2021.2.15 UP

工業製品から工芸品へ。後継の少ないへら絞りを未来へ繋ぐ。ミノル製作所

「へら絞り」という技術がある。
へら絞りとは、へらと呼ばれる金属の棒をテコの原理を利用して金属板を金型に押しあて、少しずつ伸ばしながら成形する手法・技術だ。昔は燕市内に数十軒のへら絞り屋があったが、機械化の波に押されて今は10軒程度まで減少。60〜70代の熟練の職人ばかりで、次世代を担える若い層はほとんどいない。「このままでは技術が失われてしまう」。そう感じたミノル製作所の代表である本多さんは、若手の育成に取り組み始めた。会社の売上は厳しい状況にありながらも、「技術を絶やしてはいけない」という一心で指導にあたっている。そんな本多さんは「お寺の擬宝珠やロケットの先端などもへら絞りで作れるんです」とへら絞りの可能性についても教えてくれた。地域で最年少のへら絞り職人だった本多さんがなぜ若手の育成に舵を切ったのか。彼の思いと軌跡、へら絞りの未来について伺った。

 

 
 

試作や小ロットに向く「へら絞り」と、大量生産に向く「プレス加工」

ステンレスや鉄、アルミ、銅、真鍮などの金属にヘラを押し付けて伸ばす「ヘラ絞り」。出来上がりだけ見ると、機械で成型するプレス加工と同じだ。

その違いを問うと、本多さんは「先行投資が段違いに異なる」という。

「プレス加工の場合は金型を上下どちらも作る必要があるし、手順ごとにいくつも金型が必要になる場合もありますが、ヘラ絞りの場合は一つの金型を作るだけ。先行投資の金額が違うので、試作品や小ロットでの生産に強いんです」

大ロットは機械化が進んでも、小ロットはヘラ絞りでの加工が続いてきた理由がここにある。試作で大枚をはたいて金型を作っても、製品化しなければ無駄金になってしまうからだ。

 

 
 

せっかく作った製品もスクラップ場へ。それでも若手の育成に力を注ぐ

工場を見学させてもらうと、入社3年目の2人が金型を装着した機械とへらを使って作業をしていた。

へら絞りは、金属板を回転させながらへらと呼ばれる棒を金型に押しつけて加工する。ステンレスのような硬い素材を伸ばす場合は柔らかい真鍮を棒先につけて金属を伸ばす。反対に真鍮を伸ばす場合は硬い素材で伸ばしていく。また、力で伸ばしているように見えるが、体重を移動させながらテコの原理で伸ばしていることもポイント。1日に何十何百個も製品を加工するへら絞り。もし力任せに伸ばす様なことをしていたら、体力が半日も持たないのだという。

 

 

新人2人が加工した金属は一見きれいに見える。しかし、「巻きが甘い」「均一に伸ばされていない」などの理由から、すべて廃棄。スクラップ置き場には彼らが懸命に絞った金属が積み重ねられていた。金属の仕入れ、給料、必要な機械の購入。売り物ができなくても1年間でひとり500万近くもかかる。社員が6名の小さな会社でなぜそこまで教育に力を入れられるのか。その理由は社長の過去にあった。

 

 
 

へら絞りの魅力を若者に伝えられなかった業界の課題

本多さんが業界に入ったのは、25年前。「20歳から45歳の今までずっと一番年下ですよ」と自らが言うように、入社以来後輩ができることはなかった。

ヘラ絞りは営業に行かなくても仕事が舞い込んでくる業界だった。プレス加工が始まった影響で、会社を畳む人が多くなってくると、残っているへら絞りの会社に仕事が集中した。加えて、高齢を理由に廃業する会社も多くなり、余計に仕事が集まるようになった。

 

 

「ある時『これ以上受けられない』と仕事を断ったんです。そしたら、『おめさんが断ると、この品物自体がなくなるんだよ』と言われて。初めて他のへら絞り屋さんには下の世代がいないことに気づきました」

 

 

若手を育成しなければ、燕のへら絞り産業自体がなくなってしまう。そう感じた本多さんは若手を育成することを決め、ハローワークに求人票を出す。その求人票を見てやってきたのは、就職活動の証が欲しいだけの人だった。それでも、本多さんがへら絞りを見せると、目を輝かせた。

「『興味あったら応募してみれば?』と言うと、『やりたいです!』と返事が来て。面接を経て、今はへら絞り職人を2人、機械加工に若い子を1人採用しました」

へら絞りは人から人へ技術を伝える事でしか継承できない仕事。本多さんは、これまでに若手に魅力を伝え切れていなかった責任を感じていたという。燕は分業のまち。ヘラ絞りと一言で言っても、ステンレスを絞る職人と銅を絞る職人は違う。他の金属も絞れるようになりたいと若手の2人は銅の職人のもとへ修行にも行った。

 

 
 

泣いて、悩んで出した、苦渋の決断

雇用当初は3台並べて本多さんも一緒にへら絞りをしていた。若手が入って2年目、本多さんでも時間のかかる仕事の依頼があった。「3日あれば終わるだろう」と見積もったが久しぶりに難易度の高い作業を行ったら身体と感覚にズレを感じ、5日もかかってしまった。もう現役じゃないことを痛感した瞬間だった。3日間泣き、悩んだ結果、現場を離れる決意をした。

「もう俺は、県央マイスターにはなれないし、後世に名前は残らない。その分、あの2人には俺を超えてもらわなきゃ困るんだ」

本多さんの肩には燕のへら絞りの重責がのしかかる。個人の夢ではなく、地場の未来を選んだのだ。もう悔しさは感じていない。

「彼らのこれからが楽しみなんです」と優しい笑顔を見せてくれた。

 

 
 

工業製品から工芸品へ。へら絞りの可能性

燕でへら絞りというと工業製品を加工する技術だが、東京では工芸品をつくる場合にもへら絞りは使われる。

「この前、東京のへら絞り屋さんに行ったら、お寺の擬宝珠やスカイツリーの一部も担当していると教えてくれました。俺らがやる工業製品は最終的にどんな商品になるか分からないものも多い。でも、東京の会社が請け負う仕事は自分が作ったものが分かりやすい形で目に見えるんです。新潟でもこうした製品にヘラ絞りの技術を活用できたら」と本多さんは今までとは異なる製作物に意欲を見せる。

 

 

2019年ミノル製作所は初めて自社製品を開発した。店頭でよく見かける販売ラックに動きをつけた商品棚「シンクロアート」だ。通常の販売ラックに動きをつけたら、人の目につくから売れるのではないか?と考えて開発した。畳を使った和風テイストのインテリアで旅館や日本料理店などにも販路を広げていきたいと話す。

それだけに留まらず、若手の2人は新しい技術として応用できないかと、鎚起銅器を習いに行っている。

「丸い金型を使って伸ばした銅板に鎚起銅器と同じ槌目を入れられたら、新しい製品になるんじゃないかと思ったらしく、2人から行きたいと言ってきたんです。俺としては行きたいなら行けば?という感じだから、鎚起銅器の会社にお願いして。なかなか難しいらしいですけど、頑張ってますよ」

 

 

へら絞りという言葉すら知らなかった新人2人が、自らやりたいことを口にするまで成長した。仕事が良くできたらちゃんと褒め、悪かったときは叱る。裏表のない本多さんだからこそきっとこの2人はついてきたのだろう。本多さんの想いを継ぎ、決意を固めた2人の職人の未来が楽しみだ。

 

ミノル製作所株式会社

〒959-1241 新潟県燕市小高995番地
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FAX:0256-47-1365
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