親子であり社長同士。ものづくりを真ん中に、それぞれの価値を生み出す最強タッグ 武田金型 & MGNET[前編]
ましてや、その金型工場の技術の差がどうだなんてレベルは、到底想像もできません。
金型屋として独立した武田金型の武田修一さんと、その長男として生まれ、工場に倦怠感を抱きながらも、武田金型製作所の発信を支え、子会社として独立することになったMGNETの武田修美さん。この親子の手にかかると、金型というものが不思議とぐっと身近に感じることができます。
MGNETのプロデュース、PR能力と武田金型の唯一無二の技術力。
それぞれ角度の異なるアプローチを取っていても、根っこは同じ。
燕三条が誇る、他とはひと味違う、金型工場の親子の仕事観です。
泣く子も黙る、燕の金型技術を語る「飛び道具」
まずは、こちらをご覧ください。
「mgn」のロゴを指で押すと、まるでつるりとした平面であったかのように沈む、不思議なこの金属のブロックこそが、武田金型製作所とMGNET(マグネット)の関係性を語る上で欠かせない存在です。
目にした誰もが驚くこの金属のブロックは、武田金型製作所の技術力を世に知らしめた秀逸な技術サンプル。
「工業系の展示会って行ったことあります?最終製品が展示されることはあまりないので、機械ばかりでつまらないんですよ(笑)うちが作っているような金型は、お客さんの商品を作るための原型なのだから、サンプルとして展示会には持っていけません。それに、金型ひとつの重さは何トンにもなるしね。」
父の武田修一さんはそう話します。
そんな普段はものづくりの裏側の金型の技術を伝える際に役立つのが、このブロック。
「うちの技術はここがすごいんです」とあれこれ説明せず、ちょっと押してみてもらうだけで、相手は初めて触れる不思議なその金属の感覚に感動せざるを得ません。
約7年前、このブロックが誕生したときのことを、息子の修美さんが教えてくれました。
「金型の技術がもっとダイレクトにガツンと伝わるアイテムを考えないと、一般の人になかなか分かってもらえない仕事なんです。そう思い父に『技術で一番伝えたいことは何なんだ』って聞いたんです。そしたら、『精度の高さ』だと。じゃあ、それを伝えられる何かを作ろうと提案して、父が出したアイデアがこの金属のブロックでした。」
世の中のニーズの分析、知識や経験からくるアイデア、それを実現できる技術力の3拍子が揃う体制が、武田金型製作所とMGNETの強みです。
そして、これらのキーワードとなるのが、このブロックに沈む「mgn」の文字。
まずは、全ての技術のルーツである父・修一さんが舵を取る、武田金型製作所についてお話を聞いていきましょう。
昔の金型屋は独立するのが当たり前。武田金型の創業秘話
「燕というのはね、もともと独立志向が高い土地柄だったんです。」
武田金型の創業は1987年。代表の武田修一さん(以下:修一さん)が若手だった今から30年ほど前は、金型屋*は一人前になれば独立するのが当たり前だったといいます。
幼少期の思い出から、ものづくりが好きだった修一さんにとっては、この世界に入るのは必然でした。
「子どもの頃はおもちゃなんて買ってもらえず、自分で作るものだと思っていました。いいとこ、お祭りでやっとプラモデルが買ってもらえるくらいでしたよ。」
さまざまなものづくりの道があった中でも金型を選んだのは、「次の新しい何か」を生み出せる世界に夢を感じたからです。
「材料から削り出して、プラモデルみたいにパカパカ組んで形にして、それからまた違う形(製品)を生み出す型を作るのが金型です。私たちが作った金型が世の中に出た後『こういう風に使われているんだ』と知れる喜びが金型製作にはあるんです。」
そこでは、図面を書くところから金型の製作まで、一人の職人が、お客さんとのやり取りを全て任される環境でした。
そのことが、独立の際に大きな強みとなったのは言うまでもありません。
とはいえ、独立後のはじめは経営面での失敗も多かったそうです。
お客さんに「これ、作るの難しいから30万じゃ無理かねえ…」と言われて、「30万円も貰えるのか!」と驚くこともしばしば。
修一さんはそんな経験を多く重ね、現在の武田金型製作所の創業にいたります。
「独立後でも仕事の注文はそこそこあったんです。つながりのあった金型の材料屋さんが『あそこがいま金型屋を探してるから行ってみな』と紹介してくれました。そうこうしているうちに自分だけでは手が回らなくなってきたし、『付き合っている彼女を嫁にすれば、人手が増える!』と思いついき24で結婚したんです(笑)25歳のときには息子が生まれました。」
この息子さんが、現在のMGNETの代表である武田修美さん(以下:修美さん)でした。
なるべく金型屋から遠い世界に。それでも受け入れてくれた父の寛大さ
修美さんは懐かしむように話します。
修美さんが通った高校は工業系ではなく普通科の高校で、その後進学したのは会計の専門学校。そして当時、武田金型製作所が金型部品を製作していた自動車メーカーとは競合にあたる自動車メーカーのディーラーに就職する道まで選んだのです。
ところが、修美さんが23歳と25歳のとき、2つの大病が彼を襲います。
中でも、25歳のときに脳の病気を患ったことが大きな出来事となりました。
「その時の症状を簡単に説明すると、立ち上がった瞬間に高速で目が回るんですよ。当時、ドラマのようにお医者さんから『大事な話があるのでご家族を呼んでください』と言われたんです。」
──息子さんの病気は、命に関わるものではありません。ただ、工場にある産業機械の取り扱いはさせないでください。自分だけではなくて、周りに怪我をさせる危険性があるものの操作は、全般的にダメです。なので、工場を継ぐのは難しいかもしれません。
病院に足を運んだご両親と修美さんを前に、お医者さんから伝えられました。
長男である修美さんが武田金型製造所を継げないという事態は、武田一家全体の問題ともなりました。親戚の方々も集まって話し合いをする中で、「お前はどうしたいんだ。」と聞かれても、修美さんはこの先に何も希望が持てない状態でした。
病気のせいで立ち上がることもままならない状態の修美さんに、父の修一さんが課した仕事はどんなものだったんでしょうか…?
3000万円の売上を出した「名刺入れ」のネット通信販売
厳しいようで、健康を気遣っての父の言葉だったことを理解した修美さん。
それからは何が何でも工場で実績を上げるために、試行錯誤の日々がはじまります。
「起き上がることがほとんどできなかったので、パソコンを使う仕事と、商品開発を担当させてもらいました。その頃は、今もウチの商品として売り出している名刺入れの初期のモデルを作っているところだったんです。」
この後さらに、社長である父からの試練が修美さんに課せられます。
「立ち上がることすらできないのに、『この名刺入れを売ってこい!』って言われたんですよ(笑)そこでどうしたかというと、ネットショップを独学で作って始めたんです。」
最初に修美さんが開設したのが、マグネシウムという金属でできたグッズを売る、ネット通販サイトでした。しかし、「マグネシウム」の名刺入れを売ろうと必死になるあまり、盲目状態になっていたことに気が付きます。
「不思議なんですが、薬の服用や手術などは一切していないんです。メンタル的な『なにかやろう』とする心が、病気には効くんですね。病気が快方に向かい、実際には工場で機械の操作をしても良くなったのですが、これからその道に進むのは遅いと思いました。」
そこで、武田金型に「マルチメディア事業部」を立ち上げ、修美さんのさらなる試行錯誤が続くことになります。
「出社して、事業部として売上を確立するために最も力を入れたのがマーケティングです。ここでやっと、名刺入れのサイトはもっと多くのニーズがあることに気がつきました。『マグネシウム専門』から『名刺入れ専門』のネット通販サイトへと変更したんです。」
修美さんはメキメキとSEOのノウハウを上げていました。その結果、当時の日本で主流だった3つの検索エンジン、『Yahoo!』、『Google』、『msn』の全てで、「名刺入れ」と打ち込むと一番上に修美さんの運営するサイトがヒットするほど。当初11個しか売れなかった名刺入れが、3万個売れ、2008年から2011年までの4年間に約3000万円もの売上を叩き出したのです。
そして、この名刺入れの販売サイトの名前こそが後の社名にもなる『MGNET』でした。
「ここで、経理の方からツッコミがありまして(笑)名刺入れの売上が上がりすぎて、会社としてマズイことに……。起業してみたいと提案したのはこの時でした。」
父のしてきた苦労を越えたい。ものづくりの発信企業MGNET誕生
息子の起業への想いに、父の修一さんは反対します。
しかし、修美さんにはなんだかその意見が父の確信ではないように感じていました。
経理を任せている事務所の所長も交えて話し合った結果、やはり数字を見る限り、マルチメディア事業部を会社として分けた方が良いという結論が出ます。
そこで初めて、修一さんが本音を漏らしたのです。
「俺と同じ苦労をさせたくない。お前には武田金型というベースがあるし、ゼロから会社をつくるのは本当に大変なんだ。継がなくてもいいし、別の会社に就職する選択肢もある。」
しかしそのとき、修美さんが間髪を入れずに言ったこのひと言が、決意の堅さを物語っています。
「だから、やりたいんだ。」
息子の覚悟を知った父の言葉は強く、潔いものでした。
──そこまで言うんだったやれ。その代わり、死ぬ気でやれ。
武田金型の歴史が、ここで次の段階へと動き始めます。
数々の人生ドラマを経て、「社長と社長」としての関係性を築くことになった武田親子。
武田金型製作所が100%出資し、子会社という形で修美さんの株式会社MGNETが誕生しました。
全く違ったアプローチであっても「ものづくり」に情熱を傾ける姿勢は親子で同じ。
武田金型とMGNET。
日本のあらゆる工場の在り方にヒントを与えてくれる、それぞれの仕事の哲学。
続きは後編へ!
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