2022.11.15 UP

OEMと自社商品開発の両輪。町工場の生き残る道
米山工業株式会社

燕三条。ここには大手メーカーからの仕事を請け負う町工場がいくつも存在する。

今回訪れた米山工業株式会社(以下、米山工業)もそのひとつ。昭和50年代から大手自動車メーカーの仕事を長年請け負い続けてきた。しかし、大手からの発注とはいえ常に安定的に仕事があるわけではないのが世の常。リーマンショック、東日本大震災、新型コロナウイルスなど、日本経済全体が停滞するタイミングと合わせて、多分に漏れず業界の冷え込みを経験してきた。

そして、その度に米山工業は自社の技術やアイデアをオリジナル商品へと落とし込んできた。
チタンや3Dプリンタを使ったiPhoneケース、山頂でアイスクリームを作って食べられる「アイスカプセル」の開発など、業界が冷え込んだ時にこそ自社商品の開発に勤しんできた。

だが、今後も決してそれだけで会社を維持していこうとしている訳ではない。請け負い仕事のOEMと自社商品開発の両輪をまわすことこそが、町工場が進み続け生き残りを図る道なのだ。

 

3代目となる代表取締役の米山敏史さん

 

 
 

シート製造を請け負った自動車産業全盛時代

 

 

創業の昭和中期まで歴史を遡ると、そもそも米山工業は三条市でスクラップを回収する仕事から始まった。立ち上げたのは、現代表の米山敏史さん(以下、米山さん)の祖父にあたる先々代。当時はスクラップが高く売れる時代で、工場から出た不要物を集めて売るだけで生きていけた時代だったそう。それでも、当時花形だった”プレス”と呼ばれる金属の板材を何トンと言う圧力で金型に押し付けて成型する加工への憧れを捨てきれなかった。そこで自宅のガレージにプレス機を導入して家庭用雑貨の製造からプレス業をスタートさせた。そして昭和44年にはプレス機を新調し、今の土地へと移転した。

「祖父のころは戦後でまだ物が少ないから、作れば売れる時代。いまはプレス1工程が数円の工賃ですが、当時は今で言う何十円といった値段だったみたいですよ。そうやってお金を稼いで設備投資して、本格的にプレス業で生きていこうと今の土地に移ってきたようです」

 

 

プレス業を本格化させてしばらく経った昭和55年頃、国内では自動車産業が右肩上がりで伸び続けていた。生産が追いつかない状態が続き、各自動車メーカーは新しいパートナー工場を探していた。そのときに目をつけた地域が、物流インフラが整っていた新潟県だった。

「車を一家に一台、一人一台持ち始めるタイミングで自動車産業は爆発的に伸びているころでした。自動車のシート製造の話をいただいたのですが、当初は仕事を請けるか迷っていたんです。ですが、以前から付き合いのあった取引先の人が『自動車は人を運ぶものだから椅子をつくる仕事はこの先なくならない。やってみたらいいじゃないか』と背中を押してくれて。自動車メーカーの仕事に憧れていたこともあり、思い切って受注を決めました」

 

 

それ以来、現在に至るまでプレス加工業を生業としてきた米山工業。自動車関連の他にも建築金物や電化製品の部品など、精度を要求されるプレス加工の依頼も多い。自動車部品が寸分違わぬ精度を求められる製品であることで、社内技術の蓄積が進んだのだ。そして、長年に渡り自動車メーカーの仕事をしていること自体がブランドや信頼となり、新たな仕事が舞い込んで来た。

 
 

自分でものを作らずにはいられない。YONEYAMA.BRANDを設立

 

 

米山さんの幼いころは自動車製造最盛期。父親が忙しく働く姿を見ていた米山さんは、地元の高校を卒業すると東京の工学系の大学へ進学。千葉県にある金属加工会社で働いた後、26歳で家業へと戻ってきた。

しかし、米山さんが家業に戻ってきて10年ほど経ったころにリーマンショックが起き自動車産業は大打撃を受けた。米山工業の仕事も半分以下に激減。そこで初めて米山さんは「業界の波に左右されない、自社の製品を作らないと」と自社製品の開発を意識し始めた。

米山さんがそのときに注目したのが、iPhoneケース。当時は、iPhoneケースが出始めた時期で選べるレパートリーの少なさが個人的に気になっていた。そこで試しに海外製のチタンメッキのケースを購入してみると、光にかざすと透けるほど薄い材料の粗悪品だったことが判明。「ちゃんとした技術で作れば売れるのでは?」と、燕市の金型屋さんと試作に踏み切った。

 
 

 

「普段は図面をもらってその通りに加工することが仕事。ですが、自社製品は自分ですべてを設計しなくてはいけない。いつもとは真逆の流れにワクワクしました」と米山さん。

その後、最終製品が出来上がり、取引先や知人に見せると「自社の技術の見える化に繋がりますね」と評価してくれた人がいた。「自分の欲しい」がきっかけで走り出した新商品。それまでは製品を作ることに必死でこれからどうやって売っていけばいいかと頭を悩ませていた米山さんにとって、自分たちの技術を自社製品を通して知ってもらう事は、目から鱗の視点だった。

 
 

よりパーソナルになっていくものづくり。3Dプリンタの可能性

 

リーマンショックが落ち着くと今度は東日本大震災が発生し、その影響で再び受注が減少。そんな中、米山さんは三条工業会でドイツに視察へと向かった。そこには3DプリンタとiPhoneケースを含めた制作物が並んでいて、3Dプリンタの可能性を大いに感じたと米山さんは振り返る。

「ドイツで3Dプリンタが盛り上がっていることを知りました。それまではメーカーが作ったものを受け取るしかなかったのですが、これからは自分が欲しいものを作ることができる。夢のマシンの登場に世の中のものづくりがよりパーソナルな方向へと動いていくような気がしたんです」

 

加工精度の高い3Dプリンタも新しく購入

 

そこで米山さんは帰国後すぐに3Dプリンタを購入。そして、背面に手を入れられるバンドをつけたiPhoneケースを製作しオンラインショップで販売したが、ほとんど売れず。「パーソナルなものづくりが到来する」と意気込んだものの、現実は思うようにいかなかった。

海外では3Dプリンタを使って、洋服や靴、家など幅広い分野で3Dプリンタが活用されている一方、日本人は成果物に高い精度を求めるからか、思うように広がらない。米山さんはその理由を「日本人がクオリティに納得していないのではないか」と推測する。

 

今では3Dプリンタで細かな造形もこの通り。精度の高い出力ができるようになった

 

「日本人は定規じゃなくて、1mm以下の長さが分かるノギスで測るので(笑)。製品として販売まで考えると、日本人には合わないのかもしれないですね。でも、メーカーが製品を本生産する前段階の『試作品』となると充分可能性はある。うちにも試作品の依頼は多いですよ」

当初購入した3Dプリンタの精度では日本の企業は見向きもしなかった。しかし、3Dプリンタを新調し、米山工業の苦手な営業を以前から繋がりのあった都内のデジタルファブリケーション加工に興味も持つ大学生たちに委託。すると、全国から数多くの試作品の依頼が舞い込むようになった。

ものづくりはパーソナルになっているからこそ、どんどん新商品が生まれていく。商品開発の段階として、試作の数もこれからさらに増えていくはずなのだ。

 
 

趣味の山登りでの夢を叶えたい。3Dプリンタを使ってアイスカプセルを開発

 

電源いらずで10分でアイスクリームが作れるコンパクトアイスクリームメーカー「icecapsule(アイスカプセル)」

 

3Dプリンタで試作品の需要が増えてきた矢先、今度は2020年の新型コロナウイルス感染症で業界全体が冷え込んでしまった。米山工業だからできることは何かを考え続けた結果たどり着いたのが、数年前に思い描いた米山さんの夢だった。

「もともと登山が趣味なのですが、いつも山頂でアイスを食べたいと思っていたんです。でもその方法が思いつかず頓挫していました。新型コロナで時間ができてスタッフと話し合っているときにふと思い出してみんなに話してみると、ひとりが『子どもの頃、氷と塩でアイスを作っていましたよね』と言ったことで急に話が動き出したんです」

 

ハンドルとアイス容器を連結する部品に、ナイロン素材の3Dプリント造形品を使っている

 

そこからは実験の日々。そもそもアイスが何度で固まるか分からないため、塩の量と温度を調整。10分ほどで固まるまでプロトタイプを作り、山に10回以上登って山頂でアイスを試作し、ようやくアイスカプセルを完成させた。

 
 

メーカーはもっと下請け工場の状況を把握してほしい。町工場からの提言

 

 

自社での新商品開発を続ける一方、売上の大部分は大手自動車メーカーからの仕事。アイデアを形にするのが新商品開発なら、システム化を追求したのが自動車産業だ。効率を向上させるため、米山さんは人とロボットの共存を目指すという。

「メーカーが求める質と効率を追求するため、これからは人とロボットの共存を目指していかなくてはと考えています。人だけにすると効率が悪い、一方でロボットだけにすると品質を保てるか分からないし、莫大なコストもかかります。でも、人とロボットを交互に配置すれば、品質も効率化もどちらも望めるはずなんです。最初に人がいて、ロボットが作業をして、最後に人がチェックする。このシステムができれば、共存ができると思っています」

すべてをロボットにすると、品質チェックのカメラを入れるだけでも1千万円以上かかり、経費が増えるだけだ。だが、ロボットを適切な箇所に配置していくことで人間の負担を軽減し、業界全体の課題である人手不足も解消され、さらに作業中の危険性を下げることも可能となる。安定した品質を保つためにも、米山さんは人間とロボットの作業を組み合わせることで効率化を図りたいと考えている。

 
 

数十年前から導入している溶接のロボット

 

しかし、そのときにネックとなるのが、米山さん達の様な下請けの工場が負う費用の問題である。ロボットの購入費・維持費がかかるだけでなく、人材を採用するにも給料を上げないと確保できない。反面、プレス業はどんどん単価が下がっている。米山工業は自動車メーカーの下請けとしては4次請けにあたる。米山さんはその苦労を自動車メーカーに知ってほしいと話す。

「下請け企業の単価をメーカー側が見直してくれないと、僕らは淘汰される状況になっているんです。特に自動車業界は海外工場が力をつけてきていてかなり危ない状況。僕らが音を上げるとあっという間に仕事や技術が海外に流れて取り返しがつかなくなってしまう。もう限界に来ているんです。以前、工場見学のイベントに参加したとき、自動車メーカーの技術開発の部長さんがうちを下請け先と知らずに来たんです。単価のリアルを説明すると、『初めて下請けの社長さんの話を聞いてすごく参考になりました』とアンケートで答えられていて。下請けの現状を知らないことに愕然としました。メーカー側はこうした町工場の実態をまず認識してほしい。その上で単価の見直しを本気で検討してほしいんです」

 
 

 

さらに米山社長は話を続ける。

「燕三条でいま注目を浴びているのは最終的な商品を作る仕事が多いですよね。僕らのような部品を作る中間加工業は、実際は会社のブランディングがしにくいのが現状です。でも、僕たちも日々真面目にものづくりをしているのは同じ。燕三条全体で注目度が高くなっているいまこそ、みんなで声を出して単価を是正して良いものづくりを推進していく必要があると考えています」

燕三条にも米山工業のように業界の波に左右されやすい受注仕事から逸しようと、自社商品の開発や製造に取り組み始める企業が増えてきた。それでも、すぐに製品ができるわけではないし、すぐに売上に直結するわけでもない。新規事業を立ち上げるには何よりも時間が必要になってくるだろう。

 
 

 

ーー 日本のものづくりを支えているのは、製品の表層には見えづらい町工場と呼ばれる中小企業の努力である。

華やかな燕三条の躍進の裏に眠るこの事実をしっかり理解した上で、大手メーカーが町工場の声に耳を傾けて歩み寄ることが出来れば、もう一段階上のステップへ進むことができるのではないだろうか。

そうすることで、製造業は国際的な競争力を維持し、日本は永続的なものづくり大国へと発展できる可能性を持っている。
町工場の片隅で、私たちはそれを感じた。

米山工業株式会社 内 YONEYAMA BRAND

〒955-0051 新潟県三条市鶴田1-7-90
TEL:0256-38-5251
FAX:0256-38-4882
https://yoneyamax.com/