難溶接材“マグネシウム”の溶接技術開発に挑んだ町工場の軌跡 株式会社アークリバー
だが、これらの製品の加工は、形状を成形されるのみで溶接まではされない。なぜなら、マグネシウムは発火性があり燃えやすいことから、溶接は極めて困難であるためだ。
三条市にある株式会社アークリバー(以下、アークリバー)は、文献などの資料は一切存在しない中、何年も試行錯誤を続けてマグネシウムを溶接する技術を身につけた。誰もやったことのない溶接にどのように立ち向かったのか。アークリバーの挑戦の軌跡と、溶接業の奥深さに迫る。
困難なマグネシウムの溶接を身につけたアークリバー
使い勝手はいいが、とにかく難しい。作り手泣かせのマグネシウム
鉄やステンレスを中心に溶接を続けた英男さん。今までやったことがない仕事もまずは請けてやってみる。その積み重ねで技術が広がっていった。
そんな中、2000年に燕三条地域でマグネシウムを使った新製品開発に取り組むプロジェクト“県央地域マグネシウムアクションプラン”がスタートした。少しずつ溶接業の幅を広げてきた英男さんにとって、このプロジェクトに参加したことが大きな転機となった。100社以上の企業が参加し、アークリバーは同じ三条市の田辺プレス株式会社(以下、田辺プレス)と組むこととなった。しかし、お互いにマグネシウムに関する知見はない。曲げや穴あけなどの加工は田辺プレスが、溶接はアークリバーが担当し、各々で技術開発に勤しんだ。
「時間をかけてようやく溶接できる技術を身に着けましたが、それで終わりではありません。金属が接合されていたとしても、強度が伴わなかったり、金属を溶かしすぎてしまうと製品として使えるレベルには至らない。微調整を重ねて、マグネシウム溶接に適する条件を探し続けました。でも、ようやく適切な条件を見つけたと思ったら、今度は溶接の見た目が美しくない。強度と美観の両方を兼ね揃えるために何度となく調整を繰り返し行いました」
腐食の問題が解決すると、パートナー企業の田辺プレス*と、マグネシウムを使った軽量な車椅子を開発。
東京ビッグサイトで行われた国際福祉機器展に参考出品し、ブースに訪れた方々から評価を得た。
気づけば、プロジェクト発足から開発を続けてきたチームは田辺プレスとアークリバー以外に数組のみに。周りからは「まだやってんか。よそはみんな辞めたねっかや」と呆れられた。
それでも、田辺プレスもアークリバーも、やめようと思ったことは一度もなかった。
属人化しやすい溶接工でいち早くロボット化に着手
こう話すのは、英男さんの息子でアークリバーの2代目となる、未経験から職人を始めた健矢さんだ。
そして、溶接は製品を作る上で最後のほうの工程のため、寸法が違ったり、研磨が甘いなどと言った時に溶接屋がカバーする必要がある。それだけではない。電圧は朝、昼、晩と常に同じ数値を保っているわけではない。周りの家などで電気を使っているかどうかで微妙に電圧が変化するため、その差異を頭に入れながら調整を行う必要がある。
さらに、同じ素材だったとしても、ロットによって溶接箇所が薄いものがあれば、厚いものもある。
そんな、毎回違う条件下で溶接をするため、職人はその場その場での細かな判断が必要になってくる。
若手にはもっと勢いが必要。今までと異なる新しい取り組みを
そんな健矢さんも気づけば12年目。まだまだ現役で元気な英男さんだが、後継ぎを育てたいという思いから社長職を退くことを決めた。
こうして次の世代にバトンを渡したアークリバー。
一方で、健矢さんは同世代の経営者や後継者の将来を憂う。
「燕三条というブランドは全国に浸透しつつあると思います。だからこそ、次はその土台の上で何をするかが重要です。でも、今は現役バリバリの70〜80代におんぶにだっこの企業も多い。移り変わりが激しく、応用力がないと生き残れない時代だからこそ、周りの30〜40代の経営者や後継者と協力しながら、別のベクトルに挑戦していくことも必要なのかなと思っています」
「代替わりしたばかりなので、まずはいろいろなことに挑戦していきたいですね。今までは建築金具や工具、福祉器具の溶接が中心でしたが、それ以外にどんな溶接ができるのか。大手が手を出さないニッチな分野を探していきます。見つけた枝がどんどん太くなって柱になるようなそんな領域に辿り着けたらいいなと思っています」
「いつか親父を超えることが目標」と話す健矢さん。マグネシウムの溶接を確立させた英男さんのように、健矢さんが次なる溶接業の在り方を作る日も近いのかもしれない。
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