2021.5.15 UP

数少ない木工加工機用刃物のつくり手。受け継いだ技術の行き先は

燕三条で盛んなものづくりは金属加工に限った話ではありません。木工品もそのうちのひとつで、たんすや棚、包丁の柄に至るまで、木でつくられているものはたくさんあります。

そんな木工品をつくるためにはやはり刃物が必要です。穴を開けるドリルや切削用の刃物など、その種類は数千にも及びます。こうした木工用の刃物をたった一人でつくり続けているのが、三条市にある梨本刃物の梨本征一さん。手作業で木工用刃物をつくる職人は全国を探しても数少ないそうです。しかし、ニッチな産業ゆえ、その技術の担い手が現れないのも事実。安定した稼ぎではないので、人を雇って教えることが難しいとのこと。

梨本刃物がどの様にして始まったのか、梨本さんの技術力や後継者問題について、お話を伺います。

 

 
 

小日向刃物から受け継いだ、木工用刃物製造の技術

梨本刃物は、梨本さんが勤めていた「小日向刃物」から引き継いだ工場。2004年7月に三条市で起きた水害で工場を畳むことを決めた小日向刃物の社長から工場と機械を借りて、スタートさせました。

遡ること50年。中学校を卒業した梨本さんは、叔母が経営する小日向刃物に入り刃物職人の道へ。当時の小日向刃物は、木工用の大きく特殊な刃物を得意としながらも、次第に経木や下駄をつくる刃物など木工用の刃物ならどんなものでもつくるようになりました。取引先は北海道から四国までさまざまな地域の会社から依頼がありました。

 

 

当初は三条市内のお客さんはほとんどいませんでしたが、知人の誘いで市内で開催されていた「金物祭り」に出展。この出来事が、小日向刃物のひとつめの転機となりました。

「いまはなくなってしまったけど、昔は『金物祭り』という催し物があって、それに出たんですよ。そしたら、三条の木工屋さんから『鍋のツマミや柄をつくる刃物がほしい』と依頼がくるようになって。おかげさまで三条市内の方と繋がることができました」

 

 

全国各地の取引先と、三条市内の取引先。順調に販路を拡げていった小日向刃物でしたが2004年7月に起きた大水害の影響で会社を畳むこととなってしまいます。

土砂降りの雨が降り続いた2004年7月13日。五十嵐川の水勢は凄まじく、堤防が決壊し、会社の周辺は背の高さまで水がきていました。先代は、塀をつたって何とか工場の状況を確認しに行ったものの、機械はほぼ全滅し使えない状態になっていました。先代も高齢になってきたし梨本さんももう62歳だし、と会社を畳むことを決意しました。3ヶ月かけて工場をきれいにして、ほとんどの機会をスクラップに出していました。

 

 

そんなとき、ある木工屋さんが先代のもとに駆け込みます。

「別の会社につくってもらったんだけど、思うような刃物ができなかった。あんたのところで、つくってくれないか」。

梨本さんは先代から「お前なんとかやれるか?」と相談を受けます。「機械が動けばなんとかなるはずです」と梨本さんは残っていた機械を整備してかろうじて動くようにしました。無事、お客さんに刃物を納品することができたのでした。

その後、先代から「工場も機械もお前の好きなように使っていいよ」といわれ、電気・場所代だけ支払う約束をし、梨本刃物としてその年にスタートさせました。

 

 

 
 

全国で数少ない、手作業で木工用刃物をつくる職人

現在の取引先は三条市内はもちろん、全国各地。そのほとんどが問屋は通さず、直接のやりとりです。

その主な理由は、とある大手企業内で木工用刃物をつくっていた部門が閉鎖したことで、その仕事が梨本刃物にまわってくるようになったためです。そのため、現在梨本刃物のお客さんは北は北海道から南は九州まで、全国各地にいます。

梨本さんのもとに県外の仕事が集まるのは、純粋に業界に担い手がいないためです。木工用刃物を手作業で梨本さんと同レベルでつくれる職人は、ほとんどいません。そんな高い技術を持つ梨本さんのもとには刃物の図面ではなく、お客さんがつくる木工品の図面が送られてきます。そこから完成品を想像し、刃物をつくりあげる梨本さん。長年の経験と技術力の高さが成し得る技です。

 

 

手作業と機械加工では一体何が違うのでしょうか。その違いを問うと、50年以上木工用刃物と向き合ってきた梨本さんならではの答えが返ってきました。

「いまはNC旋盤などの機械加工でやろうと思えば、なんでもつくれます。でも、切削はできても焼き入れなどの他処理まで全てできる人はあまりいません。あとはお客さんのオーダーに細かく対応できなかったりする。例えば、凹凸をつけてほしいとか、一度納品した刃物でも思ったように扱えないから直してほしいとか。こういう事への対応は経験がないとできないんです」

 

 

木工用刃物は鍛造や焼き入れ・焼き戻しなどの工程を経て、金属を削るグラインダーで刃をつけて研磨をしてようやく完成します。通常は工程ごとに職人が変わることが多いのですが、梨本さんは手作業で微調整をしながら金属を削り、自ら熱処理も研磨も担当。ひとりで全工程を担っています。また、梨本刃物には小日向刃物時代からずっと残してある刃物の型も多数置かれています。幅広い知識と経験、長年受け継がれてきた刃物の型があるからこそできる技術なのです。

 

 

 
 

雇うのは難しいが、次世代へのバトンは諦めたくはない

木工用刃物を手仕事でつくる会社は少ない。梨本さんが現役を引退すると困る会社はたくさんあります。

では、梨本刃物で後継者を育成することはできないのでしょうか。そう聞くと、梨本さんは少し困った表情で語り始めました。

 

 

「やりたいという人がいれば、何でも教えますよ。でも、安定した仕事じゃないから雇うとなると難しいのが現状なんです。自分が病気になったら、いまのお客さんへの納品はどうしたらいいのだろうと。この前も女房に『いつまで仕事するんだ、いい加減にしてくれ』と怒られて。でも、今までお客さんに育ててもらったから、恩を仇で返すようなことはできないですよね。自分が辞めたらお客さんが困る。自分は死ぬまで続けていきたいと思っています」

 

 

雇うかたちではない後継者育成。行政などが育成費を出してくれるならば、いくらでも教えられると思われがちですが、現実はそう簡単ではありません。

梨本さんは木工用刃物製造の行く末に打つ手を見出せずにいました。ですが、

「いまは少量多品種の時代。新しい製品には新しい刃物が必要です。」と梨本さん。

少量多品種によって受注が若干ですが増えてきているそうです。時代が追い風になり、梨本刃物にも後継者問題にも一筋の光となってくれることを祈るばかりです。