燕三条の金属加工に負けない、木工の技術を。地域のものづくり生態系を担う 関川木工所
かといって、この街の商品全てが金属だけで作られている訳ではありません。
例えば包丁や金づち。木で作られた柄や持ち手の部分があってこそ、製品として成り立ちます。
昭和29年にこの地に開業した関川木工所は、彫刻刀の柄を中心に数々の製造を担ってきました。
創業してから63年。
金物の街で、木工所を営む2代目を継いだ関川修司さんにとって、ものづくり業界や、金物の街、燕三条はどのように見えているのでしょうか。
金属加工とは違った角度から、街を眺めます。
「俺が継ぐ」なぜか手を挙げてしまった2代目の始まり。
「手伝わないで遊びに行くと、なんで遊びに行ったんだと怒られました。見たいテレビも見れないし、昔は嫌々でしたよ。」
小学校の時から、加工された木の向きを揃えたり、切られた木を受け取る仕事を手伝っていた関川さん。
それでも一度は高校卒業後に、家業とは関係ない空調設備の仕事に就きます。
3人兄弟の長男である関川さんのお兄さんが、大学の卒業をきっかけに「俺は教師になりたいから家業を継がない」と、初代のお父さんに伝えました。
その言葉を聞いた関川さんは「それなら自分が家を継ぐ」と、宣言したといいます。
「なぜか手をあげてしまいました。自分は頭は良くないけど現場でものを作るのは嫌いじゃないな、と仕事をしながら思っていたんです。それに、そのころは親父の仕事を遠くから見ていても、飲んでばかりで楽そうだ、なんてイメージがあったのかもしれませんね(笑)」
現場で感じた明るい雰囲気と、ものづくりに携わっていきたいという思いが、自然と彼の手を挙げさせたのでしょうか。
その後、取引先の同業者に4年間勤め、関川木工所の仕事を始めることになります。
自社製品を目指さずに、部品屋でいこう。迷いはもうない。
その中には、鳥居や神社仏閣の部品まであり、木で作れるものはとにかくなんでも作っているそうです。
100個以上もの注文から、2〜3個を明日までに作って欲しいという大至急の注文も対応します。
関川さんは、彫刻刀の生産が徐々に減少していく変化の中で危機感を抱き、自社製品を作りたいと展示会を見て回ったり、会社の向かう先に悩みに悩んでいた時期もありました。
それでも、なぜ、現在のような受託してから生産する工場体制になったのでしょうか。
そのきっかけは、中川政七商店さんの勉強会だったといいます。
「勉強会に参加して中川さんとお話した時に、俺は部品屋で良いんだなって思ったんです。部品自体に価値をつけることができれば良いのだと。例えば包丁の場合も、この包丁は柄がいいなと思われるものを作る。その時から自社製品を作りたいとは考えなくなりました。」
部品の製造でも生きていけるという道を示してくれた中川さんとの会話は、ぐるぐると悩んでなかなか決めきれなかった関川さんの背中を押すには、十分な言葉だったのかもしれません。
図面も寸法もない依頼を形にする関川木工の技術力。
NCルーターを動かすプログラムは、関川さん自身で組みます。
「人や会社によって違いますけど、うちはそんな形での依頼が多くなっちゃいました。」
当然、作ってみて大きさが違うなんてことがないように、最初に手作業で作り出したサンプルを元に、完成品まで話し合いを重ね、生産していきます。
寸法もない状態で依頼しても、しっかりと形にしてくれる関川木工所。図面がない状態からの寸法出しから、切削の方法まで、関川さんの知識の多さと加工の技術力の高さが伺えます。
ハサミの柄の依頼が、今まで作ってきた中で特に難しかったと印象に残っているオーダー。
「小さいものは固定をするのが難しいんです。どの順番で削るのか、どの角度で配置するのかを考えるのが大変ですし、そのアイディアの引き出しが、木工に携わる各社の違いにもなってきます」
─職人と呼ばれるけど、俺らは機械を買ってスイッチを押すだけのオペレーターだよ。
同業者同士ではそんな風に話していると言います。
とは言え、少量多品種の生産体制だからこそ1つの依頼に対して真剣に、木と、機械と向き合う関川さんの姿を見ていると、それはどこから見ても職人さんの姿そのものでした。
微妙な職人の親子関係と世代間の感覚の差。
仕事の分担はしっかり分かれているけれど、お互いの仕事ぶりをどこかで気にしているようです。
その理由は、1つの製品を作るにしても、削り方次第で完成品の出来は大きく変わってしまうところにあるのかもしれません。
「もうちょっとキレイにできないのか、とか、この製品はこう作るだろ、なんだこの仕上がりは!なんて他愛もないことで毎日言い争いですよ。こだわるポイントがお互いに違うんでしょうね。」
サンプル作りといった手作業の仕事は、高速で回る機械で木を削って作るので力加減1つで仕上がりが大きく違います。
新しい従業員を募集して技術を教えて良い製品が作れるようになっても、もうちょっとこうしたら良いのでは、というアドバイスもあくまで感覚になってしまうから、うまく説明ができません。
言葉では説明できない技術力と、手の器用さやセンスが求められるからこそ、関川さん親子の喧嘩もなくなることはないのでは…?
そんな微妙な関係の関川さんのお父さんですが、取材中に1本の角材から、ものの数分でこけしとバットを作ってくれました。
図面も引かないであっという間に角材が製品になり、命が吹き込まれていく様子はまさに神業でした。
昔はこれらの様なこけしやバットを全て手作業で作っていたそうですが、大部分を機械で作るようになってからは、各職人のスキル向上よりも量産体制を整えたり、少量多品種に対応するための作り方を考える方が重要になってきました。
このことは、技術力のある職人さんが減少していることに影響しているのかもしれません。
ユーザーの声を直接聞ける「三条木創り舎」での活動
街中で木工青年会が木工工作を始めたのがきっかけで、木工屋が集まって木創り舎が発足しました。
7人で構成されるメンバーの中に関川さんも参加していて、三条ものづくり学校や、IID世田谷ものづくり学校でワークショップを行っています。
小学生といった若い世代に、道具の使い方を知りながらものづくりの楽しさを学んで欲しいという想いから始まった木創り舎。
家に帰っても捨てずに使えるものを、と考えた結果、たどり着いた木琴を作るワークショップは、想像以上に反響が良かったと言います。
材料となる木の密度がそれぞれ違うので、寸法通りに木材を切っても音は合いません。
参加者がが、木を削ったり、切ったり…五感を使って感覚で確かめながら、音を作り上げていきます。
試行錯誤して音が合った瞬間には「うわー!合ったー!」と歓声が上がることもしばしば。
普段は部品を作るので直接ユーザーの声を聞く機会が少ない関川さん自身も、参加者の声を聞けるこのワークショップは、とても有意義だったと言います。
「完成した木琴を持って、みんなで演奏しながら三条ものづくり学校の中を練り歩きました。」
ものをただ作るだけでは味わえない、一体感が参加者の中に生まれていたのだと思います。
「木創り舎での活動が仕事に直接つながる訳ではないですが、色々な人と関われるというのは大きな財産です。関川木工所の認知度が広がるという意味では、ワークショップをおこなって正解でした。」
閉鎖的な時代から、同業と地域とマッチングし合う、開かれた時代へ。
「今では他の工場に勝手に入って行き社長を探したり、逆にうちにも勝手に人が入ってきて私を探し歩いていることもあります。大きなきっかけがあった訳ではないと思いますが、随分と変わりました。昔は閉鎖的な環境下でも、各会社が儲かっていましたが、国内で木工の需要がだんだん減って、売上が落ちてきているいまの時代の流れが色々と重なり、工場も『開かれる』ようになったんじゃないでしょうか。」
関川木工所の場合でも、先代から彫刻刀を作っていた名残で、細めの柄や短い製品は作れても、クワの柄のような太さは作れません。
自分の工房で作れない製品の依頼がある場合は同業者を紹介するし、逆に『〇〇さんから聞いてきたんですけど』と関川木工所を訪れる人もいたり、同業者同士でできることをシェアし合って、出来ないことは紹介し合うコミュニティが自然と機能しているようです。
「うちは、特に営業はしていないんですよ。大きなメーカーさんが他県でとってきた仕事の中で、自社でできない部分を依頼してもらったり、とても助かっています。プライベートでも同業者と仲良いので、飲みながら『うちの営業なんだから頑張ってよ』なんて冗談を言い合ったりもしています。(笑)」
それぞれの工場や会社が、出来ること出来ないことのお互いのスキルを知っているから紹介し合える環境は、閉鎖的な時代では決してできなかった循環が起き始めています。
ここでも、時代は、商品だけではなく業界の在り方すらも確実に共生の方向へと変化しています。
木材部分で費用を調整されてしまう、いまの製造の流れを逆転させたい。
これまで木材を使用していたシーンが、台所用品1つとってもプラスチックや樹脂が一般的になってしまったり、木を使う場面が減ってきたのもその理由の1つです。
また商品の生産工程的にも、木材を使用する部分は最後になり、納期のしわ寄せが来ることも多いようです。『前工程で一週間納期がズレたから、その分こっちで調整してください』と言われることもあるといいます。
それでも、金属を扱う会社と立場的に上下関係がある訳ではなく、完成した商品をお互いの会社で販売したりと関係は良好です。
テクノロジーがめまぐるしい勢いで進化していく現代で、人との繋がりを大切に1つ1つに向き合う関川さんのものづくりは、大量生産大量消費に慣れてしまった私たち消費者に、「ものづくり」という尊さを思い出させてくれるかのように感じました。
豪快な笑顔と、こちらまで元気になるような大きな声で迎えてくれた関川さん。
体の中心に据わっているものづくりへの密やかだけど熱い想いが、見えた気がしました。
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電話:0256-38-8014