2022.6.15 UP

手仕事の価値を残すために 火造りのうちやま

資本主義社会では、効率化や省力化など、無駄を省くような動きが必然的に多くなっていく。ペーパーレスだったり、業務のマニュアル化だったりと、日本のものづくりは時代の潮流に合わせて変化するべき局面を迎えているのかもしれない。

そんな時代の中でも、手仕事の価値を信じ続ける一人の職人と出会った。古来から日本の寺社仏閣等で使われ、現代でも文化財修復に使われる「和釘(わくぎ)」づくりに携わる、火造りのうちやまの内山立哉さん(以下、内山さん)だ。鍛造で一本一本、丁寧に仕上げる和釘は、工業製品には見られない美しさを放つ。

職人の勘や経験を頼りに成長してきた日本のものづくり。その価値を信じ、追い求める職人の姿を取材した。

 

火造りのうちやまの内山立哉さん

 
 

燕三条の金属加工の歴史は“和釘づくり”から始まった

今から遡ることおよそ400年前。新潟県・燕三条の一帯では、江戸から招かれた鍛冶職人の手ほどきによって、農家を中心に和釘づくりが広まった。農業を休んでいる期間にもう一つの仕事をしようと、多くの農家が和釘づくりに携わったことが起源とされている。

 

 

今でこそ金属加工のまちとして知られるようになった燕三条。最近ではステンレスからチタンやマグネシウムなど、他では加工が難しい金属を扱う事も多い。それでも、歴史を振り返れば最初の金属加工は鉄を用いた和釘づくりだった。

現代の日常生活の中ではそうそう見かけることがないが、そもそも「和釘」とは、日本で生まれた釘のこと。日本建築には和釘が常に使われてきた。今日の日本で一般的に「釘」と呼ばれているのは、明治時代にヨーロッパから輸入された形状のもので、それまでの日本では、釘とは和釘のことを指していた。

 

巻頭釘(まきがしらくぎ)と呼ばれる和釘。しっかりと打ち込めば頭が潰れて平たくなるので床などの平らな面で使用する
残念ながら、現在は和釘を使用して建築された民家はほとんどないと言っても良いだろう。それでも、江戸時代以前に建てられた建築物、特に寺社仏閣で和釘が今もなお使用されている。これらの建築物は、修繕の目的から一定の期間で建て替えが行われるため、当時の和釘と同じものを内山さんのような職人にオーダーをし、使用しているのだ。

日本の歴史的建造物の保存に欠かせない存在のひとつが和釘なのだ。そして、内山さんはその重要な役割を担う和釘を、当時と同様に一本一本鍛造による手仕事で作り続けている。

 
 

現代でも、和釘の存在には高い価値がある

火造りのうちやまは、内山さんが修行後に1993年に独立して作った工場だ。中には、たくさんの種類の和釘が並べられている。ひとくちに和釘と言っても形は様々で、細かな形状の違いによって名前もつくり方も異なるのだという。

 

「和釘」の種類はさまざま。建築現場では用途や特徴に合わせて使い分けていた
「代表的なのは、皆折(かいおれ)釘、巻頭(まきがしら)釘、目鎹(めかす)釘と呼ばれる種類の釘ですね。見えるところに使う釘なのか、人が歩くところに使う釘なのか、そういった用途によって使う釘は異なります。また、建築空間によって大きさや長さは本当にまちまち。ですので、職人はほとんどオーダーメイド感覚のように和釘を作っています」

和釘の面白さの一つは、その加工の自由度にもある。職人の腕次第でどんな形状の釘でも作ることができる。さらに、鉄の釘ならではの特徴もある。

「たとえば、洋釘の素材はステンレスであることが多く、経年変化による錆びがほとんど発生しません。その点、鉄は表面こそ錆びるものの、鍛造で鍛えることで中心部まで広がりにくい錆ができるのです」

 

 

一見、錆びることはデメリットのように思えるが、表面だけが薄く錆びることで、釘自体の表面積が増え、建材の木に対して食いつきが良くなり、抜けにくくなる。実は和釘にはそういった理にかなった強みがあるため、1400年前の法隆寺建設以来、日本建築に和釘が使用されてきた。

「和釘は今でも、重要文化財の修復で欠かせない役割を担っています。生産量が減ってしまっても技術伝承が続いているのは、日本にとって和釘が必要不可欠な存在だからなんですね。うちでは、三重県の伊勢神宮や、神奈川県のMOA美術館などに使われている和釘をつくらせてもらったことがあります」

さらに、北は青森から南は鹿児島まで、内山さんが和釘の生産を担当した建造物は国内で多岐に渡る。私たちが気づかない内に、私たちは内山さんのつくる和釘を目にしているかもしれない。

 

 

大量生産され、ホームセンターでお馴染みの洋釘と比べ、手仕事の和釘はコスト面でも不利な為、現代の生活で見かけることが減ってしまった。それでも和釘の機能美は現代の建築にも取り入れるほどの魅力がある。

 
 

唯一無二のポジションを確立した和釘づくりの妙

独立開業という形で工場を開いた内山さん。国内で見ても和釘専門で経営を続けている工場は多くなく、燕三条エリアに絞っても唯一無二の存在だといえる。

「すべてが手作業なので、正確無比に金属を扱い、作り出すだけの腕がまずは必要ですよね。それだけでも実は難しいことなんです。その上、和釘は一本あるだけで使えるものではありません。建築ともなれば数千本の単位で納品しなければならない。それを可能にするだけのスピードも求められています。数と質、この両方を持ってやる覚悟を持った職人自体が減っているのかもしれませんね」

 

鉄を熱すると次第に赤白く変化する。900℃前後を見極めて鍛造をすることで美しい形状の和釘となる
内山さんに実際に和釘をつくる工程を見せてもらった。

まず900℃前後に熱した鉄の棒を、金床と呼ばれる金属の作業台に置き、金槌でカンカンカンと小気味よく叩き形状を変えていく。
鉄を打ち、およそ1分。どんな形になるのだろうとワクワクしている暇もなく和釘が完成してしまう。「小さな釘も作りましょうか」と言って内山さんは先ほどよりも細い材料を手に取る。赤く熱を帯びた鉄は形状がわかりにくいにもかかわらず、大きな金槌であっという間に成形する。

「金槌なんてそのへんのホームセンターのものでいいんですよ。大切なのはどうつくるのか、だから」と、内山さん。まさに、弘法筆を選ばず。

 

 

早さと正確さ、和釘づくりはその両方を高い技術で保てていなければ務まらない。それを内山さんはいとも簡単そうに、そしてなにより楽しそうにやっている。

 
 

鍛冶屋だからこそ生みだせたオリジナルな製品たち

和釘づくりは機械化することなく、すべてが手作業で行われている。つまり、技術さえあればどんな形状にでも成形できる。そういった強みを活かして内山さんが作っているのが耳かき、風鈴、箸置き、トイレットペーパーホルダーなどの日用雑貨だ。和釘づくりが少しずつ衰退している現状を鑑みて、この技術力を和釘以外にも活かせないだろうかと考えて生まれたそうだ。

 

 

「ある日、鉄の材料を床に落としたことがあったんです。そのときにすごくきれいな音が鳴ったんです。そこから風鈴ってアイデアを思いついてつくり始めました。耳かきも、同業の仲間との飲み会の席で、ふとそういう話が持ち上がって生まれたものなんです。きっかけはささいな事ですよ」

実際、耳かきは「鍛冶屋の耳かき」として人気を博しており、日本全国の工芸品を取り扱うセレクトショップ・中川政七商店でも取り扱われているほど。絶妙な角度やしなりを考慮してつくられたそれは、耳かきフリークの間で話題を呼び、全国に広がっている。

 

何気ない会話から生まれた鉄製の耳かき。絶妙なしなりが心地よいと評判に
残念ながら、和釘の存在を知っている日本人はそう多くない。けれど、和釘の存在を広めるために必要なのは、何も和釘だけではないかもしれない。

「誰もが愛用するような日用品を、鍛造というアプローチで作ることで、金属そのものの面白さや鍛造の魅力などを届けるきっかけにしたいんです。このまま技術が無くなってしまうわけにはいかないから、興味を持ってもらう工夫は考え続けていきたいですね」

 
 

火造りのうちやまに学ぶ、プロフェッショナルの精神

和釘の話をしている内山さんはとてもハツラツとしていた。ご自身で製作した火箸を事務所でも愛おしそうに使っている。きっと心の底からこの火に向かい合う仕事に夢中になっているのだろう。そんな内山さんに、和釘づくりの未来に対して願うことを聞いてみた。

 

 

「勘と経験でしか成り立たないこの仕事をどうしても残したい」
そう内山さんははっきりと答えた。

「効率化が重視される時代がやってきて、変化を求められる時代になりました。けれど、和釘づくりに至っては効率化とは縁遠い職人の仕事だと思っています。勘だとか、経験だとか、言葉にできない感覚ばかりの仕事だけれども、だからこそ魅力がある。こういった価値観は日本に永く残していかなければと感じているんです」

和釘づくりを受け継ぎたいと願う若者はそう多くないかもしれない。事実、内山さん自身も弟子として採用した若手と決別するという苦い思い出もあるそうだ。手仕事だからこそ伝承は難しく、時間もかかる。その覚悟を持って門を叩く人の姿を待ち続けているのだ。

 

 

「できる限り時間をつくって、鍛造の体験会を行ったり、工場の見学も開放したりしています。そうすることで、鍛造と触れ合う人が一人でも増えたら良いと思うし、その中から作り手でありたいと思ってくれる人がいたらいいんですけれど」と内山さん。長い道のりになるかもしれないが、この技術が未来も継承されていることを願わずにはいられない。

内山さんしかできない和釘づくりがあり、それが日本の建造物の歴史を今もなお守っているという事実がある。勘や経験がものを云うゆるぎない価値を残すために、内山さんは今日も鉄を打ち続けている。

火造りのうちやま

〒955-0002 新潟県三条市柳川新田391-18
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