「工具箱といえば中村精工」と言われる日を目指して
中村精工株式会社
近年はDIYや日曜大工など家庭で使われる機会も多くなり、身近に感じる方も多いのではないだろうか。しかし、工具箱とはそもそも自動車整備や工事現場、金物工場といった現場で使われているもの。仕事に必要な道具をいつでも取り出しやすいように整理をしておくための箱だった。
工具箱作りにおいて、その道のプロからも趣味で使う人からも愛用される一品を製作しているのが、三条市にある中村精工株式会社(以下、中村精工)だ。ここでは職人が使う工具箱だけでなく、アニメや映画作品とのコラボレーションやスマートフォン用のスピーカー、医療品の洗浄ボックスなど、従来のイメージに囚われない展開が注目を集めている。
そう目標を口にする代表取締役の中村敏(なかむらさとし)さん。入社して50年以上、工具箱と向き合い続けてきた。「工具箱を世の中の人にもっと知ってもらうにはどうしたらいいか」「生産を安定させるにはどうしたらいいか」と。
敏さんが現時点で出した答えは何だったのか。先代から引き継いだ中村精工の軌跡と現在地を聞いた。
一般ユーザーにも広がり始めた、中村精工の工具箱
中村精工の工具箱は、ほとんどが手作業で行われる。複数の板材を溶接して箱を組み上げるのではなく、一枚の板材をベンダー(金属を曲げる加工機械)で折り曲げながら箱型を成形してくのだ。下側の箱と、上側の蓋をベンダーと手作業で作りあげ、持ち手などの細かなパーツを溶接し工具箱が完成する。その丁寧な仕事は建築や工場現場で働くプロから「落としても変形しにくい」と高い評価を得ている。
首都圏との取引に力を入れた創業者
周りも一目置くほどの技術を持っていた権三郎さん。溶接工場として独立し、近場の問屋から仕事を請け負うだけでなく、直接商社から取引ができないかと考え、首都圏の商社へと赴いた。その結果、埼玉と東京の商社と直接取引を結べて、オートバイの部品製造を請け負うことができた。
最初は順調に進んでいたものの、型の種類が多くなると莫大な金型代がかさみ、その負担が重くのしかかった。この先も新しい型の工具箱を受注たびに金型を増やすのは現実的ではない。そこで権三郎さんが取った方法は、工具箱を手作業メインで作ること。板材を曲げるベンダー機を用い、一箇所ずつ曲げて成形していくことにした。
協力工場がいるからこそ生み出される工具箱
「市内に塗装屋さんは何軒もあるのですが、うちがお願いしても一つ返事で快諾が得られることはほとんどありません。いまは2軒お願いしているところがありますが、ここがもし廃業するようなことがあれば他を探すのは難しい」
それほどまでに難しい理由はなぜなのか。敏さんは「塗装をするときにどうしても必要な引っかかりがないから」と言葉を続ける。
「普通、塗装は製品に開いている穴にフックをひっかけて色を塗ります。ですが、工具箱は全て板材なので引っ掛ける場所がない。だから、工具箱の中を塗るのが難しい。実は、私が20歳くらいの時からずっと悩まされている課題なんです」
「工具箱のベンダー技術を評価されて、新しい仕事をいただきました。実は最初、ある製品の一加工だけを請け負っていたのですが、メーカーに行って組んでいない状態の部品を発見して。それなら組んでからお渡ししましょうか?と提案したんです。それからは信頼していただけて他の製品も依頼されるようになりました。工具箱もアウトドア製品も納めた状態でユーザーの手に届くもの。だからこそ、手で触っても切れないように安全面にはかなり力を入れています」
工具箱から生まれた新たな使い道
工具箱が必要なときに思い出してもらえる会社に
「うちの工具箱にとって塗装は本当に大切な工程。だからこそ、いつか自分で塗装工場を建てられたらと考えています。塗装まで一貫生産できたら、オンリーワンの工具箱メーカーになれる。そしたらお客さんはうちに依頼しやすくなるし、量産も可能になるじゃないですか。大量生産の相談にも対応できるし、会社としての幅がぐんと広がるはずなんですよね」
しかし、塗装の設備だけで1億円、それに加えて技術も知識もゼロからのスタート。中村精工として塗装を始めるには課題は山積みだ。それでも、中村さんは楽しそうに夢を語る。
「塗装工場は入社したときからの私の夢。いつか全工程を担うことで、工具箱といえば中村精工と思ってもらえる会社になりたいです」
たったひとりの溶接工から始まった工場はいまや有名作品とのコラボレーションなど、新たな展開を迎えている。だが、それはまだ中村精工にとって序奏に過ぎない。
工具箱といえば中村精工と言われるその日まで、敏さんは走り続ける。
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