2022.1.15 UP

板金屋から、レーザー加工専門業者へ。時代の転機に下した大きな決断

創業から50年。
板垣金属株式会社(以下、板垣金属)は±0.05mmの超精密な板金加工も可能な板金屋として仕事を続けてきた。

しかし、2020年。その板金加工業を手放す決断に踏み切った。
代わりに以前から力を入れていたレーザー加工に業態を絞ることに決めたのだ。

『日々是ものづくり』で前回取材をしたのが、2017年。それから3年が経ち、板垣金属には一体何が起きたのか。

私たちは代表取締役社長の板垣薫さん、息子の文瀬(あやせ)さんのもとへ、業態を絞った背景、現在の事業内容と強み、今後の展望を取材してきた。
創業以来の大きな決断をした、板垣金属の3年間の変遷に迫る。

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板金の需要は右肩下がり。みんなが幸せになる道が見えない

 

 

昭和44年の創業以来、板金加工を営んできた板垣金属。板金とは、鉄やステンレスなどの板材に穴を開け、曲げや成形などをする加工のことで、その中でも板垣金属は特に薄く細かな加工を得意としていた。

その技術力の高さは、地域内外で高く評価され、板垣金属は±0.05mmの超精密な板金加工すらも可能な板金屋として、長く仕事を続けてきたのだ。

しかし、次第に板金の仕事は国内よりも安く請け負える海外へ流出。国内では板垣金属が得意とするような難しい加工ではなく、単純な加工の需要が増えていった。

加えて、2020年に世界を襲った新型コロナウイルス感染症。人件費を確保しなければいけない中、材料費もあがり、追い討ちをかけられる状況だった。それでも、客先との取り決め金額はなかなか思うようには上がらず、苦しい状況が続いた。かといって、他社から仕事を取ってきても他社が幸せにならないし、他社の技術を真似たとしても一時凌ぎにしかならない。どう足掻いても、みんなが幸せになる道が見えなかった。そして、悩んだ末に社長が出した結論は、板垣金属が板金加工業から撤退することだった。

 
 

会社の第二創業期。板金屋からレーザー加工専門業者へ

 

 

「だんだんと国内での板金の需要が減っていく中で、さらに海外にはコスト面でどうやっても勝てない。それならと、以前から力を入れていたレーザー1本に絞ることに決めました」

そう考えた社長はまず、自社の板金職人の就職先確保に動いた。
知り合いの板金屋に声をかけると、「板垣さんのところの職人さんなら」とみんな快く受け入れてくれる会社ばかりだった。職人自身も技術に誇りを持ってやってきているので、何社もまわり、納得の行く就職先探しに。結果、いくつかの会社に分かれたものの全員分の就職先を確保することができた。

レーザー加工専門業者となった板垣金属。会社に残ったのは、家族3人と社員3人の計6人だった。以前は、3つの工場を合わせて570坪で動かしていたが、100坪の土地に移動。東京で営業と開発を担当していた社長の息子である文瀬(あやせ)さんが、これを機に新潟に戻ることとなった。

 

 

文瀬さんは都内の大学・大学院に進学し、板垣金属の東京営業所を開設。4年間、レーザー加工の営業や、加工機の開発設計、レーザー加工に関わる開発案件に携わってきた。しかし、板垣金属が板金をやめるといった話が進むと、社長から戻ってくることを相談され、帰郷。
「もともと東京で板垣金属の一員として働いていたので、レーザー1本に絞る話は聞いていました。そのときに父から『会社を建て替えるから新しい建物をつくってほしい』と言われ、いずれ戻るつもりだったので、じゃあ帰ろうかと思ってこっちにきました」

以前から建築に興味があった文瀬さん主導で100坪の建物が完成すると、本格的にレーザー加工業者として動き出した。客先からの新社屋でのレーザー加工は好評だという。

「レーザー加工が必要なお客様って新商品の開発中なので、できるだけ競合に見られたくないというお客様が多いんですよね。しかも、案件によって開発する部屋の大きさや空調も変わってくる。例えば、米粒くらいの大きさもあれば、20-30mのものもあるし、クリーンルームを必要としている場合もあれば、空調は関係ないという場合もある。そういうお客様に臨機応変に対応できるのが、うちの強みなんです」

 

 

板垣金属も以前のメイン社屋は不特定多数の人が出入りする工場だったが、現在は出入りする人はごくわずか。開発案件だからこそ、情報流出に敏感になる客先は多い。そんな客先に合わせ、オーダーメイドで専用の部屋をつくり、開発・生産体制を整えていくことも考えている。少数精鋭のレーザー加工業者だからこそ、客先のニーズに合わせて臨機応変に対応できるようになった。

さらに今後は、現在の社屋を研究所にして、生産は別の量産工場でできればと社内で話が出ている。研究と生産の両軸で動かしていきたいと構想する。

 

 

また、レーザー加工に絞った現在、常に「最高のサービスとは何か?」と自問するようになった。まだ結論は出ていないが、現在の答えとしては”お客様一人ひとりの要望に合わせ、サービスを提供すること”としている。

「商売をやっているからには、お客様を満足させなきゃ駄目なんですよね。ある方は高精度の技術を求めているかもしれないし、ある方は速さを求めているかもしれない。誰が何を欲しているかをいち早く察知して、それを叶えることがサービスなんじゃないかと思っています」

しかも、以前と違うのは、こうした理念を社長だけでなく、社員全員で考えるようになったことだ。以前はできるだけ早く、多くの製品をつくることが求められていた中で、社員全員で顔を付き合わせて考えることは難しかった。しかし、現在は電話が来ても「すみません、会議中なので」と断りを入れるほど、社員全員で考える時間を大切にしている。

現場で忙しく働く人にとっては、こうした小さな変化が、小規模でも高水準のサービスを提供する板垣金属の土台をつくっている。

 
 

ものづくりの若手が手を組み、新たな産地づくりへ

 

 

2020年にレーザー加工に業態を絞った板垣金属。思い返せば、社長の身の回りでは20年刻みでレーザー加工の変化が起きてきた。

「私が生まれる20年前にレーザー加工と言う技術が生まれて、その20年後に私が産まれました。そして、その20年後にレーザー機を会社で購入し、そこから20年が2回転してレーザー加工専門業者となりました。人生100年時代。まだまだ何が起こるか予想もつかないし、今が楽しくてしょうがないんですよ」と話す社長の姿からは、心の底から楽しんで仕事に取り組む一人の職人としての顔が見える。

初めてレーザー加工に取り組んだときも、生卵をレーザーに当てて爆発させるなど、自ら実験をすることが大好きで、早朝から夜遅くまで工場に出ずっぱりだった。

そんなレーザーが大好きな社長は「将来はレーザー加工なら、新潟に行けば間違いない」と言われる会社になりたいと話す。

「今はレーザー加工というと、エネルギー関連の会社さんが多いですが、これから業種の幅はどんどん広がってくるはずです。それまでに我々としても特殊な技術を身につけていって、難しい技術でも『新潟の板垣なら、なんとかしてくれる』と思ってもらえる企業になれればと思っています。そのために必要なことは、上流工程から携わること。開発の最初の段階から伴走することで、視野の幅とできる範囲を広げ、お客様の役に立てる存在になりたいですね」

一方、会社がある燕三条地域を見渡すと、職人減少という厳しい現状を知りながらも、若い人たちの動きに希望を持ってもいる。

 

 

「今は職人が少なくなり、一部工程が地域内でまわらなくなっているのが現実です。それでも、うちの息子が帰ってきてからの友達の動きを見ていると、若者が自ら動き出しているんだなと。例えば、燕三条の若手経営者が集まった『EkiLab帯織』(以下、駅ラボ)*という組織があるんですけど、自分たちの得意な部分を持ち寄って製品をつくっていたりして。若者の動きが連動されてきたら、もっと面白い街になるんじゃないかなと思っています」

*EkiLab帯織…ものづくりの交流拠点となることを目的に開設された組織。また、JR帯織駅に同名のコミュニティスペースも運営する。

 

 

文瀬さんもまた、燕三条に戻ってきて駅ラボに助けられた一人だという。

「私も帰ってきたときに駅ラボのみなさんが色々な工場に連れていってくださったんです。この加工ならあの工場、この工場はこんな特殊な技術もあるんだと説明してもらったりして。一般の人だと、こんな風に色々な会社を見られる機会って少ないじゃないですか。地域外の人でも気軽に工場を見学できる場があったらいいんだろうなと思っています」

駅ラボには板垣金属のレーザー加工機も設置されている。駅ラボを通して、若い人やものづくりを生業としない人たちも、レーザー加工を知るきっかけになるのだろう。

前回の取材から3年で、大きな転機を乗り越えていた板垣金属。板金屋としての看板を下ろし、レーザー加工専門業者としての看板を背負うこととなった。これからどんな歴史を紡いでいくのか。板垣金属の再スタートは始まったばかりだ。

板垣金属株式会社

〒959-0161 新潟県三条市一ツ屋敷新田1628番地
TEL:0256-45-2206
FAX:0256-45-4127
http://www.e-call.biz

▽2018年6月14日公開記事
超精密加工の世界。板金屋の常識を好奇心で覆す、板垣金属のものづくり
https://sanjo-school.net/spblog/?p=957