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2017.11.16. UP

老舗製作所の4代目は元プロボクサー。「ボクシングとものづくり」ふたつの異世界の共通項 株式会社ヤマトキ製作所

「必要とされない技術は、廃れていってもしょうがない」

どんな技術も“守る”ことが善とされている気がしていたなかで、ものづくりの当事者が発したこの言葉は深く胸に刺さった。

この言葉は、新潟県三条市にあるヤマトキ製作所の小林秀徳さんのもの。
実は小林さんは、元プロボクサーで現在は金属加工工場の4代目という異色の経歴を持っている。

ものづくりの街、燕三条で生まれ育ったものの、プロボクシングというまったく違う世界に飛び込んだ背景には「自分の名前で勝負してみたい」という決意があった。離れていた時間があったからこそ培われた、小林さんのものづくりへの思いとは。

丈夫さと機能が第一。建築金具の生産を手がける老舗製作所

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ヤマトキ製作所は、小林さんの曽祖父の時代から金属製品の生産を手がけてきた老舗製作所だ。かつては、畑に仕掛けるもぐら取りやねずみ取りを主に扱っていたが、現在は建築金具の生産に注力している。

屋根に流れる雨水を下方へと流すための「雨樋(あまどい)」*。
その雨樋を支えるための金具や、屋根の積雪の落下を防ぐ雪止め金具が現在の主力製品だ。

*雨樋…屋根の表面を流れて来る雨水を集め、地上にまとめて落とすための装置

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雨樋のついた屋根
建築金具に求められるのは、丈夫であることと機能的であること。そしてどれだけコストを抑えて効率的な生産ができるかどうかだという。

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4代目であり、元プロボクサーの小林秀徳さん
「建築金具には、1ミリ単位の精密さや見た目の美しさは求められません。なにより安全で長持ちして、安く早くできることが重要なんです。」

丈夫で品質の高い金具をより効率的に作るには、職人の勘と腕が不可欠だ。たとえ同じ種類の金属でも、硬さや厚みはすべて同じではない。扱う材料に合わせて、プレスのかけ方や圧力を変える必要があるのだ。

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ヤマトキ製作所の工場内
ヤマトキ製作所の工場内には大小さまざまな機械がずらりと並んでいる。金属をプレスする機械、切り出す機械、穴を開ける機械、溶接する機械……。精度の高い最新の機械も積極的に導入しているが、細かい部分は、いまだ職人による手作業で加工を行っている。機械では絶対に真似できない熟練の技と勘が必要だからだ。

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「長年勤めている職人は、叩いたときの音や触れたときの感覚で機械を微調整しています。いわゆる、職人の勘ですね。僕はそれを身につけるために修行の真っ最中です。」

「自分の名前で戦いたい」ものづくりの街で育ったからこその決意

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工場の2階にある休憩室には、小林さんがプロ時代の減量中などに読んでいたというビジネス書がずらり
小林さんが、ヤマトキ製作所の4代目として家業を継ぐことを決めてからまだ日が浅い。以前は東京でプロボクサーとして活躍していたからだ。高校卒業後18歳で地元を出て、ボクシングの世界に飛び込んだのは、ヤマトキ製作所の跡取りとしてではなく、自分個人の名前で何かを成し遂げたいと思ったからだったと言う。

「土地柄、家業をやっている家が多いのでどうしても『ヤマトキの息子』という扱いを受けることが多くて。だから、自分の名前だけで勝負したいという気持ちが芽生えたんです。」

ボクシングを志したきっかけは、高校3年生の夏にたまたま見つけた「働きながらプロボクサーになろう」という広告。ボクシング経験はなかったものの、プロスポーツ選手になれるならと上京を決意した。アルバイトをしながら、トレーニングに励む日々。そして3年後には念願のプロデビュー。新人王とMVPを獲得し、順風満帆なボクシング人生を歩んでいた。

「地元にいたときの『自分の名前だけで認められたい』という気持ちが、東京で踏ん張る原動力になっていました。」

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転機が訪れたのはプロ生活5年目を迎えた2004年のこと。試合中、急に目の前の景色がダブって見えるようになった。

試合はかろうじて判定勝ちしたものの、目の異常は治らない。いくつもの病院を回り、原因が「眼底骨折」だとわかるまでに2、3か月かかった。手術をしたが、視界は完全には元に戻らず、試合に出場するのは困難だった。プロボクサーになるために上京し、戦績を上げ軌道に乗ってきたところでの故障。このときの挫折感はさぞや大きなものだっただろう。

「なんとか目を治して復帰したいという気持ちはありました。でも実際どうなるかわからない。リハビリやトレーニングを続ける一方で、本格的に家業の手伝いをはじめたのはこの休養がきっかけでした。」

家業を手伝い始めた休養後の試合で、引退を決意した訳

二度とボクシングの世界には戻れないかもしれない──。

不安も大きかったが、落ち込んでばかりいるのは性に合わなかった。そこで休養している間、家業の手伝いをすることに決めた小林さん。手付かずだった棚卸しに取り組んだり、金型の使い方や溶接の方法を学ぶ講習に通ったりした。現場に入って先輩の職人から技術を学ぶこともあった。

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溶接をするヤマトキ製作所の職人の姿
「小さいころから職人さんの仕事は間近で見ていましたが、実際にやってみると技術の難しさや奥深さに圧倒されました。作業そのものは複雑ではないのですが、だからこそ職人ごとに手順や方法が違うし、それによって作業効率が大きく変わります。マニュアル化できない部分が多いぶん、技術の習得はとても大変です。」

家業の手伝いをしながら、専門医による手術を受け、リハビリやトレーニングに励んでいた小林さんは2年の休養の後、ボクシングの世界に復帰。その後も飛躍を続けていたが、あるできごとをきっかけに引退を決意した。

プロ12年目にして逃してしまったタイトル。再起をかけた試合の3ラウンド目、相手のパンチが見事に決まり、目の前が真っ白に。気がついたときには控室に戻っていた。

「そのとき『ああもう潮時だな』と感じたんです。復帰したあとも、月に1回のペースで実家に戻り棚卸しの業務をしていたこともあって、自然な流れでヤマトキ製作所で働くようになりました。」

ボクシングもものづくりも仕事に対する意識はまったく変わらない

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プロスポーツとものづくり。まったく異なるように思えるふたつの世界で、戸惑うことはなかったのだろうか。しかし、小林さんの仕事に対する意識はプロボクサーだったころも現在もなんら変わっていないと言う。

「ボクサーのころ、自分の身体は商品だという意識でトレーニングを重ねていました。現在の筋肉量やスタミナを精査して、どこが足りないのか、どうすればもっとよくなるのかを考えて、効率よく身体を作っていく。そしてお客さんに試合で最高のパフォーマンスを見せる。この考え方は、ものづくりにおいても変わりません。」

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観客を楽しませるために、辛いトレーニングや減量を乗り越え、ベストを尽くして自分の身体を作る。その高いプロ意識はものづくりの世界でも存分に活かされているのだ。

必要とされなければ意味がない。挑戦をいとわない4代目の覚悟

とはいえ、すべてが順調というわけではない。今後、人口の減少とともに確実に住居は減っていく。必然的に建築金具の市場もどんどん縮小していくことが明白だ。

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『工場の祭典』では、ボクサーの動きをプログラミングした機械を一般にお披露目
「建築金具だけに頼っていては5年後、10年後に立ち行かなくなることはわかっています。だからこそ、何か他の道を模索しなければなりません。」

しかし、長年培ってきた建築金具に関する技術を捨ててしまうのは、勇気のいる決断ではないのだろうか。

「ひとつの製品や技術に固執するつもりはないんです。誰かに必要とされなければ意味がありませんから。もぐら取りやねずみ取りを作っていたのが、高度経済成長の時代に合わせて建築金具を作るようになった。また違うものが求められているなら、いまある技術を応用して挑戦していけばいいんです。」

金属加工のプロとして、ものづくりの世界で戦っていこうとするからこそ、必要とされないものは無理に守らなくていい。小林さんの話を聞いて、ものづくりの世界における「技術を守ろう」「後世に残そう」という雰囲気はいつも正解とは限らないと感じた。業界の現状や市場の動向によっては、あえて捨てる決断をする必要もあるのではないか。
そして、現在の技術や製品に固執せず、新しいことに挑戦していく覚悟のもと、小林さんが考えているのが「地の利」を活かした新たなビジネスだ。

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「燕三条という街ならではの横のつながりを活かして、自社製品の開発ができないかと考えています。今までは受注生産だけでやってきましたが、自分たちから何か発信していかないと。」

燕三条で行われる工場見学のイベント「工場の祭典」では、実際に地元のいくつかの工場と共同で金属製のギターピックを製作した。今後は、自身の経歴を活かしボクシング用品などの製作も視野に入れているという。

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小林さんが現役時代に所属していたボクシングジムからもらった古いサンドバック
「燕三条が『ものづくりの街』として注目を集め、いろいろなメディアで取り上げられたり、若い人が訪れてくれたりするようになりました。『メイド・イン・ジャパン』の看板を背負っていると思うと気が引き締まります。燕三条のなかでも存在感を発揮できるようなものを作っていきたいんです。」

また、小林さんが新しい事業に取り組みたいと考える背景には、建築金具市場の縮小だけでなく、東日本大震災を通して感じた思いがあると言う。

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「3.11のとき、僕はプロボクサーでした。ふと、災害が起こって極限状態に陥ったとき、ボクシングなんて見ている余裕ないなと気付いたんです。自分の仕事は人が生きていくうえで必要ない。ヤマトキ製作所が手がけている建築金具にも同じことが言えます。でもだからこそ、なにか社会に還元できるような仕事をしないといけないと、強く感じたんです。」

時代の流れに合わせた新たな挑戦とものづくりによる社会貢献。老舗製作所の4代目の目はすでに、大局的に未来を見据えている。

最後に、小林さんがこれからものづくりの世界で戦っていくうえで掲げる指針を伺った。

「頭ではなく腹で考えること。次の一手をイメージしたとき、腹落ちする方法を選んで戦っていきたいと思っています。」

身ひとつで戦ってきた自信が強い意志と柔軟な姿勢につながっている

老舗製作所の4代目として、ものづくりの街燕三条で生まれ育った小林さん。その環境から飛び出して自らの身ひとつでプロボクサーとして活躍した過去が、現在の自信につながっているのではないか。
そして「必要とされない技術は、廃れていってもしょうがない」と、技術や製品に固執しない姿勢は、ものづくりのプロとしての決意だ。
きっと、厳しいプロスポーツの世界に身を置いていたからこそ培われた意識なのだろう。

今後ヤマトキ製作所がものづくりの世界でどんな戦い方をしていくのか。
類を見ない経歴を持つ小林さんだからこそ、まったく新しい挑戦を成し遂げてくれるはずだと感じた。

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株式会社ヤマトキ製作所
住所:新潟県三条市鶴田4丁目6-6
電話番号:0256-38-7469