2022.3.15 UP

変わらない家族経営のものづくりと、変わりつつあるこれから

ものづくりのまち燕三条。その多くが300人以下の中小零細企業で、分業制による家族経営の町工場がほとんどだ。

1989年に溶接屋として創業した中沢スポットもそのひとつ。現社長の中沢邦明さんが自宅に溶接機を入れて事業を始めてから少しずつ従業員を増やし、今日も地域のものづくりの工程の一端を担っている。

創業から約30年。2020年に株式会社中沢スポット(以下、中沢スポット)として法人化。その年には娘さんの育美さんが入り、規約や福利厚生など会社の基盤を整える作業を進める。

製造業の仕事が海外へと流れてもなお、中沢スポットが地域に支持された理由。
実直なものづくりを続ける上で繋がった新たな仕事とは。

小さな町工場が果たしてきた役割と、変わりつつある現在の中沢スポットの姿を追う。

 
 

溶接だけでない、複数工程を扱える「中沢スポット」

 

 

金属が重なる点に圧力をかけながら電流を流して溶接する「スポット溶接」。中沢スポットはスポット溶接を中心に、ステンレス材の丸い棒を板材に溶接するときなどに使う「TIG溶接」、鉄の溶接の際に使う「半自動溶接」などの溶接作業を請け負ってきた。メインで扱うのは、”線材”と呼ばれる細い棒状になっている金属材料。換気扇のガードといった大きな製品からシャンプー棚などの小さな製品まで、大きさに関係なく顧客から相談のあったものは可能な限り対応してきた。

中沢スポットの仕事は溶接だけにとどまらない。その前後の工程で必要となる、金属に圧力をかけて伸ばすことで成型するプレス加工や金属を曲げるベンダーといった加工まで広がる。

 

 

最近では都内の商業ビルから、壁面に植物を絡ませる金属ネット製作の依頼も来るようになった。今では壁面だけでなく、都内の公園のプランターやホテルなど、新しい分野の仕事にも繋がった。

こうした依頼が来るのは、中沢スポットが顧客の要望に合わせてものづくりを続けてきたからこそ。その信頼の背景には、依頼に合わせて柔軟に対応の幅を広げていった会社の姿勢があった。

 
 

「顧客の要望に応えたい」一心で、加工の幅も素材の種類も増やしていった

1989年に先代一人で創業。当初は、家庭雑貨や動物を保護するケージなど、比較的小さな製品を中心に始めた。同時にベンダーやプレスなど前後工程の加工も請け負うことで、複数工程を別会社に出す必要をなくし、中沢スポットに頼めばプレスも曲げも溶接も1社で完結できる体制を整えていた。組立以前の工程を一手に引き受けることも多かった。

 

 

「一直線の線材を曲げて、プレスして、溶接して納品という流れで仕事をしていました。例えば、動物のケージ。網を曲げて溶接しても要らない部分が出てきます。そこをカットするには専用の機械がいります。線材で製品をつくるなら、プレスもベンダーもセットという考え方で加工の幅を広げてきました」

一つの製品をつくるのに溶接は溶接屋に、プレスはプレス屋にと考えると、製造をとりまとめる立場の問屋としては手間がかかる。そのため、1社でまとめて請け負う中沢スポットの体制は喜ばれた。

ところが、次第に水切りカゴやシャワーラックなど、キッチン・バスまわりの細々とした製品の製造工程がほぼ海外へと移行。仕事の数は激減していった。周りには家庭雑貨の溶接をする工場がたくさんあったが、仕事がなくなり閉業するケースもあった。当時は中沢スポットの業績も厳しい状態になってしまった。国内に残った仕事は、換気扇のガードや保護ガードなど、線材を使った大きな製品。当時の工場は手狭で、数メートルの溶接はなかなか難しかった。

 

 

そこで、2006年に現住所の工場へ移転し、大型のスポット溶接機を導入して大きな線材の溶接を始めた。すると、その需要が一定数あり売上は徐々に回復していった。大型の製品は輸送効率が悪くなるため海外で生産するメリットが少なく国内での生産需要が残っていたためだ。

「依頼してもらった仕事はできる限り応えたい」。その一心で仕事をしていると鉄やステンレスからチタンまでと金属の種類も次第に増えていった。同じ金属とはいえ、材質が変わると組成も変わるため、溶接の方法が変わる。何年も溶接をやってきた経験から、良い具合を探していった。

依頼を受けた仕事に応えていくうちに、自然と溶接屋の中でも棲み分けがされるように。ここは什器が得意、ここは什器の中でもパイプ形状の加工が得意、ネット形状の加工が得意と、顧客がぶつからないようになっていった。

中沢スポットの強みを聞くと「うちはなんでもですね」と社長は穏やかに笑う。しかし実際のところは、大きな線材に強いこと、プレスやベンダーなどの複数工程を担えること、扱える金属の種類が多いことが評価されていた。

そのような仕事の経験が評価され、問屋から東京のビルの壁面に緑を絡ませるネットを製作できないかと相談を受けることもあった。網もプランターも全て線材でつくる大きなエクステリアだ。社長はこう振り返る。

「ビルの壁一面に絡ませるネットなので、本当に大きいんですよ。常に外に置かれるものなので、錆びないようにステンレスを使ったり、強度が必要な箇所は鉄を使ったりしながら、試行錯誤して作りました。ネットと組み合わせて、植物を入れるプランターなんかも作ったりして。

新型コロナウイルスの影響でまだ直接は見に行けていないのですが、都内で多くの人が目に触れる場所に自分たちが作ったものが飾られているのは嬉しいですね」

 
 

会社の基盤を整え、業務拡大の地盤固めを

 

 

社長自身が先導を切り、30年以上続いている中沢スポット。2020年には娘の育美さんが後継者候補として入社し、次なる道を歩み始めた。

育美さんは中沢スポットで働いた時期はあったものの、他企業での事務や雑貨店の経営など、ものづくりとは異なる仕事も長かった。しかし、タイミングや自身がやりたいことへ踏ん切りがついたこともあり、家業を継ぐ決断をした。

育美さんがまず気になったのは、規約や福利厚生などの基盤が整っていないこと。そのため、会社としての組織を整えることから始めた。

 

 

「今までは、ほぼ父個人の会社として経営してきたので、会社なら当たり前にある規約や福利厚生がしっかり決まっていませんでした。ただ、今後採用にも力を入れていくなら、この辺りの規約はしっかりしなきゃいけない。そのときにちゃんと機能するように今は地盤固めに力を入れている段階です」

中沢スポットでは実際に規約の制定など、会社の基盤を整える作業が着実に動き出している。2021年にはホームページを立ち上げ、人員確保に備えた。

「今30歳くらいの人って、転職するときにハローワークの求人票を見てから会社名を検索すると思うんです。そのときにホームページのない会社に来るかといったら来ないかなって。新しいお客さんに見てもらう意味も含めて、今後のためにしっかり整えておこうと思い制作に踏み切りました」

その最たる理由は、社長が2020年に工場の隣の土地を購入し、近い将来工場の規模を広げようと考えていること。「長く続く会社にしたい」という社長の想いからで、今後は会社としての内部の質も問われることにもなる。育美さんの目線は隣の工場が完成した数年後、その次に起こり得る未来を見据えているのだ。

 

 

町工場として経営してきた中沢スポット。手が回らず、置き去りになってしまったこともきっと多くあるはずだ。それでも、外の視点を持った育美さんが後継者候補として入ってきたことで、小さな町工場に今までにはなかった変化が生まれ始めている。

一人経営から二人で協力し合う経営へ。町工場に足りない視点を持った育美さんが今後どんな会社づくりをしていくのか。土台を固めることが、社員にとっても、顧客にとっても、安心と信頼に繋がり、中沢スポットが大きく羽ばたくバネとなる。

二人の新たな挑戦は今始まったばかりだ。

 
 

株式会社中沢スポット

〒955-0035 新潟県三条市中新8-10
TEL:0256-39-3328
FAX:0256-64-9080
https://www.nakazawa-spot.co.jp/
https://www.instagram.com/nakazawa_spot