工業製品から工芸品へ。後継の少ないへら絞りを未来へ繋ぐ。ミノル製作所
へら絞りとは、へらと呼ばれる金属の棒をテコの原理を利用して金属板を金型に押しあて、少しずつ伸ばしながら成形する手法・技術だ。昔は燕市内に数十軒のへら絞り屋があったが、機械化の波に押されて今は10軒程度まで減少。60〜70代の熟練の職人ばかりで、次世代を担える若い層はほとんどいない。「このままでは技術が失われてしまう」。そう感じたミノル製作所の代表である本多さんは、若手の育成に取り組み始めた。会社の売上は厳しい状況にありながらも、「技術を絶やしてはいけない」という一心で指導にあたっている。そんな本多さんは「お寺の擬宝珠やロケットの先端などもへら絞りで作れるんです」とへら絞りの可能性についても教えてくれた。地域で最年少のへら絞り職人だった本多さんがなぜ若手の育成に舵を切ったのか。彼の思いと軌跡、へら絞りの未来について伺った。
試作や小ロットに向く「へら絞り」と、大量生産に向く「プレス加工」
その違いを問うと、本多さんは「先行投資が段違いに異なる」という。
「プレス加工の場合は金型を上下どちらも作る必要があるし、手順ごとにいくつも金型が必要になる場合もありますが、ヘラ絞りの場合は一つの金型を作るだけ。先行投資の金額が違うので、試作品や小ロットでの生産に強いんです」
大ロットは機械化が進んでも、小ロットはヘラ絞りでの加工が続いてきた理由がここにある。試作で大枚をはたいて金型を作っても、製品化しなければ無駄金になってしまうからだ。
せっかく作った製品もスクラップ場へ。それでも若手の育成に力を注ぐ
へら絞りは、金属板を回転させながらへらと呼ばれる棒を金型に押しつけて加工する。ステンレスのような硬い素材を伸ばす場合は柔らかい真鍮を棒先につけて金属を伸ばす。反対に真鍮を伸ばす場合は硬い素材で伸ばしていく。また、力で伸ばしているように見えるが、体重を移動させながらテコの原理で伸ばしていることもポイント。1日に何十何百個も製品を加工するへら絞り。もし力任せに伸ばす様なことをしていたら、体力が半日も持たないのだという。
へら絞りの魅力を若者に伝えられなかった業界の課題
ヘラ絞りは営業に行かなくても仕事が舞い込んでくる業界だった。プレス加工が始まった影響で、会社を畳む人が多くなってくると、残っているへら絞りの会社に仕事が集中した。加えて、高齢を理由に廃業する会社も多くなり、余計に仕事が集まるようになった。
「『興味あったら応募してみれば?』と言うと、『やりたいです!』と返事が来て。面接を経て、今はへら絞り職人を2人、機械加工に若い子を1人採用しました」
へら絞りは人から人へ技術を伝える事でしか継承できない仕事。本多さんは、これまでに若手に魅力を伝え切れていなかった責任を感じていたという。燕は分業のまち。ヘラ絞りと一言で言っても、ステンレスを絞る職人と銅を絞る職人は違う。他の金属も絞れるようになりたいと若手の2人は銅の職人のもとへ修行にも行った。
泣いて、悩んで出した、苦渋の決断
「もう俺は、県央マイスターにはなれないし、後世に名前は残らない。その分、あの2人には俺を超えてもらわなきゃ困るんだ」
本多さんの肩には燕のへら絞りの重責がのしかかる。個人の夢ではなく、地場の未来を選んだのだ。もう悔しさは感じていない。
「彼らのこれからが楽しみなんです」と優しい笑顔を見せてくれた。
工業製品から工芸品へ。へら絞りの可能性
「この前、東京のへら絞り屋さんに行ったら、お寺の擬宝珠やスカイツリーの一部も担当していると教えてくれました。俺らがやる工業製品は最終的にどんな商品になるか分からないものも多い。でも、東京の会社が請け負う仕事は自分が作ったものが分かりやすい形で目に見えるんです。新潟でもこうした製品にヘラ絞りの技術を活用できたら」と本多さんは今までとは異なる製作物に意欲を見せる。
それだけに留まらず、若手の2人は新しい技術として応用できないかと、鎚起銅器を習いに行っている。
「丸い金型を使って伸ばした銅板に鎚起銅器と同じ槌目を入れられたら、新しい製品になるんじゃないかと思ったらしく、2人から行きたいと言ってきたんです。俺としては行きたいなら行けば?という感じだから、鎚起銅器の会社にお願いして。なかなか難しいらしいですけど、頑張ってますよ」
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