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2017.7.15. UP

包丁の消費文化を塗り替えろ!中川政七商店との経営戦略会議が生んだ「幸せなものづくり」 タダフサ

つくり手の心がきちんと伝わり、
つかい手がそこに魅力を感じ、
製品を正当な価格で買うことができる。

幸せなものづくりとは、きっとそうあるべきだ。

新潟県・三条市の包丁メーカーであるタダフサの三代目曽根忠幸さんは、中川政七商店の中川政七さんと共に新ブランド『庖丁工房タダフサ』を立ち上げた。
想いや技術をつかい手に正しく届ける仕組みを作れば、安価な大量生産をせざるを得ないものづくりの現場の状況は変えられる。
結果として、5年前に比べ、売上を約2倍に伸ばし、今では三条のものづくりを引っ張る存在としての立ち位置を確固たるものにした。

燕三条地域全体へプラスの影響力を伝播させていくことになる、ものづくり企業の挑戦の軌跡。

「ユーザーに判断を任せるのは、何も考えていないのと同じだ!」つくり手の想いをきちんと伝えるものづくりを

すべては、新潟県の三条市長が中川政七氏(以下:中川さん)に惚れ込んだことからはじまった。

「この人に、三条の鍛冶の未来を託そう。」

市の取り組みとして、中川さんに三条の鍛冶屋のコンサルティングをお願いすることになり、対象として名前が上がったのが、タダフサだった。

株式会社タダフサ(以下:タダフサ)は、曽根さんの祖父が1948年に興した会社で、創業約70年の老舗だ。元は大工道具の曲金(まがりかね)を作る腕利き職人だった祖父は、問屋から依頼を受け、独学で包丁作りを始めた。
その後、包丁メーカーとして曽根さんの父へと引き継がれ、年商一億円規模の会社に成長してきた。

一方の中川政七商店は、奈良県で300年以上続いてきた麻織物を扱う老舗。
13代目政七を襲名した中川政七さんは2008年に社長に就任後、巧妙な経営戦略で中川政七商店を全国に33店舗も展開。「日本の工芸を元気にする!」を目標に掲げ、経営に不安を抱えた事業社のコンサルティングを通し、数々のものづくりを蘇らせてきた人物だ。

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タダフサ3代目の曽根さん
「三条の鍛冶屋の中でも、職人が家族経営で営む工房というよりは、ある程度工場の規模があって、主力商品で売上を担保しつつ、新しいチャレンジができるウチに声がかかったんです。」

三条市からの後押しもあり、曽根さんは中川さんと二人三脚で走り始める決心をした。

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柄がつけられるのを待つ包丁の刃
タダフサのこれまでの包丁づくりを振り返ると、必ずしもずっと「自分たちらしい」包丁づくりを続けてこれたかというと、頷けない状況だった。

物が思うようには売れない時代。
取引先に「質を落としてもいいから安くしろ」と要求されることもあったと曽根さんは話す。

「ホームセンターで、自分たちが『とにかく安く』作った包丁が雑に並べられているのを見ると、嫌気が差しました。お客さんに『これでいっか』と消極的な選択をされて、買われていくんですから…。」

そんな状況では、タダフサのつくり手としての想いが消費者まで届いていないことは明らかだった。

実は、中川さんのコンサルティングが始まる直前に、曽根さんは大きな決断をしていた。
当時のタダフサの売上の約1割に当たる、1000万円分の包丁の取り引きを止めたのだ。

この決断は「とにかく安く」という要求に答え続けるものづくりからの脱却を意味していた。

「1000万円の売上があったとしても、ほとんど利益の出ない仕事だったんです。ところが作業量は多くて、社員は残業ばかりしていました。それならば、同じ1000万円の売上で100万円の利益を出せるかもしれない仕事に、時間と労力を確保した方がいいと判断しました。中川さんとやっていく中で、1000万円くらいは穴埋めができると思ったんです。」

曽根さんは、中川さんと「タダフサらしい」ものづくりで勝負することに、工場の未来を懸けた。

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熱せられて真っ赤になった状態の鋼材を職人が叩いていく
タダフサでは、昔から工場として末端のユーザーの声を商品開発に取り入れてきた。

しかし、中川さんはこれをはっきりと否定したという。

──本来は、メーカーの方がものづくりについて一番考えているはず。それなのに、判断を最終的にユーザーに委ねてしまうのは、ちゃんと考えていないのと同じだ。世の中に数多ある商品の中からタダフサに関心を向けてくれる人たちに対して、自分たちがどんな想いでものを作っているのかをちゃんと伝えていかなくては。

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「これを聞いたときに納得したし、『この人、すごいな』と思ったんです。」

『庖丁工房タダフサ』の誕生は、つかい手ではなく、意外にもつくり手である自分たちのことを、もう一度じっくり棚卸しするところから始まった。

タダフサが目指したのは、つくり手である自分たちの豊富な専門知識をもとに着想を得て、ユーザーがまだ気づいていない「新しい包丁の魅力」を生み出すという方向性だった。

900種類の包丁から絞り込まれた「基本の3本、次の1本」

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中川さんが工場で目をつけたのは、これまでタダフサが作ってきた、信じがたいほど豊富な包丁の種類だった。
あらゆるニーズに応えて、包丁をつくり続けてきた結果、タダフサの包丁のバリエーションは実に900種類にまで及んでいた。

「そんなに種類があっても、売上の80%を担っているのは全体の約20%の商品でした。いくつもある包丁の種類の中には、1年に1本しか売れないものもありました(笑)」

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タダフサの工場の2階には、これまで作ってきたさまざまな包丁が展示されている
この構造の影響で、必然的にタダフサの工場内にはあらゆる包丁の在庫が眠ることになっていた。

中川さんの指導のもと、思い切ってほとんどの在庫を捨て、受注生産にシフトチェンジすることに。
全く作らないのではなく、めったに注文の来ない包丁は出来上がるまで待ってもらう事で、作業の効率化を図った。

こうして、900種類の包丁の中から、問屋向けに常時生産する商品を70種類に絞った。

「ウチでは、板前さんや漁業関連の人たちが使う刺身包丁や出刃包丁など、専門的な刃物も豊富に作ってきました。ところが、1本の刺身包丁を使い切るのに30年くらいかかるんです。根強いリーピーターさんがいても、次に売れるのは30年後って、かなり先ですよね…(笑)」

そこからさらに一般の消費者向けに7本に絞った包丁で、新ブランド『庖丁工房タダフサ』がスタートした。

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合言葉は「基本の3本、次の1本」。

三徳包丁・ペティナイフ・パン切り包丁の「基本の3本」を揃え、料理の腕が上がったら、さらにより細かく用途が分かれた4種類の包丁から「次の1本」を選ぶ、といった購買の流れを想定した商品構成だ。

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『庖丁工房タダフサ』の7本。右利き用、左利き用が用意されている
この、商品数の絞り込みの他に、『庖丁工房タダフサ』を展開する上でポイントとなったのは、「いかにして、包丁を研ぐ意識を習慣化するか」だった。

包丁で一番重要なのはもちろん切れ味の良さ。
職人に言わせれば、どんな包丁も研がなければ切れなくなるのは当たり前だ。

しかし、現代の一般家庭では「包丁を研ぐ」といった習慣はあまり根付いていない。おそらく、ステンレス製の研がずに済む包丁が多く流通しているからだろう。

そこで、『庖丁工房タダフサ』ではパッケージにある工夫を凝らすことにした。

つかい手が研ぐことができないなら、つくり手がメンテナンスをすればいい。
購入時のパッケージをそのまま使って、もう一度タダフサの工房に送れるような「通い箱*」の形状にした。

*通い箱…製造元から得意先に注文の品物を入れて届けるのに使う箱のこと。工場間の行き来に使用されることも多い。

さらに、包丁がどんな状態になれば研ぐタイミングなのかを分かりやすく示すため、「研ぎ頃」という概念をつくり、リーフレットを作成。
これを包丁のパッケージに同封した。

この施策が、タダフサの包丁作りへの想いを伝えることにつながり、消費者も魅力を感じて商品を買ってくれるという「幸せな関係」を生みだした。

タダフサの工場内では、愛用者から届いた包丁が「研ぎ」の工程を待ち、並ぶ姿が日常化した。

パッケージや売り出し方に工夫を加え、消費者が面倒に感じていた「包丁を研ぐ」行為を価値あるサービスに昇華させたことで、『庖丁工房タダフサ』のファンはその後も、順調に増えていった。

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大人気商品のパン切り包丁は、パンくずを出さずにスッと切れる
現在のタダフサでは、人気のあまり、注文に対して納品まで2年かかる状態。

「研ぐ」ことに重点を置き、タダフサの想いをつかい手にきちんと届けることで、売上はコンサルティング前の約2倍にまで伸びた。

ものづくりの背景が透けて見えるような商品をつくりたい。かっこいい職人の姿を子どもたちに

曽根さんと中川さんの取り組みは、工場内だけには留まらなかった。つくり手の想いを広く伝えようとする熱意が、「工場の祭典*」開催の発端となる。

*工場の祭典…実際の工場(こうば)を見学し、職人から製品づくりの話を聴いたり、ワークショップとして体験できたりと、幅広い層が楽しめる新潟県燕三条エリアの看板イベント。

 
 

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『庖丁工房タダフサ』のロゴにもなっているつかみ箸。
「中川さんと『ものづくりの背景が透けて見えるような商品を作りたい』と話していくうちに、実際に現場を見てもらうのが手っ取り早いんじゃないか、ということになったんです。そこで『工場の祭典』の話が持ち上がりました。」

曽根さんは、初代実行委員長として「工場の祭典」を指揮。
新潟県の燕三条の名を世間に広める立役者のひとりとなった。

「ウチは、三条にあったからこそ、この産地の恩恵を受けてやってこれた工場です。だから、周囲から『タダフサの一人勝ちだ』なんて思われるのは嫌でした。産地としての燕三条全体をもっと良くしていきたいんです。」

幼い頃から工場や職人を身近に感じて育った曽根さんは、現在の三条のものづくりに危機感を抱いていた。

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現在15名の職人は最年少が23歳。若手の職人も多い
「三条がものづくりの街だというイメージは定着していても、住んでいる市民たちみんながそれを実感している訳ではないんです。昔は住宅と工場が隣にあったりして、子どもは職人たちが働いている姿を見て育ってきたけれど、今は下手したら自分の父親が営業担当のサラリーマンなのか、ものづくりをする職人なのか分からない。もともとは街の中心で仕事をしていたものづくり企業が、騒音などの理由から郊外の工場団地などにまとまっている状態です。」

だから「工場の祭典」では、普段は近づき難い雰囲気の工場をオープンにすることで、ものづくりの背景にある職人たちの姿を活き活きと人々に伝えることを目指したのだ。

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曽根さんの父親で会長の忠一郎さんが刃に柄を差し込んでいる様子。今も現役でものづくりに携わっている
曽根さんの想いの根幹にあるのは、「包丁屋の息子」に生まれた誇りだ。
ある日、社員のひとりがそれを裏付けるような貴重な証拠を見つけた。

小学生だった曽根さんが書いた卒業文集の中の一節に、
「将来の夢は包丁屋」
と、はっきりと書いてあったという。

「そんなの、自分では全然覚えていなかったんですけどね(笑)確かに、親父とか、じいちゃんの仕事を『かっこいいな』と思っていました。小学校から戻ると工場の事務所に寄るのが日常だったので、働いている姿はよく見ていましたから。」

ところが、三条のものづくりに関わる人全員がそうとは限らない。
曽根さんには、どうしても悔しいことがあった。

「知り合いの包丁職人が、自分の仕事について息子に恥ずかしくて話せない、と言っていたんです。自分の子どもに誇れる仕事でなきゃ、大人として人に夢は語れません。ましてや経営者ともなれば、自分の子どもすら惹きつけられないのに、よそさまの子どもに『一緒に働こう』なんて言えないじゃないですか。それぐらいの気持ちと覚悟を持って仕事をするべきじゃないのかなって思うんです。」

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タダフサの工房敷地内に隣接するショップ
タダフサの掲げる「工房心得」の最後には、こんな言葉が添えられている。

──三条の子供たちの憧れとなるべき仕事にする事。

タダフサには、年間で計7、8校の小学校が工場見学にやってくる。さらに夏休みには、三条市主催のキッザニアとのプログラムで、子どもたちがタダフサの仕事体験をする。
積極的に、子どもたちに働く職人たちの姿を見せていく取り組みだ。

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タダフサの「番頭」、大澤真輝さん。工場の案内や取引先とのやり取りなど、まさに旅館の番頭さんのような役割を担う
「職人が一生懸命仕事をしている様子って、子どもたちの目にも魅力的に映るんですよ。見学が終わった後に『どうだった?』と聞くと、みんな『かっこいいー!』って答えてくれるんです。」

そんな子どもたちに、曽根さんは得意気に「だろー?」と笑いかける。

どんな仕事でも、誇りを持って働く人の姿はかっこいい。
それを子どもたちにしっかり見てもらうことで、かつての曽根少年のように、ものづくりの世界で働くことを夢見る子どもは少なからず出てくるはずだ。

「日本」という産地を世界に残していきたい

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中川さんと共に燕三条をものづくりの街として存在感のある場所にしてきた曽根さん。

中川さんとのつながりで知り合った『大日本市』*のメンバーとの交流から、新たなの使命を見出している。

*大日本市(だいにっぽんいち)…中川さんがこれまでにコンサルティングをしてきた日本各地の工芸メーカーのつくり手たちが集う合同展示会。長崎県波佐見町のマルヒロ、兵庫県豊岡市のバッグワークスなど、他にも多数の事業所がある。

 

「三条はまだ国内では恵まれている方で、他の地域には工場が一社でもなくなったら産業全体が傾いてしまう状態のところもあります。だから、これまでお付き合いの無かったような地域からも三条に『こういうのできない?』と相談をもらうようになってきているんです。三条を盛り上げながら、他の地域ともどんどんつながりを作って、日本の産地全体で助け合っていく必要があります。」

「メイドインジャパン」という言葉からも分かるように、世界から見れば、「日本」という国は、ひとくくりの産地。

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特に包丁は、ここ最近、日本製のものに世界から注目が集まっているという。

タダフサの商品も、海外への売上が5年前よりも約5倍にまで伸びている。

メンテナンスをしながら物を長く使う習慣のある欧米人にとって、よく切れるし、研ぎやすいタダフサの包丁は大人気なのだ。

「ドイツに、ゾーリンゲンという刃物の世界的な産地があります。しかし、残念ながら現在は産地としての機能をほぼ崩壊させてしまっている状態です。なぜなら、工場が海外からの出稼ぎ労働者を雇って安くものづくりをし、自分たちの首を自ら締めてしまったから。僕は毎年展示会でドイツに行くんですが、現地の人々は、自分たちの国で失ってしまったものづくりの仕組みが日本には残されていることに気付いていて、『日本が作れなくなっちゃ困る』と言うんです。」

「メイドインジャパン」は、世界の消費者の希望を背負っている。

中川さんのコンサルティング期間が終了した、現在のタダフサの工場で育まれているのは、つくり手の想いまでを詰め込んで、正当な価格で買われる「幸せなものづくり」のかたち。

「かっこいい!」と無邪気に声を上げる子どもたちに、「だろ?」と笑いかける曽根さんの姿は、今や世界のものづくり業界に名を馳せる燕三条の、一番星だ。

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株式会社 タダフサ
住所:新潟県三条市東本成寺27-16
電話番号:0256-32-2184
http://www.tadafusa.com/