2023.1.17 UP

鋳造と向き合い続けるひたむきさ。
金属工学をベースに試行錯誤を繰り返して
株式会社三条特殊鋳工所

「UNILLOY(ユニロイ)」の鋳造ホーロー鍋の重さは、世に出回る従来品の約半分。

その軽さとデザイン性の高さから調理人や料理好きを中心に高い評価を得ている。通常、鋳造ホーロー鍋の薄さは4mm程度だが、UNILLOYは約2mmと世界最薄。溶かした鉄を砂型に流し入れる鋳造は不良品が多く出てしまい、量産化には不向きとされていた。

この難題に立ち向かったのが、昭和36(1961)年から鋳造一筋で会社を運営してきた株式会社三条特殊鋳工所(以下、三条特殊鋳工所)。機械部品のOEM※と自社ブランドであるUNILLOYの開発販売、その両方を行う。

※OEM(Original Equipment Manufacturing)・・・他社からの依頼を受注し製造すること

「最初に鋳造のフライパンを製作したときの不良率は8割。そこから300回以上の試作を繰り返し、なんとか完成させました」と振り返る代表取締役社長の内山照嘉さん。

加工されている様子が見えにくい鋳造を、科学的な知見から少しずつ研究してきた。初期はほとんどが売り物にならない状態。そこから改良し、不良を減らすための策を考えて少しずつ実行してきた。そして今では不良率を10%以下まで安定させ、世界一薄い鋳造ホーロー鍋を生み出したのだ。

 

株式会社三条特殊鋳工所 代表取締役社長の内山さん

 

 
 

複雑な造形でも一度で生み出せる、“鋳造”という加工

鋳造とは、溶かした鉄を型に鋳込んで成形する技術のこと。
金型で金属板を押し出すプレス加工の成型と違い、自由に形を生み出せることが強みだ。金属板を押し出すための複雑な金型をつくるには初期投資がかさむが、鋳造なら砂型をつくるだけなので比較的安価な型で量産できる。また、プレス加工ではできない、複雑形状の製造が可能なため、自動車のエンジンや工作機械の部品製造などで重宝されてきた歴史的背景がある。

しかし、鉄の鋳物がアルミに代替され、海外に仕事が流れたことで、国内の仕事は激減。昭和40年代には日本全国で4000社ほどあった鉄の鋳物屋が今では950社程度にまで減ってしまった。

金物のまちと呼ばれるここ燕三条でも、鋳物屋は三条特殊鋳工所を入れても数社しか残っていないのが現状だ。

 

 

そんな状況にある鋳物屋だが、三条特殊鋳工所へ来る仕事の話は絶えない。それは、品質の高さと不良率の低さで取引先から信頼されているからだ。他の加工技術と比べて一段と不良率が高い鋳造の世界で、どのようにして現在の技術を確立していったのか。その背景を紐解いていく。

 

 

 
 

強度と伸びがある「ダクタイル鋳鉄」を活用

三条特殊鋳工所が創業したのは、昭和36(1961)年。機械メーカーの鋳物部門で働いていた先代が始めた会社だ。立ち上げてすぐは仕事がなく、前の会社から仕事をもらって食い繋ぐ日々。地道に営業を重ね、三条市内の農機具関連の会社から初めて注文をもらい、少しずつ取引企業が増えていった。転機となったのは、県内のとある大手鋳物メーカーとの大口取引。まとまった量の注文をもらうことで、経営も安定するようになった。

経営が安定すると、商売よりもものづくりに夢中だった先代は新しい材料に目を向けた。アメリカとイギリスでほぼ同時に発明された「ダクタイル鋳鉄」にいち早く飛びつき、どうにか自社で加工できないかと研究を重ねた。

 

研究熱心な内山さん。鋳造の仕組みの話は自然と熱を帯びる

 

 

ダクタイル鋳鉄とは、強度と延びがある鋳鉄※のこと。通常の鋳鉄は延びが無く、強度が弱い、ダクタイル鋳鉄は割れにくく、自動車のブレーキや工作機械などに使われることが多い。使う分には魅力的な素材だが、製造するのは難しいのが実情で、成分に少しでも硫黄が入り込むと破壊に繋がってしまう。先代は何度も試行錯誤しながら、最終的には電気炉を入れることでその硫黄を除去して鋳造することで品質を安定させた。

※鋳鉄・・・溶かした金属を型に流し込んで成形された鉄の合金の総称。

こうしてダクタイル鋳鉄の加工方法を確立した三条特殊鋳工所のもとには、多くの仕事が舞い込んだ。そのため、既存の機械だけでは仕事がまわらず、昭和50(1975)年に工場拡大のために移転。新しい機械を入れて生産量を増やしていった。

 
 

 

 
 

社長就任と共に、経営体制を一新

内山さんが社長に就任したのは、平成9(1997)年のこと。長年先代の経営を間近で見ていたが、受注を1社に依存する経営体制にずっと疑問を感じていた。だからこそ、社長になりその体制からの脱却に取り組み始めたという。

「親父のころは大手メーカーの仕事が8割くらい。ただ、完成品メーカーとの直接ではなくて4次請けなので儲かるわけがないし、好、不況で仕事量が大きく変動することを経験する中で、自分の努力の範囲外で会社が潰れるかもしれないリスクに恐怖を感じたんです。ですので、自分が社長になったタイミングで直接メーカーに営業に行って新規開拓。27ヶ月連続の新規契約に繋がりました」

 
 

鋳型に液体になった金属を流し込む瞬間

 

 

そのおかげで、大手鋳物メーカーの下請け仕事は全体の10%程度に。真空ポンプや建設機械メーカーなどから直接請けられるようになった。

もうひとつ、内山さんが経営者として気になっていたのが、自然と上位顧客の占有比率が上昇してくること。通常、顧客は鋳物部品は1社にしか発注しないため、その1社しか型を持たなかった。好況期には自然と受注量が増えるが、それが納期遅れにつながり、さらに他の顧客への納品遅れにもつながってゆくという連鎖が生まれていた。

「この問題についてはリスクを認識したお客様の方からの提案があり、対策を実行して頂きました。納期遅れはお客様にとってこそ大きなリスクと捉えられ、同一部品を複数の鋳物メーカーに並行発注する事で納期遅れリスクを解消されました。お陰で弊社も顧客のシェアーが偏ってゆく事が回避されています」

 

三条特殊鋳工所は「燕三条 工場の祭典」でオープンファクトリーにも参加する

 

 
 

業界屈指の精度。各工程での細かな工夫が低い不良率につながっている

自分の会社だけでなく、業界全体のことを考えて、何が最善かを選択してきた。一見簡単そうに見えるが、実行するのは難しい。だが、内山さんは現状に満足せず、常に改善する道を模索し続けてきたのだ。

 

自社ブランドUNILLOYには企業の哲学も色濃く反映される

 

その最も顕著な例が、不良率の改善。日本の鋳物メーカーの不良率は5%が平均だが、三条特殊鋳工所は驚異とも言える2%台。それだけ不良率を改善するための努力を長年続けてきた企業なのだ。

そもそも、なぜ鋳造は不良率が高いのだろうか。それは、一般的な金属加工と異なり、加工の過程を直接見ることができないからだ。

 

 

 

例えば、プレスは金属板を見ながら加工できるが、鋳造ではすべてが砂型のなかで行われるため砂型の中は全く見ることができない。だからこそ、材料をつくる工程、砂型をつくる工程、材料を流し入れる工程など、コントロールできる箇所は最大限の注意を払って作業を進めていくのだ。この難解な問題を改善するため、技術コンサルタントと契約し、何度も試行錯誤。砂型をどう作ればいいのか、そもそも材料となる砂はどんなものが理想なのか、ひたすら研究を重ねた。

「鋳物の技術は①砂②型の設計③溶解の3つ。そのうちひとつでも崩れたら不良が増えてしまいます。例えば、鋳物は液体から固体になるときに体積がわずかに収縮します。そうすると、内部に巣が空いたり、表面が凹んだりする。その問題を解決する方法が型の設計なんです。鋳物は端のほうから固まっていくので最後に固まるところに穴があく。それを防ぐため、製品よりボリュームの大きい塊を製品とつなげ、それが製品より後から固まるように設計する。これを押湯といいますが、押湯をつける位置・大きさの研究も続け安価で合理的な型の設計方法も作り上げました」

 

 

 

例をひとつとっても気が遠くなるような作業。もちろん砂にもこだわり、シリカ分が高く、粒が揃ったオーストラリアの海岸のものを使用。溶解は温度を上げすぎないように一気に狙った温度まで上げる。さらに、鋳造のシミュレーションソフトも導入し、予想外の場所に巣が発生する理由を分析。難しい加工は事前にシミュレーションすることで不良率を抑えてきた。

※シリカ:二酸化ケイ素(SiO2)、または二酸化ケイ素によって構成される物質の総称。シリカ分が高い砂は熱で変形しにくい。

 

 

工場内では若手の姿も目立つ

 

 
 

初めてのホーローに苦労しながら、自社ブランドUNILLOYを開発

 

世界規模で不況に陥ったリーマンショック。取引先に左右される受注生産ではダメだと思ったころにOEMで鋳物フライパンの相談を受けた。せっかく作るなら世界最薄でできないかと試作したものの、8割不良品という結果になった。大小それぞれ500個納品するために2500個近くも作った。

 

UNILLOYの鋳物ホーロー鍋

 

その後、ドイツの展示会「アンビエンテ」に出展すると、「フライパンができるなら、鍋を作れないか」と相談を受けた。鍋をつくるには設備投資等、莫大なコストがかかる上、OEMでは自社のメリットが少ないと尻込みしていた。だが、海外の展示会での反応から、自社製品の鋳物鍋の開発と不良対策に本腰を入れて行うことを決意。300回以上の試作を繰り返すなかで、砂型の厚さなどを工夫し、鋳込む前に熱風を通して型を温めるなど、今につながる不良対策を見つけていった。

 

 

しかし、次に立ちはだかったのが、ホーローの壁。何度やっても、ホーローに小さな穴が出てしまうのだ。ホーロー加工の外注先からは「原因は鋳物にあるんですよ」と言われ、ホーローと鋳物の関係性を文献で探すも、そんなものはない。ようやく見つけたのが、ダクタイル鋳鉄とホーローの関係性を記した論文だった。

「最初、鋳物に原因があると言われても何をしたらいいかわかりませんでした。根気強く探していくと、ようやく南部鉄器の論文を見つけたんです。硬いところがあるとピンホールができやすく、目に見えない組織レベルで変えていく必要がありました。だから、鋳込む鉄の配合を変えたり、ホーローのピンホールが出ないように、できることは全部やりました」

 
 

工業製品とはいえど、最後は手仕事の世界

 

こうして鋳造ホーロー鍋「UNILLOY」が完成。ようやく自社ブランドとしてのスタートラインに立ったのだ。これだけの苦労を聞くとふと疑問が湧く。なぜここまで熱心に研究を続けられるのだろうか。内山さんは「責任感じゃないですかね」と過去を振り返りながら答えてくれた。

「とにかくなんとかしなければと懸命に研究を重ねました。すでに工場と設備に3億円をかけてしまっていたので。それだけかけたのに途中で投げ出せないし、責任感が一番強いんじゃないでしょうか」

 
 

 

 
 

自社製品の生産を増やして、燕三条全体の仕事量を増やす

 

2014年の「UNILLOY」発表から8年。地道な営業活動が身を結び大手百貨店など販売先が増えて、下請け仕事8割、自社ブランドのUNILLOY2割まで売上の比率を変えることができた。しかし、内山さんは半々の割合になるまでUNILLOYの販売量を増やしていきたいと意気込む。

「先日、新潟県内でホーロー鍋の認知度を図る調査をしたところ、UNILLOYの名前が上位3位に入ってこなかったんですよね。これでブランドとしていかに認知されていないかを痛感しました。商品としては劣っていないと自負しているので、あとは認知度の問題。今はPR会社と一緒にその施策を考えています」

頑丈で錆びにくい、世界一軽い鋳造ホーロー鍋。ここまで質を担保できる商品になったのは、内山さん、そして社員の執念だ。ここからどこまで認知度を高められるか。まだ未開の地が拡がっている。

 
 

 

同時に内山さんは、近年盛り上がりを見せる「燕三条」という産地自体にも期待を寄せる。

「下請けの仕事だけをやっていた会社が自社商品を作るようになったりと、今の燕三条は変わりつつあると思います。そういう地場の商品がもっと出てきたら、街全体の売上があがるし、別の企業に仕事を依頼できる。より太い循環につながっていくのではないでしょうか。海外のデザインコンペに出たり、展示会に行ったりと世界に発信する企業もたくさんある。そうやって地域全体が底上げできたらなによりかなと思っています」

不良率の多い鋳造で高品質のホーロー鍋を生み出した三条特殊鋳工所。その歩みには、数え切れないほどの努力があった。適切な加工方法を模索し、数値の微調整を繰り返し、時には文献を探し、「もっとよく」を追い求める。その姿勢は先代から一貫して変わらないものだ。

三条特殊鋳工所はきっとこれからも何度も試行錯誤を繰り返しながら、鋳造とまっすぐ向き合い続けていくのだろう。

株式会社三条特殊鋳工所

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