ものづくりへの愛がガソリンに。ハードウェアベンチャーの世界を支えうる「街の機械屋さん」の未来像 新井田鉄工所
これらは、もとを辿れば全国のどこかで、工場や職人の手によって作られています。
それでは、そんなつくり手側の職人たちが「もの」を生み出すときに使う機械は、一体どんな人が作っているのでしょう。
新井田鉄工所は、ものづくりの街・燕三条でさまざまな分野のものづくりを陰で支えてきた「機械屋さん」で、消費者から見れば、ものづくりの裏側の裏側的な存在。
メーカーの工場で使われるような工作機械を中心に製造し、細かい設計から機械のカラーリングまで、オーダーメイドで要望に応えることもあります。
自らお客さんの工場に足繁く通い、ハードウェア系のベンチャーによる「次世代のものづくり」にも可能性を見出す新井田鉄工所の力の源は、昔から変わらず、作ることへの好奇心。
数々の「こんなもの作れないかな?」を実現してきた新井田鉄工所が目指す「次世代の機械屋さん像」に迫ります。
あらゆる相談を技術で解決してきた街の機械屋さん
新井田鉄工所の専務・新井田満さんは、そう話します。
機械屋さんの仕事は言うまでもなく、製造工場に必要不可欠な工作機械を作ること。つまり、「ものづくりのためのものづくり」です。多くの機械屋さんには専門とする分野があり、大口の取引をしている会社が決まっているのが主流です。
しかし、新井田鉄工所では現在、「うちはこの機械」といったメインの取引先を持っていません。その代わりに、燕三条周辺を始めとした、さまざまな工場から駆け込み寺として相談が持ちかけられ、あらゆる分野の工作機械を製造しています。
ものを作るための機械を作る。一般消費者の私たちにとっては想像のつきにくい世界です。
一体、機械を作る人の頭の中はどうなっているんだろう?
どんな風に工場で目にする様な複雑な機械が作られていくんだろう。
素朴な疑問と期待感を胸に、まずは新井田鉄工所の工場内を見せてもらいました。
工場内の引き出しには、さまざまな種類の部品がびっしり。
例えば、ネジは3〜20㎜まで、綺麗に分類して常備されています。
工場内を見渡すと、あちこちに置いてある道具や機械が目に入ってきます。その情景はまるで、アニメや映画で目にする工作基地。
そんな工場に置かれる一つひとつの機械が、いったいどんな用途なのかを新井田さんに説明してもらいました。
ひとつの機械を納品してから次のリピート注文が来るまでに十年以上もかかるのが、この業界のビジネスの難しいところ。しっかり作れば機械の持ちはいいけれど、その分自分のところに仕事が回ってこなくなってしまうジレンマもあります。
「いつだったか、ウチはしっかり作りすぎと言われたこともあります。ウチの機械が1台壊れるまでの間に、他社の機械だったら2、3台入れ替わっていることもあると。経営的に、これはマズイんじゃないかと悩んだ時期もあったけど、同業の先輩に『それだけ良い機械を作ってるってことなんだから誇りに思えばいい』と言われ、今では割り切るようになりました。」
新井田鉄工所には、新しい機械を作るだけでなく他社の機械の修理依頼も舞い込んでくるのでメンテナンス屋の一面もあります。
新井田さんはまるで工作機械のお医者さんのような存在。ものづくりが盛んな燕三条のメーカーにとっては、本当に頼りになる存在です。
いつのころからか、これが自社の機械のテーマカラーになっています。
また、工場を一般に開放する企業が多い燕三条エリアの工場らしく、工場内の景観を統一するために、機械の色に指定が入ることもあります。新井田鉄工所には塗装室もあり、そんな細やかな要望にも柔軟に応えることができます。
そして、「これはもうすぐウチからお嫁に行く機械です」と見せてくれたのがこちら。
ここに動作や機能をプログラミングすることによって、機械が動きます。
一通り機械を見せてもらい、興味津々で説明を聞きながら、ふと最初に新井田さんが言っていた「どんな機械もだいたい作り方は一緒」との言葉に、疑問符が浮かびました。
——いやいや新井田さん、この検品の機械とさっきの切削機械の作り方のいったいどこが同じなんですか…?
その答えは、これまで新井田鉄工所が築いてきた依頼主との関わり方にあるようでした。
やってみる、行ってみる、正解は現場で見つけてきた
そんな背景から、創業当初は工作機械のオーバーホールや仕上げがメインで、修理、改造、機能追加からスタート。現在のようにオリジナル機械の製造販売もはじめました。
当時は高度経済成長期の昭和30年代。工作機械は、作っても作っても需要があった時代。三条市からもほど近い長岡市には、工作機械の大手メーカーがあり、そこから独立して機械屋さんを始める人も多くいたそうです。
何の迷いもなく電子機械科のある高校に進学し、10代から電子回路などの専門知識を学びます。
本格的に家業の手伝いを始めたのは19歳。お父さんから自社で製造している機械の簡単な回路図を渡され、実際にそれを組んでみるようにと言われたそうです。
「学校で基礎は習っているから、理屈は分かっているはずなんです。でも、実際に機械をいじってみると、全然思い通りに行きません。他の機械の制御盤を開けて見本にしながら、『ここが、こうつながって、この記号はここにあればいいのか…』とアナログ的に試して現場で学んでいきました。電源に繋ぐ電圧を間違えて、ボンッと音がしたと思えば、パワーサプライが壊れちゃった!なんて不注意もありました(笑)コンデンサを交換して直しましたけどね」
全体を指揮するディレクターの立ち位置で、加工、組み立ての工程は熟練の社員に任せたり、同業の機械屋さんに外注しています。
ものづくりに詳しい専門家に「個人の機械屋でよく会社が続いているね」と言われたこともあるほど、自営業の機械屋さんは全国的にも減少中です。
そのため、新井田鉄工所のように、数百人規模の大手の機械屋さんにはないフットワークの軽さと柔軟性を持つ機械屋さんは、メーカーにとっては貴重な存在なのです。
新井田さんは新潟県内をはじめ、京都や岡山まで全国どこでもお客さんの元へと足を運び、実際に現場の工場を見て、どんな加工が機械に求められるのかを事細かにヒアリングしていきます。そこで汲み取ったお客さんの要望に合わせて、機械の設計を微調整していけるのが強みです。
「工場見学、大好きなんですよ。」
「同じ分野の製品を作るとしても、メーカーさんによって工程や製品へのこだわりポイントは違います。分からない部分は現場で職人さんに聞いて、すり合わせしながら機械の構想を練っていくんです。」
どんな注文にも、依頼主の中には漠然と「こんな加工が出来る機械がほしい」といったイメージがあります。話し合いの中でそれを汲み取って、「じゃあこうするのはどう?」と提案していくのが新井田さんの役目なのです。
工作機械を作る広いノウハウが根底にあるからこそ、こうやってさまざまな分野の要望にもフレキシブルに対応できるのは言うまでもありません。
新井田さんのものづくり全体に対する好奇心が、新井田鉄工所の最大の魅力です。
ハードウェア系のベンチャー企業が出展する「Maker Faire TOKYO」や、「燕三条メイカーズネットワーク」での取り組みもまた、新井田さんの好奇心の強さを物語っています。
東京で出会った、次世代を担うものづくりの領域
燕三条では、近年の新たなものづくりの担い手として注目されるハードウェア系のベンチャー、ものづくりベンチャーの製品開発や試作をサポートする「燕三条 試作・小ロットプロジェクト」が2012年に発足し、2015年からベンチャーにをターゲットに始動しました。
こうした少量多品種なものづくりの時代傾向は、機械屋さんの仕事にも影響が及んでいます。かつてのような大量生産に向いた機械の需要は下がり、3Dプリンターの様に汎用性の高い機械に注目が集まっています。
──こんな時代に機械屋として他社と差をつけていくのには、どうするべきなのか。
新井田さんは、自分が率いる会社の未来の在り方を考え続けています。
そんな中、「小回りの効く機械屋がメンバーにほしい」という周囲からの推薦があって「燕三条 試作・小ロットプロジェクト」に入会した新井田さんが知ったのが、毎年東京で開催される「Maker Faire TOKYO」*の存在です。
「『何なんだここにいる人たちは…仲良くなりたい!』と衝動的に感じました。いろんな出展者の作品を見ていると、どこも3Dプリンタで出力したり、樹脂を簡単に加工したりしたものが多かったので、金属加工は苦手なのかも、とピンきたんです。どこかと組んで面白いものが作れるんじゃないかと直感的に思ったんです。」
「実は、最初に名前だけが決まったんです。『MSNってなんかかっこよくない?』って(笑)メンバーの中には燕三条以外にも新潟県内や加茂市の人もいたので、会長はやっぱり燕三条の人がやるべきだということになり、気付いたら会長に…(笑)」
2016年に発足してからというもの、MSNには「こんなもの作れない?」といったさまざまな相談が寄せられるようになりました。
「でも、ハードウェアベンチャーのプロトタイプ製作をメインの事業にしていくのは今のところ難しいとも思っています。ウチの会社が本領を発揮できるのは、試作を経て商品化にこぎつけた後、製品を量産できる機械を作ることだと思うんです。そこまで持っていくには、もう少し時間がかかるはず。だから、MSNの取り組みで未来を見据えて会社のPRをしつつも、今求められている機械制作へのノウハウをベースにしたノウハウを強化することがあくまで優先です。」
現在の新井田鉄工所にとって重要なのは、自社の機械製造のキャパシティを広げること。現状では人手が足らず、お客さんに待ってもらったり、時には仕事を断らざるをえなかったりすることもあるそうです。
そんな今の工場の状況を変えるには、新井田さんの右腕になってくれる若いスタッフが必要です。展示会などイベントに参加する際も、新井田鉄工所のブースには「求人」の文字があります。
新井田さんがそう話すと説得力があるのは、自身が仕事以外でもものづくりに夢中だからです。「半分仕事で、半分趣味かな」と笑って話すドラッグレース*がそのひとつ。
「チームのメンバーにはいろいろな個性の人がいるけど、車レースが好きっていう部分が共通しているから団結できているんです。それに、『好き』って気持ちが何よりも強いパワーになることは、仕事でも同じですよね。」
好きなことがあるから、仕事もいきいきできる
車のこと、気晴らしに行く海辺のこと、MSNの新しい取り組みや、「Maker Faire TOKYO」に出展する作品のこと……
「ダラダラと面倒くさそうに働くよりも、楽しくスマートに仕事したほうがかっこいいじゃないですか。ドラッグレースやMSNでの活動も共通しているところがあってメンバーみんな『かっこいいもの好き』なんです。おじさんが集まって部品見ながら『かっこいい〜』ってばっかり言っています。若い子が何でも『かわいい』って言っちゃうのと変わらないですよね(笑)」
「正直、『俺こんなことしてて良いのかな』って思う瞬間はあります。前に、仕事に支障を出さないためにレースに行くのやめようかを真剣に考えたこともありました。でも、好きでやっていることが仕事にも活きることってけっこうあるんですよ。だから好きなことは辞めないって、決めました。」
──趣味は仕事に、仕事は趣味に。
公私の垣根を越えて、ものづくり一色の人生を歩む新井田さん。
老舗のメーカーだけでなく、ハードウェアベンチャーの「こんなことできないかな?」といった相談もワクワクしながら一緒に考えてくれる頼もしい機械屋さんは、これからの未来を見据えて、他の誰よりも一番ものづくりを楽しんでいるように見えました。
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