めて知り、かなりの高額商品にも関わらず、一晩悩んだだけで購入の決意を固めたそうです。
「当時、作業工具メーカーは関西の力が強く、顧客となる大手企業を抱え込んでいました。そのため、どれだけ足繁く企業に通っても門前払い。『今さら来ても遅いよ。だったら、輸出でもやったらどうですか』と半ば投げやりにいわれたこともあるそうです」
海外に目を向け始めた1970年代、当時はアメリカでホームセンターの売り上げが爆発的に伸びていた頃。その波に乗り、マルトのペンチやニッパーも多く売れたばかりか、ホームセンター独自のプライベートブランドとしてOEMを請け負うことになります。そしてその後、プラスチック用ニッパーが転機となって、マルトは一気に販路を広げるのです。
「従来の鉄用のニッパーに比べて、プラスチック用ニッパーは刃先が薄い。その利便性が支持されるようになり、全ニッパーの7割くらいが薄刃のニッパーへと変わっていきました。また、競合だった会社が80年代に倒産したことを受け、この市場はマルトの独壇場になりました」
こうして、マルトのOEM商品は北米トップシェアを誇るようになっていきました。3代目が後を継いでからは、工場の効率化にも着手。今でも3代目が残した功績は工場内のいたるところに見られます。
効率化を図るため、他社が手を出せないセル生産やIoT化にも挑戦
大まかな製造の流れを聞きながら工場をまわっていると、機械が楕円形に並んだ見なれない場所へとやってきました。
1997年から生産体制の改善を始め、工程の整備とともに人材育成も進めてきました。その結果、ペンチひとつの機械加工時間を約分から、約35秒と大幅に縮めることとなったのです。
このシステムはマルト社員の手作りで、社内の小チームで実用化した改善活動の魂の結晶とのことです。
一時は円高で厳しい時代へ突入。初めて自社ブランドを意識
その理由を直哉さんは次のように語ります。
「『自分のブランドで売れるのか?』とOEM発注元から言われたことでした。北米でトップシェアを誇るようになったとはいえ、私たちは下請けでマルトの名前が出るわけでもない。果たして自分の名前で商品が売れるのかと考えるようになりました」
そのときに悔しさを感じるとともに、目が覚めたといいます。「自分で企画して、自分で値決めできる会社をつくろう」と。こうして、マルトはブランド力強化の道を歩み始めます。
「日本ではまだ板式の爪切りが主流でしたが、ヨーロッパではニッパー型の爪切りが主流。そんなときにニッパーを作っているマルトさんに相談してみようとなったみたいです。しかし当時は、作業工具も波に乗り忙しい時期。残業時に特別ラインをつくり、残業時間だけで、1年間で35万個。えげつない数ですよね。」そう直哉さんは笑顔で話してくれました。
景気が悪くても爪は伸びるし、女性はモノを買う。爪切りの可能性に気づいたのです。
まずは海外の展示会に積極的に出展。代理店ではなく、自社出展で年間11回も参加するようになりました。こうして海外で活動していると、著名人が仕事で来ていることもあるのでプレゼントとして商品を提供していました。また、有名ネイリストの教育プログラムやネイルスクールでも「MARUTO」を使ってもらうように依頼。生徒は先生が使うニッパーと同じものを使うことが多いので、徐々に需要は広がっていきました。
このように海外で特にブランディングに力を入れてきた直哉さん。本来あるべきブランディングとは「社員がストーリーを語れること」だといいます。
「ヨーロッパの一流企業に行くと、20代くらいの若手社員が創業者のストーリーを語り出すんですよ。本来のブランディングは手法ではなく、語りたくなるストーリー。社員がしっかりと語れて、お客様に伝わることが何よりも大切ですよね」
寒い地域だからこそ言語が発達し、ものづくりが進化してきた
「ニッパーで切るときの音として“パチン”と、“プチン”と聞いて、私たち日本人は何となく違う印象を受けますよね?実は海外の人には音の違いで印象が変わることをなかなか伝えられないのです。それは、季節や風土によって、特に寒いこの地域には様々なオノマトペが存在するからなのではないでしょうか。日本には紅葉ひとつとっても地形や土地の特色によってたくさんの言葉があるし、量を表現する方言も“ふっとつ”“よっぽ”、“いっぺこと”とたくさんの種類がある。世界を見ても寒い地域は、言語中枢が発達して、結果として器用になるのでは。ものごとで一流になるには言語力が大事なので、それはものづくりでも一緒なのではないかなと。そんな風に新潟という場所を捉えてみると、ポテンシャルがあると思います」
寒い地域だからこそ、質の高いものづくりが進んだ新潟県。
それでは最後に、「MARUTO」をはじめとし、ブランディングに力を入れてきた直哉さんは、ものづくりのまち燕三条をどうしていけば良いと思っているのだろうか。
「ロンドンでジャパンハウスの企画展をやったりして、産地として名前を売る機会は増えてきているとは思います。かといって、まだ世界の一流企業と肩を並べられるわけではない。燕三条はスーパー黒子カンパニーが多い地域ですよね。でも一流企業の商品をつくっている企業もあるわけですから、もっと技術力や名前を売り出して産地・燕三条としてさらにネームバリューが生まれればと思っています」
〒955-0831 新潟県三条市土場16-1
TEL:0256-33-3010
FAX:0256-34-7720
https://www.keiba-tool.com/