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2017.8.15. UP

親子であり社長同士。ものづくりを真ん中に、それぞれの価値を生み出す最強タッグ 武田金型 & MGNET[前編]

金型(かながた)の工場と聞いても、その仕事内容にピンと来る人は少ないと思います。
ましてや、その金型工場の技術の差がどうだなんてレベルは、到底想像もできません。

金型屋として独立した武田金型の武田修一さんと、その長男として生まれ、工場に倦怠感を抱きながらも、武田金型製作所の発信を支え、子会社として独立することになったMGNETの武田修美さん。この親子の手にかかると、金型というものが不思議とぐっと身近に感じることができます。

MGNETのプロデュース、PR能力と武田金型の唯一無二の技術力。
それぞれ角度の異なるアプローチを取っていても、根っこは同じ。
燕三条が誇る、他とはひと味違う、金型工場の親子の仕事観です。

泣く子も黙る、燕の金型技術を語る「飛び道具」

金型とは、製品を作るために使う、金属でできた型のことを言います。
まずは、こちらをご覧ください。
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「mgn」のロゴを指で押すと、まるでつるりとした平面であったかのように沈む、不思議なこの金属のブロックこそが、武田金型製作所とMGNET(マグネット)の関係性を語る上で欠かせない存在です。

目にした誰もが驚くこの金属のブロックは、武田金型製作所の技術力を世に知らしめた秀逸な技術サンプル。

「工業系の展示会って行ったことあります?最終製品が展示されることはあまりないので、機械ばかりでつまらないんですよ(笑)うちが作っているような金型は、お客さんの商品を作るための原型なのだから、サンプルとして展示会には持っていけません。それに、金型ひとつの重さは何トンにもなるしね。」

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父の武田修一さんはそう話します。
そんな普段はものづくりの裏側の金型の技術を伝える際に役立つのが、このブロック。
「うちの技術はここがすごいんです」とあれこれ説明せず、ちょっと押してみてもらうだけで、相手は初めて触れる不思議なその金属の感覚に感動せざるを得ません。

約7年前、このブロックが誕生したときのことを、息子の修美さんが教えてくれました。

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「金型の技術がもっとダイレクトにガツンと伝わるアイテムを考えないと、一般の人になかなか分かってもらえない仕事なんです。そう思い父に『技術で一番伝えたいことは何なんだ』って聞いたんです。そしたら、『精度の高さ』だと。じゃあ、それを伝えられる何かを作ろうと提案して、父が出したアイデアがこの金属のブロックでした。」

世の中のニーズの分析、知識や経験からくるアイデア、それを実現できる技術力の3拍子が揃う体制が、武田金型製作所とMGNETの強みです。
そして、これらのキーワードとなるのが、このブロックに沈む「mgn」の文字。
まずは、全ての技術のルーツである父・修一さんが舵を取る、武田金型製作所についてお話を聞いていきましょう。

昔の金型屋は独立するのが当たり前。武田金型の創業秘話

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「燕というのはね、もともと独立志向が高い土地柄だったんです。」

武田金型の創業は1987年。代表の武田修一さん(以下:修一さん)が若手だった今から30年ほど前は、金型屋*は一人前になれば独立するのが当たり前だったといいます。

*金型屋…製品を作るための金属製の型。自動車や家電、建築部品などを生み出す際の大元になる「金型」を作る職人、またはその会社のこと。

 

「ただ、時代の流れが変わってきて独立したのは私が最後の方でした。私が独立してちょっとした頃から、コンピューター制御の大きな機械がどんどん出るようになって、今まで300万や500万で買えたものが、精度がよくなって1000万2000万するような世界になっていったんです。それが独立する金型屋の分岐点だったんじゃないかな。『そんな金があるのなら別の仕事やったほうが良いんじゃないか』と考える人も出てきたんじゃないでしょうかね。」

幼少期の思い出から、ものづくりが好きだった修一さんにとっては、この世界に入るのは必然でした。
「子どもの頃はおもちゃなんて買ってもらえず、自分で作るものだと思っていました。いいとこ、お祭りでやっとプラモデルが買ってもらえるくらいでしたよ。」

さまざまなものづくりの道があった中でも金型を選んだのは、「次の新しい何か」を生み出せる世界に夢を感じたからです。
「材料から削り出して、プラモデルみたいにパカパカ組んで形にして、それからまた違う形(製品)を生み出す型を作るのが金型です。私たちが作った金型が世の中に出た後『こういう風に使われているんだ』と知れる喜びが金型製作にはあるんです。」

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下に見える穴の空いた金属の板が金型
周囲のすすめもあって、金型工場で働き始めた若き日の修一さん。
そこでは、図面を書くところから金型の製作まで、一人の職人が、お客さんとのやり取りを全て任される環境でした。
そのことが、独立の際に大きな強みとなったのは言うまでもありません。
とはいえ、独立後のはじめは経営面での失敗も多かったそうです。

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「勤めていた頃は、自分の作った金型の金額までは知らなかったんです。だから、独立してからお客さんにいくらもらえれば良いのかが分かりませんでした。最初は安く見積もってしまっていたので、毎年赤字。22歳くらいだった当時の自分にとっては単価が10万円でもすごく高い金額だし、100万なんてとんでもないじゃないですか(笑)」

お客さんに「これ、作るの難しいから30万じゃ無理かねえ…」と言われて、「30万円も貰えるのか!」と驚くこともしばしば。
修一さんはそんな経験を多く重ね、現在の武田金型製作所の創業にいたります。

「独立後でも仕事の注文はそこそこあったんです。つながりのあった金型の材料屋さんが『あそこがいま金型屋を探してるから行ってみな』と紹介してくれました。そうこうしているうちに自分だけでは手が回らなくなってきたし、『付き合っている彼女を嫁にすれば、人手が増える!』と思いついき24で結婚したんです(笑)25歳のときには息子が生まれました。」

この息子さんが、現在のMGNETの代表である武田修美さん(以下:修美さん)でした。

なるべく金型屋から遠い世界に。それでも受け入れてくれた父の寛大さ

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「僕は長男だったから、生まれたときから工場の倅(せがれ)と呼ばれて育ちました。周りからは当然のように『そのうち武田金型を継ぐ存在』として扱われているのがすごく嫌で、なんとか金型とは遠い進路をいつも選んできたんです。言わずとも『武田金型には入りません!』という空気を作り出していました(笑)」
修美さんは懐かしむように話します。

修美さんが通った高校は工業系ではなく普通科の高校で、その後進学したのは会計の専門学校。そして当時、武田金型製作所が金型部品を製作していた自動車メーカーとは競合にあたる自動車メーカーのディーラーに就職する道まで選んだのです。
ところが、修美さんが23歳と25歳のとき、2つの大病が彼を襲います。
中でも、25歳のときに脳の病気を患ったことが大きな出来事となりました。
「その時の症状を簡単に説明すると、立ち上がった瞬間に高速で目が回るんですよ。当時、ドラマのようにお医者さんから『大事な話があるのでご家族を呼んでください』と言われたんです。」

──息子さんの病気は、命に関わるものではありません。ただ、工場にある産業機械の取り扱いはさせないでください。自分だけではなくて、周りに怪我をさせる危険性があるものの操作は、全般的にダメです。なので、工場を継ぐのは難しいかもしれません。
病院に足を運んだご両親と修美さんを前に、お医者さんから伝えられました。

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武田金型製作所には、各所に大型の機械が鎮座しています
「そのとき、自分も想像以上にショックでした。継ぎたくないから外に出て働いていたつもりだったのに、どこか心の片隅には『実家の工場があるし』と保険的に思っていたことに気が付いたんです。」

長男である修美さんが武田金型製造所を継げないという事態は、武田一家全体の問題ともなりました。親戚の方々も集まって話し合いをする中で、「お前はどうしたいんだ。」と聞かれても、修美さんはこの先に何も希望が持てない状態でした。

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「そんな時に、父が『じゃあ、うちをどうにか手伝ったらいいんじゃないか』と言ってくれました。これには親の寛大さを感じました。今まで反発して出ていったのに、それでも受け入れてくれるんだなって。そこで、改心して武田金型に入ろうと決めたんです。やるのであれば、ちゃんと工場の役に立とうと思いました。」

病気のせいで立ち上がることもままならない状態の修美さんに、父の修一さんが課した仕事はどんなものだったんでしょうか…?

3000万円の売上を出した「名刺入れ」のネット通信販売

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MGNETには名刺入れや燕三条で作られた製品を扱うショップも併設されています
「うちの父は、アメとムチを繰り返すような人なんです(笑)『世間に認められるような実績を作るまでは、工場に出社するな。』と言われていたんです。僕は父が体が弱くなった息子を救ったと周りに思われたくないんだろうと捉えていたんですが、母がこっそりと『あれはね、お父さんなりの優しさだよ。』と教えてくれたんです。」

厳しいようで、健康を気遣っての父の言葉だったことを理解した修美さん。
それからは何が何でも工場で実績を上げるために、試行錯誤の日々がはじまります。

「起き上がることがほとんどできなかったので、パソコンを使う仕事と、商品開発を担当させてもらいました。その頃は、今もウチの商品として売り出している名刺入れの初期のモデルを作っているところだったんです。」

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修美さんが必死で商品開発に取り組んだ末に生まれた『mgn』の名刺入れ
この名刺入れのブランド名が、文字が消える金属ブロックにも使われていた『mgn(エムジーエヌ)』。燕三条のプレス金型技術と金属加工技術を駆使し、「究極の上質感と美しさ」を形にしています。
この後さらに、社長である父からの試練が修美さんに課せられます。

「立ち上がることすらできないのに、『この名刺入れを売ってこい!』って言われたんですよ(笑)そこでどうしたかというと、ネットショップを独学で作って始めたんです。」
最初に修美さんが開設したのが、マグネシウムという金属でできたグッズを売る、ネット通販サイトでした。しかし、「マグネシウム」の名刺入れを売ろうと必死になるあまり、盲目状態になっていたことに気が付きます。

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「がむしゃらであればあるほど周りが見えなくなるタイプなんです(笑)マグネシウムの製品をピンポイントで欲しがる人なんて、よく考えたら全然いないんですよ。それでも、『マグネシウム』と検索したら、10位以内に出てくるほど、SEO*のノウハウはついてきたんです。そのかいあって、1年で11個売れたんですよ。」
 

*SEO… インターネットの検索結果で、webサイトが画面の上位に表示されるために、検索数の多いキーワードを多く盛り込むなどして工夫を凝らすこと。

 

「1個でも売れたら実績だ」と認めてもらい、2006年には武田金型製作所に出社することが叶った修美さん。時を同じくして、全ての発端となった病気もどんどん快方に向かっていきました。そして現在では、以前と同じように普通の生活ができています。

「不思議なんですが、薬の服用や手術などは一切していないんです。メンタル的な『なにかやろう』とする心が、病気には効くんですね。病気が快方に向かい、実際には工場で機械の操作をしても良くなったのですが、これからその道に進むのは遅いと思いました。」

そこで、武田金型に「マルチメディア事業部」を立ち上げ、修美さんのさらなる試行錯誤が続くことになります。
「出社して、事業部として売上を確立するために最も力を入れたのがマーケティングです。ここでやっと、名刺入れのサイトはもっと多くのニーズがあることに気がつきました。『マグネシウム専門』から『名刺入れ専門』のネット通販サイトへと変更したんです。」

修美さんはメキメキとSEOのノウハウを上げていました。その結果、当時の日本で主流だった3つの検索エンジン、『Yahoo!』、『Google』、『msn』の全てで、「名刺入れ」と打ち込むと一番上に修美さんの運営するサイトがヒットするほど。当初11個しか売れなかった名刺入れが、3万個売れ、2008年から2011年までの4年間に約3000万円もの売上を叩き出したのです。
そして、この名刺入れの販売サイトの名前こそが後の社名にもなる『MGNET』でした。
「ここで、経理の方からツッコミがありまして(笑)名刺入れの売上が上がりすぎて、会社としてマズイことに……。起業してみたいと提案したのはこの時でした。」

父のしてきた苦労を越えたい。ものづくりの発信企業MGNET誕生

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「まだ早い。」

息子の起業への想いに、父の修一さんは反対します。
しかし、修美さんにはなんだかその意見が父の確信ではないように感じていました。
経理を任せている事務所の所長も交えて話し合った結果、やはり数字を見る限り、マルチメディア事業部を会社として分けた方が良いという結論が出ます。

そこで初めて、修一さんが本音を漏らしたのです。
「俺と同じ苦労をさせたくない。お前には武田金型というベースがあるし、ゼロから会社をつくるのは本当に大変なんだ。継がなくてもいいし、別の会社に就職する選択肢もある。」

しかしそのとき、修美さんが間髪を入れずに言ったこのひと言が、決意の堅さを物語っています。
「だから、やりたいんだ。」

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「父親が経験してきた試練を超えられないような息子じゃダメなんですよ。父のその言葉を聞いたからには『なおさらやりたい』と言ったんです。」
息子の覚悟を知った父の言葉は強く、潔いものでした。

──そこまで言うんだったやれ。その代わり、死ぬ気でやれ。

武田金型の歴史が、ここで次の段階へと動き始めます。
数々の人生ドラマを経て、「社長と社長」としての関係性を築くことになった武田親子。
武田金型製作所が100%出資し、子会社という形で修美さんの株式会社MGNETが誕生しました。

全く違ったアプローチであっても「ものづくり」に情熱を傾ける姿勢は親子で同じ。
武田金型とMGNET。
日本のあらゆる工場の在り方にヒントを与えてくれる、それぞれの仕事の哲学。

続きは後編へ!

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株式会社 武田金型製作所
住所:新潟県燕市東太田16-1
電話番号:0256-62-3234
https://www.tkd.co.jp/
株式会社MGNET
住所:新潟県燕市東太田14-3
電話番号::0256-46-8720
http://mgnet-office.com/